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このはな綺譚 第二話 「春の旅路」

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ARIAを見ているような気分になるよね。
「ぷいにゅー」って声が聞こえてきそう。
だから、ゆずが、あの、このはな亭と言う名の世界において見つける様々な素敵は、水無灯里がネオ・ヴェネツィアで素敵を見つける構図と同じなんですよね。
それを確実に百合風味で抑えたような、そういう作品だと私は原作を見ていて思います。
ゆずの見つける素敵と言うものが、皐を動かしているのが百合可愛いんですよねー。素敵は百合を動かして、素敵は百合の花を咲かせるんですよねー……
良いよねー…・・素敵と百合。
ARIAにおける素敵と、このはな綺譚における、ゆずの見つける感動と言うものは同じなんだと思います。
とか、そんな、ARIAとの関係性を考えていたら、一話が終わっていた。
百合姫からばーずへ・……
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そして、起こった奇跡の道よ。
えてして、そして、様々なドラマもある訳で。
底も魅力的でごぜーますよ。
徐々に開花する百合の花、どうなるか。
それは、来週を楽しみに見ましょう。

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白い巨塔

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大学病院と言う名の人の醜い権力闘争が起きる場所。
そういうことで、白い巨塔です。
久しぶりに見直したら、とても面白かったのでね。
何て言うか、この感動をどうのこうのって奴ですよ。
まぁ、面倒くさいので、とりあえず、見直したら、凄い面白かった!!って言う、スタッフの力もあるけど、それは原作を執筆した山崎豊子先生の力量と言うのもあるのだろう。
まぁ、どういう粗筋化は、それは、これを読む前に、白い巨塔のwikiやら、そう言うのを参照すべき。
私は、主人公の財前五郎を演じる唐沢寿明って俳優を本格的に知って好きになったのは、このドラマからだし、その役者陣の、このドラマに欠ける情熱と言うのを肌で感じることが出来る程には凄い力量のあるドラマだったりする。
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どうでもいい話、実を言えば白い巨塔で一番好きな登場人物は財前五郎の義父である又一。
恨みと財前五郎に対する過剰な愛情が入り混じって何にでも一定の人以外は傷をつけずに手を染めるスタイルは見ていて気持ちがいい。医者の矜持を持ちながら、醜く義理の息子の為に俗物に望んでなる姿は見ていてかっこいいんです。
大学教授の名誉は欲しいが為に財前五郎という株に投資したけど実の息子のように可愛がって自分が悪く言われようが金にものを言わせて俗物に自ら財前五郎の為になろうと暗躍して、財前五郎の死に誰よりも泣いた義理の父親である財前又一のかっこよさがあるんです。西田敏行の怪演を通して是非とも見ていただきたい登場人物。
ある意味、この男が白い巨塔における男の象徴でもあるし、同時に、男の美学を貫くカッコよさがある登場人物なんですよね。
そして見どころは下記の三つですかね。
何が面白いか。って言うと、この三つに集約されていると思うので読んでほしいです。
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まずは、主人公現実主義者で出世欲の強い財前と、そのライバルである理想主義に走る里見の二人の関係。
俗物の毒に浸かって傲慢になって人間性を失う財前も見ていて嫌だけど、正直、里見も里見で理想主義すぎて嫌になるよね。
白い巨塔を見ていると、なんか、どっちも嫌だ!ってなるwただ、里見は家庭人としては理想の人そのもののような部分もあるんだけどね。小説版だとー……まぁ、そこは読んでみて。
白い巨塔の世界において、里見の理想主義というのは非常にかっこよく映るものではあるけど、これは、これで気持ち悪いというのは正直、ある。
俗物的な物こそが世間であるからこそ、それ以上に里見の人間離れしたような思想の理想主義的な部分は見ていて違和感というか、そう言うものが強いんよね。
この白い巨塔における里見に対する違和感は仮面ライダー龍騎における、城戸真司や手塚のような存在に近い。
とはいえ、城戸真司の立場は白い巨塔だと柳原が、それに近いんだけどー
