2022.03.13 Sun
あー、知らないという罪と知りすぎる罠ってやつねー
なんか、噂の、タコピーの原罪ってのを全部、読んだけど、何だろうね。
なんかね、なんなんだろうね。
とりあえずーーーーー解説あらすじ
地球にハッピーを広めるため降り立ったハッピー星人タコピーは、笑わない少女しずかちゃんと出会う。どうやらその背景には学校のお友達とおうちの事情が関係しているようで…。無垢なタコピーが知るざらついた現実とは!?衝撃のヒューマンドラマ、ここに開幕!
頭が痛い。
漫画だからどうとか、周りの大人が助けないどうのとかあるんだけどさ。
たぶん、タコピーと言う宇宙人であるがゆえに生き物に対する、残酷なまでに悪意のない無知とか、そういう部分が頭に来てしまったのかもしれないし、加虐描写が行きすぎてるのか、それとも。とか思うし。まぁ、文化が違うと色々と変わってくるのは世界の常識ってのはイデオンとか、レイズナーでも描かれてきたから、それはしょうがないんだろうけど。
だから、仮面ライダー剣のOPの「知らないという罪と知りすぎる罠」ってやつを地で、このタコピーと言う宇宙人は地雷原でタップダンスするかのように歩いていくというやばい奴でですね、あれですよ。本当に状況が笑えないほど酷い状況になってると。
なんか、侵略する宇宙人が地球を侵略するとき、地球人が悪意の塊で戦争ばっかしてるからとか、そう言うのが多いなーって中で、侵略しないタイプが、そういう複雑な事情を持つ人間に接するとどうなるのか。って言うのは描いてある。
なんだろうね。
ただ、それが胸糞とか、鬱とかと言うと、そういうわけでもない。でも胸糞な気分になる人の気持ちって言うのも解らないでもない。あぁ、こう言うの嫌いな人は、嫌いだろうしね。ただ、恐らく、そう言うのは人生を結構、楽しんできた人なんだろうなーって言うのも思うところもあったりする。
イジメの描写とか、それに対する人間関係に胸糞ってなるし、ただ、それよりは自分はむしろ、タコピーに対して苛立ちのようなものを強く覚えてしまった。それが頭痛の正体のような、そうでもないような。無知だからこその罪って言うのを、これでもかと再現しちゃってるから余計にね。
献身的なのは良くわかってるのよ。情が湧いて、色んな人を助けたい。って言う、ある種、すげー良い子なんだろうけど、無知であるがゆえに、その良い子な部分が刃になってしまうという部分もね、どうにもならないね。どことなく、幸福的な、そういう思想の押し付けのようにも見えるし。
だから、タコピーの原罪の、原罪ってのは「無知」であることなのか、それとも、「強引なまでの、このタコピーの持つ価値観の押し付け」なのではないかとか、所謂、それから生まれる「共感性のなさ」なのか、その三つぜぬでは?と思う。
万人に幸せの形があるわけですが、その中で、彼の持つ幸福的な価値観が、絶対的なものとは限らない。それが、よく序盤の1話から4話まででよく表れているんですよね。所謂、性善説を突き抜けてきたけど、どこか現代的な価値観で行くと、それは違うという。いや、そりゃ、きれいごとが良いんだけどね。クウガじゃないけど。本当はきれいごとは良いんですよ。
結局、他の文化の星で育ったからこそ自分の星の常識が正しいから、それを地球人も同じと考えてしまう、違うとすら考えない共感性のなさ。
だから、ある種、他人を理解しようとしないんですよね。自分が正しいと思っているから。だから「わからない」って無知な部分が出たりとさ。
そもそも人によっての幸福とは?という哲学的な部分にまで突き詰めていくという、もう読んでいるだけで色々と思うw
その無知が、ここまでの事態を招いちゃったわけだしね。