財前は、どれだけ地位ある名誉を持ったとしても、作中では一度も里見に勝利をしたことは無い。寧ろ、どれだけ現実を訴えても里見は、それでもと理想を突き進み、己の考えを堅実に求とめて紛争する。彼にとっては何があろうとも優先すべきは患者と言う医者としては非常に高潔な精神の持ち主として君臨している。
しかし、現実主義の財前は、そう言う理想を持ちながらも、それを為すには地位が必要だと解っているからこそ汚い工作を行い、東教授に喧嘩を売りながらも教授の地位を確実に狙い、策謀を張り巡らせる。
さらに白い巨塔の医者サイドのドラマと言えば佃と安西とか正直、あの小物のドラマが見ていて一番醜いドラマも魅力がある。それが寧ろ、財前を調子づかせると同時に、財前の中にある確かな技術からくる者であることは解るけど、それが逆に財前の人間性を奪っていったのではなかろうか?と、今にして思えば、考えることが出来ます。
所謂、あの二人の中にあるのはウルトラマンジードにあるような伏井出ケイのようなベリアルへの忠誠心のみであると同じように、佃と安西の場合はケイのように財前への忠誠心しか無いんだよね。所謂、大学病院の毒が財前から理想と人間性を奪ってしまった。そういっても過言ではないです。
そして、財前への忠誠心というのが非常に醜く映るのが、権力闘争の本来の姿のようにも見えるわけです。
だからこそ、里見は、教授になった財前を「永遠に祝うことは無い。」と告げるシーンは個人的に一番好きなシーンなんです。友人として見ながらも思想が違うからこそ財前に反目するわけではなく、財前を受け入れつつ、自分の意見をはっきり言うからこそ財前は里見に永遠に勝てない。何処からしらで財前は里見を屈服させたいという思いがあるからこそ、それが無い里見には永遠に勝てない二人のドラマと言うのが非常に面白いんです。財前が徐々に地位を確実的なものにしていくにつれて人間性というか、財前の中にある傲慢性が強くなっていってるような気がする。
そして、徐々に財前が人間性を失ってしまっても、友人である財前を見捨てることのない優しく見つめながらも厳しく意見する里見の暖かさが持つドラマにも注目してほしい。
だからこそ、財前が実は里見を一番信頼しているということが解る最終回のとあるシーンは作中最高の名シーンと言えるかもしれません。
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次は前半後半構成で、まずは前半は教授選抜戦における人の腹の探り合いですね。
えてして、前半の見どころと言うのは人の傲慢さと大学教授という地位を求める者達の醜さである。さて、作中では男たちの
大学病院内部のドラマはライバルの里見と主人公である財前の、理想と現実と野心、そういう部分が所謂、熱い男同士のドラマとしても、その裏にある人の裏と表、理想だらけの気持ち悪さ、旧体制が生む現実主義から生まれる傲慢さの絡み合いが物凄く面白いと自分は見ているんだけど、実は、それは物凄く醜いことであるというのが解る。
大学病院サイドも、それだけじゃないけどね。
熱さの中にも、無論、俗物は多くいる訳だし。鵜飼とかね。東教授も医師としては立派ではあるけど、清廉潔白って言うと、そうじゃないほどには、大学病院構想の毒に浸かってしまったような醜さが財前への嫉妬からも見て取れるし。
何故、男同士のドラマを、こう暑く見られるのに、それが醜いのか。それは、教授婦人が主催する集まり、くれない会が、それが醜いからである。
くれない会の様子を見ていると、大学病院の内部の様子が男の野心と理想の渦巻く場所だからこそ鮮烈に輝かしく見えることもあるんだろうけど、くれない会は男女関係ないのかもしれないけど、そういう権力にしがみつく人の業しかないから恐怖と醜さしかない。
最低限の医師としての心得があるからこそ所謂、美化された醜さというか、そういう部分が面白いんだけど、くれない会って、そういう部分を考えると信念もなく権力を持つ夫にしがみつく寄生虫のような醜さを諸に出している部分があるからこそ、そこにあるのは鮮烈さでも何でもなく醜さしか感じないのよ。
医師としての心得や男特有の野心を交えた部分が無い、権力闘争と言うのが、あの、くれない会のドラマの中でしつこいほど描かれているわけです。
くれない会の人間の怖さって言うのは第三話における高畑淳子の演じる東政子と若村麻由美演じる財前杏子の絡みを見てればいやでもわかる。
そして、それを東教授の娘である佐枝子が侮蔑した表情で醜い教授戦と後に口にしますが、実に、それが的を得ているわけですね。
医師としての信念がある大学病院サイドのドラマ、医師としての信念が無いくれない会の女たちのドラマを両方、描くことで美化されているように見える医師側のドラマが実はどれほど醜いことなのかというのを描いているようにも思えるし、そういう意図があるんだろうなーってんなことを思う。
そのドラマの見せ方は見事ですよ。
そして、そんな東教授の野心の為に出された、他の大学の候補である菊川教授って出番は少ないけど実に、この財前と東教授の嫉妬から来る関係やら、この物語という権力闘争から始まる旧体制に対する皮肉と虚しさを非常に文学的にとらえているのが印象的で好きな登場人物なんだけどー、それは、どこか日本社会に対する愚かさを嘆いているようにも見える。
そして、この中における財前の野心に取りつかれて人間性を失って醜い俗物になっていく様のドラマを見ているのは、ある種の究極の人の醜さを描いた頂点の一つであると思う。
ただ、何故、この教授選抜戦が起きたのか。って言うと、そこは、東の財前に対する嫉妬なんですよwどういうこと?嫉妬で、ここまで?ってなるでしょうけど、そこは原作でもっと深く掘り下げているので見てほしいです。
東がもっと素直だったら、財前もまともに育ったんじゃね?とか思う程に、醜い嫉妬なんですよね。自分の不在中に雑誌の取材を受けるなど、自分を蔑ろにする助教授・財前の傲慢な性格を非常に嫌ったり、そういう醜い感情のぶつかり合いが、財前を作り上げてしまったと思うのはー私だけでしょうか?東の人としては醜いけど医者として高潔な性格・教授としての矜持・また財前への複雑な嫉妬にも似た感情をおおいに逆撫でしたことが要因となっているんですね。
二人は全くの真逆なんですよね。
だから、この二人の確執が、ドラマの始まりと財前を狂わせた要因でもあるんです。
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上川隆也演じる関口弁護士、凄い好きなキャラよ。後半を彩る大事な登場人物です。
そして、後半の財前裁判編
ぶっちゃ、裁判は財前が最終的に負けます。
野心の肥大化と権力に取りつかれて初期の志を財前は失ったように見える財前を見るところからスタート。
里見も言ってたけど、昔は、実直さが強かったんだろうけど。
そこは、やっぱり財前又一や、其々の大学病院サイドの毒に汚染されてしまった結果が裁判編における財前五郎の姿を作り上げてしまったことのなのだろうと思う。そういう部分が全開な財前が見ることが出来ます。人と言うのは野心や権力と言う毒に塗れてしまうと、ああもなってしまうのだろうという財前の図は見ていて苛立ちや恐怖を覚えてくるほどです。
ここから、財前五郎の人間性は失われてしまいます。
財前からすれば「自分は手術をしてやったんだ。」
そんな傲慢なセリフに満ち溢れた台詞が多くなるんですよね。そして、彼の野心が最高潮になって、新たな野心を手に入れてから、余計に、その俗物感は名誉欲に取りつかれて肥大化していく様が演者唐沢寿明の演技からも見て取れるのです。なぜ、裁判が起きたのか。
それは財前の傲慢さから生まれた医療ミスが原因で自分が手術をした家族の夫である「佐々木庸平」を強行に進めた手術や、じっくりと診察しなかったことによって殺されてしまった家族の怒りを買ってしまったのです。苦しんでいる間に、財前は何をしていたか。それは里見の佐々木に関する様態のメールすらも全て無視して自分の地位を上げるためにワルシャワで公開オペなどをしていたのです。そこで、実は財前はアウシュビッツに行くのですが……まだ、この展開が財前にとって重要なイベントになるのですが、そこは、見てからのお楽しみですね。
とりあえず、このシーンにおける財前の傲慢さは患者である「佐々木庸平って誰だ?」って台詞から見て取れるし。権力と野心に執りつかれすぎて、あの台詞だし。更には裁判編の合間のにおいて「私は何千、何万と命を救っている。一々、患者の顔など、覚えておらんよ。」と鼻で嘲笑するシーン、「ガンを切除しようとしたんだ何が悪い!!」など、財前の台詞一つ一つに集約されているんです。
そして財前の傲慢さから裁判が起きて振り回される人たち。
財前がもっと患者に気を遣うようにしていれば、里見は財前を医者として真っ当になってほしいからという願いから裁判に出頭しますが、そこは、人の権力と欲望が赴く場所。大学病院を追われてしまうのです。家族も、こういうことになることは無かっただろうなと思う。
この裁判編の里見の証言における水野真紀の表情の演技から見て取れる、財前に対する憎悪と、理想に進み過ぎる夫への解っている筈の、やはりという、そういう失望ら人としての感情というのが、このシーンから感じる。
その財前の醜さの象徴が、研修医である柳原を道具としてしか見なかったと思わせるセリフの一つ一つだろう。
佐々木一家に関わって罪悪感に苛まれる柳原を見て教授選抜戦の時は普通に見ていたというのに、ここから徐々に道具として見ているような部分が非常に大きく見えてきます。家族に対する情すらも己の道具にしてしまうという時点で、財前は、どのみち、裁判に負けていたような、そう言う展開になっていたような気がする。人を人として見ていなくなっているんですよね。全部、自分の道具に見えてしまう。