んで、私としては、割と真面目に、登場人物である三人の子供たちに感情移入をしてしまいました。解るといえば、おこがましいけど、そういう感情になった事があるので、彼女達の経験と自分の経験を重ねて似てるところがあれば、胸糞だと思う以上に色々と思うところは出てしまうのかもしれない。
この話の主人公である、しずかも、まりなもね、いじめられたり、家庭的に色々と過去にあった人からすれば、実行をしないにしても、子供が、そういう感情を抱くのは、それが普通というかなんというか、子供の抱く感情ではなかろうか?って言うのは割と真面目に、全員に共通と言うか、結構、「あぁ、そういう感情は抱くよね。」ってのは、そう言うのはあったりした。いじめを受ければ、いじめた奴を殺したい。って思うのは当たり前だし、そいつが死ねば晴れやかになるのは、心当たりがなー。
まぁ、無いにしても自分の現実から嫌いな奴とシャットアウト出来た時は嬉しいものがあったなー。
子供の頃にいじめられたりとか、それなりに、親の無自覚な悪意とか、虐待に近いこととか、教育虐待を受けたことも、ある程度、経験しているからだろうと言うのは思ったりする。当然ながら、いじめを受ければ相手に殺意を抱くのは当然ですから、それを実行するか、しないかの問題なわけで。
結局、「あぁ、そういうこと、出来るよなー。出来ちゃう子供っているよなー」って。結局、大人が無関心だったりするからこそ、子供って究極的にどうするか。って言うと、例の中学生の刺殺事件が起きてしまうことがあるわけで。あまり、やる。って選択肢を取らないだけで、最近、中学生が同級生を刺殺したけど、そういう精神状態を解ってしまうから、まぁ、しょうがないよね。って言う部分がある時点で、どうにも、この作品に対して、そういうところを考えたりもした。
究極的な部分ね。
そこ行くと、本当に、自分は大人に恵まれたんだなーとかも思ったりする。それは、主人公である、しずかが、酷いいじめを教室ですっごいやばいくらいわかっているのに、何もしない教師の描写とかね、ああいうのを見ちゃうと、そりゃ、しずかは、大人を信用できないし、ああいう風になるよね。って思っちゃう。
所謂、学校がいじめを隠ぺいするけど、全体的に、この作品そのものが、そういった現実の学校問題やらの、その批判にも繋がっているわけですよね。こういうことが起きると学校は「皆が仲良くなれるように」みたいな綺麗ごとを言うじゃない?所謂、それを良きことであるような現実を見てない楽観者の言葉を綴るわけだけど、結局、大人も子供を見れないから、わかろうとしない、わかってても面倒くさいから何もしない。って言う、そういう図式も出来ちゃうわけよね。この物語は、そういう部分に対する皮肉なんですよね。それがわかるほど、教師がいじめに対してあまりにも無頓着な描写をさりげなく描いているのが怖い。
ちょうど、これは、ドラえもんに対する大きな皮肉でもあるという。なんやかんやで、学校は楽しいとか、最近だとゆたぼんか。あれで、「学校に行かない、この子供はクソだ!」みたいな意見もあるけど。理由はどうあれ、こういった現実が、彼の通っていた学校に合ったのかもしれないと思うと、学校と言う場所の現実と極めて理想論に近いものを感じる。それを片づけずに理想論の楽観主義に収めようとする部分と言うのは、大人たちの無責任さであり、多くの人が反省しないといけないことでもあるように描いているのが抉られる思いだ。
んで、その教師に変わってタコピーがどうにかしようとしているんだけど、そのタコピーがやろうとしていることも所謂、GTOとか、金八先生における、所謂、楽観的な理想主義者。