地位や名誉と言う毒素に浸かってしまったという。
そして、この毒を取り除いたのが癌であるというのも大きな皮肉です。そして、がんになるだろうな。って思わせる描写も一話目から忍ばせているのも、そこは見所ですね。
さて、まぁ、この第二部から柳原と言う研修医が非常に大きなキーパーソンになるんですが。さっきも言ったとおり、財前が柳原に対して自分の中の親への情を道具として使ってしまった時点でアウトである気がするんですよね。
思えば、この作品の終盤において所々、佐々木庸平の姿が財前に被って見えるんですが、それは癌が見せた財前の良心を思い起こさせるものなんだろうな。って思いますね。
また、財前が柳原を最後まで体のいい道具として見なかったことからも、そう言う部分は見て取れる。12話の、この柳原にかけた財前への他者を見下した言葉が、後日談SPで柳原が未だに浪速大学にいる理由なんだろうなーとか思うと皮肉なんですよね。
最終的に柳原を道具のように人を道具としてしか見ていなかった、財前の中にある傲慢さが裏切りを招いたと思うと地位を得てしまった人間が気付かぬ内に背負う哀しみを財前は持ってしまった気がする。
財前は裁判における柳原の行動を裏切りとして捉えた感じだけど、でも、結局、財前が柳原を道具として利用してきたことに対する言ってしまえば人を道具として扱ってきてしまったことに対する代償でもあるような気がする。
あそこで財前が初めて自分が道具としてしか見てなかったことを知った気がする。
偉くなりすぎると人を道具として見てしまう悲哀というか、そう言うものを感じる。
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それを象徴するのが愛人ケイ子と財前五郎の実の母である「きぬ」が、幼い頃の理想に燃えていたころの良い意味で純粋だった財前を話すシーンだろう。
あそこに財前の権力闘争に取りつかれていなかった純粋に患者と向き合う頃の財前の輝かしさが溢れていると思うんです。
そして癌になったことで皮肉にも失った人間性を取り戻したり、鵜飼の醜さを知って自分は、ああなっていたのだということを理解してしまう、この展開は因果応報とはいえ辛い。そして述懐する。大きな病院にして、自分が偉くなることで全ての患者を救いたいと吐露するシーンは、根底には、きぬが語ったような理想があったことが窺えるけど、大学教授戦と言う醜い名誉と言う毒に取りつかれている間に手段を間違えてしまったことが窺えます。
癌になったことで財前はやっと東の言葉の意味や、里見の言葉の重さ、そう言うものを知って、でもそれが手遅れだったという哀しみ。
「癌になって死が近づき、達観すると思っていた。」と自嘲するシーンがあるんですが、達観したからこそ財前の中にある人間性が蘇ったとも、そういう風に取れると私は思いますね。


そして、不治の癌になってしまった財前は最終的にお亡くなりになります。
ただ、その中にあった輝かしい出来事は本物であり……
いや、そこにおけるドラマの中で何を感じたかは、それは皆さんの答えの中でしょう。
ただ、最後の遺書における財前の言葉それは、間違いなく権力闘争に塗れて名誉や地位と言う毒に侵されていない純粋な医師である財前五郎の言葉そのものだった。
そう思いますね。
思えば、このドラマは、何だろう。
人の求める地位や名誉のために、どこまでも人間性を捨てられる、その過程の醜さを美しく描いた作品だと私は見ているんです。
それが、財前五郎の一生であることは言うまでもないと思ったりします。
底にあるのは、ただの己のエゴ。その財前五郎のカウンターとしての、ある種、山崎豊子先生は、それを皮肉る患者に対してどこまでも理想を貫く里見と言うライバルを出したようにも思えます。
里見が権力闘争の中にいても何処までも現実離れをした理想を追求する究極体なら、財前は何処までも現実の欲を追求する究極体とも言える存在なのです。だからリアル的な財前を応援したくもなるし、一昔前の特撮ヒーロー的な思考の里見を応援したくもなります。
ある種、永遠に交わることのない重油と清水のような関係である、この二人の関係を中心としたすべての登場人物が踊り惑う。
地位と名誉のために、どこまでも貪欲になれる、そう言うドラマの中でもどこまでも理想を貫く。相反する二人の思考が産み出す全てが躍るドラマ。
それが、白い巨塔の肝なのだろうと見ています。
いや、これだけじゃないんですけどね。
他にも語りたい登場人物はいっぱいいるんです。でも、白い巨塔と言う作品の面白さを語るのであれば、全てにおいて、この三つの全てに集約されていると思います。
そんな感じで、皆さま、一度、見ても後悔はないドラマだと思います。
では。

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百合風の香る島 由佳先生と巫女少女

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そんな感じで、この一作。
漫画は微妙なのが多いけど、その分、キルタイムコミュニケーションの百合小説は完成度が高いです。これも、そう言う百合作品として、良い感じに完成度は高いですね。
全体的な感想は下記に色々と書いたとして全体的な出来は良い方だと個人的には思いたい感じがしますね。結構、好きですね何て言うか、これは、レズレイプから始まる恋愛とでも言うべきか。いや、よく考えてみれば、そう言うきっかけは最初からあるから、そこは、読んでからのお楽しみって感じですかね。
さぁて、主な登場人物は三人。
ただ、ちょっと、個人的には、その伏線が弱いかな?っていう部分が感じたのは全体的な感想ですかね。
新任教師の由佳が訪れた女子だけの学園がある南方の離島、
そこは女性同士が開放的に愛し合うという驚きの環境だった。
由佳も生徒である美沙希に可愛がられ心を乱されていくも、
彼女の心の深くを知っていくにつれ、
支えてあげたい想いが膨らんでくる……。

と、まぁ、そういう感じで、実際に読むと、どうしてこう主人公の心理描写は、由佳は最近のノンケの女子学生なんですけど、女しかいない女性同士の関係が当たり前の世界に移動して、そして、防波堤で一人の少女と出会う。所謂、その美貌に見惚れて、島の洗礼を受けて……それからの彼女の環境の変化からくる女性同士という関係の見方の変化と、更に、彼女に訪れる女性同士の性的な接触が、これでもかというほど、まぁ、主人公ですから当然なんですが、繊細なほどに描かれています。しかし、他のヒロインの描写は、主人公の由佳から語られるだけで、独白とか、そう言うシーンは一切、無いのですよ。
だから、ヒロインの心理描写に唐突感が出ていたりする。まぁ、なんていうか、ちゃんと伏線はあるんですが、ただ、ちょっと、ヒロインの美沙希の描写がいまいち、薄いのが弱点とも言うべき。
例えば、ヒロインが過去に女教師に告白をして降られていたから、まぁ、作中で色々としていた。
って、この話の根幹的なシーンがあるんだけど、そこに対する部分は、正直、ヒロイン美沙希のこれまでの行動から説得力を思わせるだろうか?とか、そういうことを感じてしまうわけで。ただ、ヒロイン美沙希は不敵に笑ったり、悲しんだりなだけで、そこにある由佳への作者なりの美沙希が何故、何故、由佳が好きなのか、その動機とかがちゃんと描かれていない部分がね。
やっぱり、そういう部分から独白とか、そう言うのは大事だと思うんですよね。
ヒロインは表紙の如何にもタチっぽい女の子以外に、もう一人いたりするんですが、その子は途中で由佳と関係が出来るけど、それでも、やっぱり、一方的な由佳の独白だけで他のヒロインの独白は一切無いって言うのは、どうも辛いというか、そこまでやると、色々とページの問題があるんだろうけど、やっぱり、それだけは寂しい。
って言うのが、まぁ、不満な部分ですかね。
由佳以外の描写もきちんとやってくれたら、結構な名作になっていたような気もするんですけどね。
さて、由佳の描写はばっちりです。
教師という矜持もあるのでしょうが、それ以上に、彼女のお人好しな部分や心の強さ、生徒とちゃんと向き合いたいという思いが、ついでにメイン描写担当である分、ちゃんと、レズレイプされても、その後の描写、ただ、そこから女同士の甘美な交わりに対して、何を思うかというのが繊細に描かれているのが良いです。
思えば、この主人公である由佳の感情の機微が、この作品のテーマそのものと言ってもいいかもしれないです。
教師でありながら、生徒と肉体関係を持ってしまうことに対する罪悪感の描写もぴか一です。
所謂、変わり行く心の変化ですね。
現代日本という世界において、同性愛と言うものは、未だに偏見を持たれているものですから、その部分に立って、変わっていく主人公、そして、初めて同性愛の世界に立つことによって、それでも女性を愛していく世界。
まぁ、ロボット要素、ファンタジー要素、男要素を抜かした神無月の巫女……って言えばわかりやすいか。女性同士の関係と、それによる変化を繊細に描くことによって、女性を愛するということに対しての殻のような偏見を次第に破壊して自分から積極的に……って感じなのが良いですね。
だからこそ、最後まで美佐希が素直になるシーンは、もうちょい、由佳のシーンを排除してでも、どれくらいか独白を入れてほしかった。
本当に由佳の描写が出来ているから、ヒロイン二人の独白が物凄くほしかったです。
やっぱり、それが良く出来てるから、こう言う大事なところが!!
ってのは、何度も思っちゃいましたね。
残念です。
でも、全体的には楽しかったですし、買って損はないのでガチレズ凌辱を買うなら、こっちを買うべきですね。はい。

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仮面ライダーアマゾンズセカンドシーズン。

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シーズン2
トラロック事件から5年が経ち、実験体のほとんどが駆逐され、世界は平和になりつつあった。だが、今度は人間に感染するようになったアマゾン細胞「溶原性細胞」が蔓延し、普通の人間がアマゾン化するという事態が発生していた。これに対し、政府は新組織・4Cを結成し、アマゾン化した人間を秘密裏に駆逐していた。
そんな中、アマゾンに育てられ、4Cに教育を受けていた少年・千翼は、4Cを脱走後に不良集団・TEAM Xに拾われ、仮面ライダーアマゾンネオに変身し、生きる糧を得るためにアマゾンたちと戦っていた。だが、生まれつき食人衝動に駆られる千翼の前に、カラスアマゾンに変身して戦う謎の少女・イユが現れる。そんなイユに、千翼は初めて「食べたい」と思わなくなり惹かれていく。
時を同じくして仁もまた姿を現し、溶原性細胞の蔓延を防ぐために千翼を殺すと宣言して彼を狙うようになる。それと同時期に、溶原性細胞の遺伝子が千翼のそれと一致したことで、千翼は危険視されて凍結処分される。
千翼は仁と七羽の子であった。仁は千翼がアマゾンであることを危惧しており、彼が他人を殺す前に自らの手で殺すことを決意していた。だが、それを知った七羽は千翼と共に逃亡し、潜伏先で溶原性細胞を蔓延させる原因存在「オリジナル」となった千翼に食い殺されていた。だが、その七羽もオリジナルとなって復活していたことが判明する。

wikipediaより引用。
と、言うことで、皆、大好き、仮面ライダーアマゾンズのセカンドシーズンを一気に見た。なんていうか、アマゾンズっていう作品、全体が、そうだからかもしれないけど見ていて凄い疲れる。
まぁ、詳しいことは公式を参照ってことで。
とりあえず、気になったところをピックアップして、そこだけーって感じで。」
そんな感じでアマゾンズのシーズン2を見てなかったから一気に見たんだけど、シーズン1もそうだけど、この現代シリアスドラマ特有の意味ありげで全然無い間延びはどうにかならんのかい。ってなる。なんか、あれだけで凄い疲れるし、またかよ。って、なんか、ああいうのはやってるのかな?ってなるし、そこにお洒落感とか感じない私がダメなのか、どうなのか。
そもそも、そもそもアマゾンライダーが好きだからこそ、アマゾンズは敵味方問わず「アマゾン」って名前を付けたのは正直、嫌だったなー。
アマゾンズって原典の昭和のアマゾンライダーが大好きな自分からすれば不快な印象しか無いんよね。
ついでに、アマゾンズのシーズン1とシーズン2、どっちがいいだろう?って考えたけど、どっちもどっち過ぎて、どうもあれ。
一番、嫌なのがさ。
結局、バイオレンスシーンに力を入れすぎて作中の大事な要素を蔑ろにしてる部分が相変わらずなことね。シーズン2は特に、それが酷かった気がするわ。
もうシーズン2は悪趣味の領域。
疲れる理由は、なんていうかね。こういう部分のせい。あの、バイオレンスシーンで誤魔化しちゃう癖ね。それでいて、大事なドラマを描かないから、もう、なんていうか、萎えるんですよ。
そこで、なんか、内輪だけで盛り上がるドラマをやられても、本当に困るから、これ、勘弁してほしいです。
それで自分がアマゾンズと言う作品に対して感動やら、そう言う感情が突き動かされることが無い理由の一つとして登場人物の誰一人にも共感できない部分がある。
行動原理は解るけど、共感やら、そういう部分とは無縁のなんとやら。それでいて、勝手に掘り下げもなくドラマをサクサク進めちゃうでしょ?そういう部分が何か、もう見ていてだるいんだよねwいや、お前、ちゃんと、そう言う気になる部分を書かなきゃダメじゃん!ってなって、シーズン1は終わって、そして、シーズン2で、その弊害が出まくりですよ。
そのおかげで、ドラマの内容が凄い散漫になりすぎて、なんか、もう色々と整理するのが面倒臭くなってきた。
ドラマが散漫になりすぎて小林靖子が口にしていた『人であること』って部分が、なんか、響いてこないんですよね。
様々な視点のドラマを30分と言う時間の中に詰め込み過ぎなんよ。だから、色々とテーマやら、そういう部分が散漫になりすぎてて最終的に、このドラマ、何がしたいの?ってなる。
しっちゃかめっちゃかになってて、それでいて、重要人物が多いくせに、そう言う裏ドラマは描かないくせにバイオレンスシーンやら、そう言うものに力を入れるから、変に浮ついたものになってるし、やっぱ、そう言うのを描かないから、さっきも言ったとおり、バイオレンスシーンに力を入れてるな。って、思っちゃう。
後、白倉プロデューサー大好きなライブ感も相変わらず健在ですよw。それが、もう悪い方向に行くわ行くわで、何で、こうしたのさ。って。
代表的なシーンで言えば、下記のあれですよ。
駆除班
……のドラマもクローズアップされてるけど、シーズン1から、こいつらの繋がりの描写が物凄く薄っぺらいわけですよ。駆除班と言えばマモルって言うのがいたんだけど。これは、ファーストシーズンの記事を呼んでみれば解ると思うんだけど、マモルって言うのは敵であるアマゾンなわけです。んで、何故か、味方で、その「何故か」って部分が最後の最後まで描かれずに終わって、それが、セカンドシーズンにも入っても全く描かれない。
何で、そこまでバケモノに肩入れするのか。とか、そういう部分が全く見えてこなかったりとか、まぁ、そういう部分で内輪盛り上がりでドラマをやられてもーってなる訳で、最後まで自分達だけで盛り上がって、そのテンションだけでシーズン1は終わるんだけど、シーズン2でも、それは健在でした。
まぁ、かつての仲間に対して冷たく突き放すシーンもあるんだけど、それに対して、五年の間いですから、色々とありました。って台詞はありましたけどね。
でも、問題は、その色々とあった間の物語を描かない。
だから、ここ、響かないんですよね。
仁と七羽の物語
……も、そう言う台詞を軽く言うだけだから響いてこないし、それが仁と千翼の対立の主軸になる筈なのに、こういう部分がいい加減だからこそ、全く響いてこないわけだし。
最大の盛り上がりであるはずの二人の駆以降の話が、そんなに盛り上がらずに、なんか、まぁうん。って感じに終わるし。
1期でも言ったけど、何故、二人が惹かれあったのかが全く描かれていないからこそ、全く、そこに感動が無い。
そこに対する千翼に対する仁の
愛する人との間に生まれた子供を殺すという覚悟でありながら、そこは一期からの
だって、正直に言っちゃえば、仁って単なるかっこつけたおっさんですよ。
何故、七羽が惹かれて愛し合ったのか、それが全く描かれてないから毎度、なんか、もう浮ついた雰囲気しか無いのが無理やり感動させようとする雰囲気が正直、見ていて辛い。
それ描くだけで千翼にもっと感情移入できるんだよ。
だからこそ仁が「千翼を殺す。」って覚悟に対しても、あぁ、いつものね。くらいしか、そう言う印象しか抱けないんだよね。
矛盾はあれど、もっとドラマを掘り下げれば。と、思わずにはいられなかった。8話目の仁と七羽の回想シーンだって、あれは展開の伏線であって、登場人物の掘り下げじゃないし。
素材は良いのだから堅実にドラマを作ってほしかったな。って思うんですよね。
七羽の千翼の幼少時代を描いたシーンも、ちゃんと、そういう七羽と仁の前述のメロドラマを挟まないと。
って、思っても、それをやらないから。
ついでに、番外として……千翼と言えば。
ラスボスでもあり主人公の千翼がオリジナルどうのこうのって展開とかもあれなんだろうけど、最初から色々と身体検査とか、そう言うのはすべきだろ。とか、んなことを思った。だって、そう言う設定を抜きにしても、アマゾンって言う敵の存在なんだからさ、ちゃんと、そう言う精密検査と化しなきゃダメじゃん!人じゃなくて、アマゾンって言う畏怖すべき象徴であるからこそ、色々とやらなきゃいけないのに、普通に後に「ちゃんと精密検査をしとくべきだったー!」って、そんな感じの台詞を聞くんだけど「ホントだよ!」って思う以上に「いや、何で、やらなったの!?」って話ですよ。結局、そういうオリジナルでなくても何でも危険な存在であることは確かなんだから、ちゃんと隅々まで、そう言うのは調べておくべきだろ。って思いましたよ。
いや、もう、ここが最高のお笑いシーンだった。
んで、話を戻すとして。
千翼とイユの関係と、その出自から「人であること」に対する部分を色々とあるんだろうし、そこから人を食らうアマゾンの悲哀とか描いた方が良かったんじゃね?とか思うし、それで美月の人ならざるものであるアマゾンを殺す覚悟の台詞をもっと生かせたんじゃね?とも思うしで。
千翼とイユの純粋な実験体でも人から感染したタイプでもない歪なタイプのアマゾン同士が「人として」生きることへの拘りとか、なんか、そう言うのが見えないって言うかさ。イユが最初から感情のない部分が、どうも個人的には、それが千翼の独り相撲に見てしまうし、それが後の伏線になっているとはいえ、感情のない部分から、徐々に、何か芽生えるとか、なんか、でも、あの3話のデートが肝として描きたかったし、敢えて、それでバケモノの子供であると言う部分の悲哀が目立つんだけど。でも、何故か、終盤、これがプログラムされたことであるはずなのに、人としての感情を取り戻す。って言う、何じゃ、そりゃ。って感じで、もうちょい含みを持たせてほしかったんだよね。
素材は凄い良かったのに。
だから、そう言う終盤のイユの人としての覚醒を描くための下準備をもっと丁寧に描いてほしかったのに、色んなドラマが散漫になっちゃったから、凄い中途半端になって、終盤で取ってつけたように、そう言うテーマを描いたような部分も強いわけだしで、あれですよ。中途半端になっちゃって感動と言うか、置いてけぼり感あった。
ドラマの展開がテーマの為の伏線ではなくて、展開の為の伏線になってしまっているから、あぁ、こういうギミックで、どうせ、こうなるんだろうな。って言うのが見えてしまうのがどうもね。
千翼とイユの関係性の描き方は個人的に面白いと思ったからこそ、この流れが非常に残念だなーって思いました。
ってか、そもそも、今回の事件の原因は明らかに仁が全てにおけるシーズン2の物語の間接的な黒幕だよね。
だからこそ、そういう部分から仁と千翼と七羽のドラマは強く描かなきゃいけないはずなのに、出会えば喧嘩するばっかで、なんか、もう、うるせぇ親子喧嘩ばっかなのが、もう、何とも言えぬ(・ω・)
まあ、もう、ここは語ると面倒くさいけど、もっと、この二人のドラマを描いてほしかったのはある。それで仁と千翼の親子のドラマをどっしりやってほしかった。
そうすることで、人間だからアマゾンになった親に家族を殺されたイユと、アマゾンだから人からアマゾンになった親に殺される運命にある千翼の関係が良い対比になったと思うのに。
でも、千翼とイユの物語としては、多々疑問がありつつ、あれは、あれでいいのかな。とか、そう言うことは思う。
ただ、色々とあるけどね。
まあ、もう、ここは語ると面倒くさいけど、もっと、この二人の終盤に結びつくためのドラマを描いてほしかったのはある。それで更に仁と千翼の親子のドラマをどっしりやってほしかった。
でも、ほら、バイオレンスシーンやら、他のキャラクターのドラマに時間を割きすぎたから、物凄く千翼とイユのドラマは終着点の有終の美さえも凡庸に変えてしまったのは悲劇でしかない。
ついでに、場面が飛び飛びすぎてデビルマンの実写版を見ているような、そう言う気分にもなったりするしで。
ただ、良かった部分と言えば、何だろう。
誰もブレた主義主張をしていないと言う部分だろうか?と思う。あぁ、考えてみれば、そういう部分が生きると言う部分に繋がってるのかなーと思う。
結局、アマゾンズシーズン2を見ていて思ったけど、ドラマがシーズン1以上に散漫になりすぎてて、これは何がやりたかったの?「人としてどうのこうの」ってテーマじゃなかったの?
って思えるくらいには何がしたかったのか解らなかった。悠と美月のメロドラマやら、駆除班やら、4Cやら、親子やら。
そして、一番、気になったのが、これ。
そもそも根本的なこととしてなんで、最後のアマゾンズの戦いは描かれなかったのか。
あそこの悠を交えたオメガ、アルファ、ネオの戦いを描くことで、その異質であるアマゾンである千翼が生きるという部分を鮮烈に、ある意味、もっとも生きるという執念を見せる覚悟を描ける話だったのでは?って思った。
それこそ、シーズン1で言ってた生きるということは戦うことという部分を、バイオレンスなアマゾンズの格闘シーンをバンバン入れて、それでも最終的に千翼の死をちゃんと描くことで作品のテーマそのものを最後の最後だけは綺麗に昇華することも出来たはずなのにしなかったのは萎えた。
ここを描くと描かないで、凄い大事だったと思うんだけどね。
主役の話だからこそ、それなりに描かれてはいたけど、別々に色々と描かれすぎたり、アマゾンズの特有のバイオレンスシーンのせいで、色々と誤魔化されてしまった気がする。
悠と美月
なんや?
こいつら、イチャイチャしおって。
位の印象しかない。
そのくせ、やたら時間を食うし、同じ話題の事ばっか言うから、正直、なんていうか萎えるというか。それなりに悠は話における仁を止められなかった責任がある。
とは、言っていたけど、でもやってることは甘ちゃんばっかで、覚悟が足りないのでは?とも思うけど、それが悠の人間性なんだろうけど、なんだかなー
ただ、それが続くというのは、あれです。
色々とね。
己を信念を持っていたけどね。
ただ、やっぱり、甘ちゃんな部分が枷になったりと、ねぇ?仁は殺っておけばよかったのにね。
とか、まぁ、もう、うん。
疲れたから、そこはどうでもええわ。
もう、アマゾンズのお話、終わり!
疲れた!

ってか、とある歌詞のオーイエーってどうよ?(・ω・)

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肩が痛いというのはだるい

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