要は前にリアルだと、いじめが起きたから「握手させたから仲直りしたと思った」とか「いじめ被害者の悪いところを上げて改善してもらおう」とか頓珍漢な方法で、良くわからない解決方法を掲示するバカな教師っているけど、タコピーのやってることは、それと同じなんですよね。道具を与えれば、なんとかなる。って言う思考と、その根底にあるのは自分がそうだったから、自分の理想や思想を押し付ければいじめは何とかなるとか、喧嘩はどうにかなる。って思ってるタイプの教師だったり、大人だったりするのよ。
前に俳優の谷原章介が中学生がカッターで友人を刺した時の話もそうなんだけど「何で、殴り合いで解り合おうとしなかったの?そうすれば友情とか湧くと思うんですけ思うんですけどねー」ってことを、さも平然と言ったわけ。タコピーのやってることは、これと同じなんですよね。それを押し付けようとしているという。大人の理想は子供たちに万人に共通して通じるたぶん、そこには「自分がそうだったから、子供達もそうに違いない筈だ」という傲慢にして楽観的な合理主義やら、そういう部分を全て詰め込んでしまったのが、このタコピーと言う存在。
現実のバカな教師問題に対する皮肉であると同時に、それは金八先生とか、言ってしまえばウルトラマン80もそうですけど、あれから続く昭和の人間が作った楽観主義の偽善の学園ドラマに対する皮肉なんですわな。
建前だけで生きてるようなドラえもんと、学園ドラマに対する大きな皮肉ですよ。
共感性を持つと、なんとなく、彼女達ほど酷い状況じゃないにしろ、「あぁ、そうなるよね。」ってなっちゃう漫画。ただ、自分はそうじゃなくて生活やらかかっていたので、臆病だったから人を殺せませんでしたがwのちにうちの家族の場合は、そういう部分も解消されたから良いんだけどさ。
ただ、これは、私の場合、そうだっただけで、偉くラッキーなことでもあるんだよなーって崩壊した過程とか、この漫画を見ていると割と真面目に思ったりする。
ついでに、まりなって自分が反面教師にしてる母親によく似てるわな。性格とか口癖とか、そういう部分。
ストレスやら、そう言うのを解消する相手を常に間違えているところとか。どうでもいい話、ヒステリックになったりするまりなの母親が、私が学生時代の頃の母親に凄い似てるのよねー。
余り、胸糞的な部分で気分悪くなったりとか、そう言うのしなかったのって、これで慣れたからかなー。
ただ、児童虐待とか、そう言うのを考えるとさ。
誰もが、この状況になりえるのよな。
最近、五歳の子が死んだ。って言うけど、世の中、ああいう境遇の子とか、結構、いるしね。作中に出てくる、しずかや、まりな、東のような子供ってのはどこにでもいるからね。まぁ、子供って思っている以上に、極限までおかれると何をするかわからない。って言うのは、この世の常ですからね。
何とか、それを理性で繋ぎ止められてはいるけど、この場合は、それが、極限まで追い詰められるとこうなるって言う究極的な例だと思ったね。
そりゃ、現実の教師も親も色々と頑張ってるけど、うん。そういう環境に置かれたシュミレーション的な側面もあるしで。
それと同時に、いい加減な大人がノリとか一時の感情だけで子供を作ることへの重さとか、大人の身勝手さに振り回れて苦しむ子供とか、そう言うのをちゃんと描いているようにも見える。
最近、精神的な子供で身体は大人な人間が子供を産む。
って現象があるじゃん。
自分のように精神的に色々と障害があるようなタイプの人間は子供なんて作っちゃダメだ。改めて、そんなことを思うよ。
それを思い出すね。
この話はフィクションではあるけど、たこぴーと言う存在がフィクションにしているけど、内部にある人間関係は、ある種、この先、もっともあり得るリアルでもある。
携帯電話を持ったことで人間はバカばっかになった。ってメトロン星人が言ってたけど、それはリアルになったようにも思えてくるような、そういう予兆を感じさせる漫画。
スマホとか持ったことで家庭を持った男女が不倫する確率が多くなったとか、それによってネグレクトが増えたとか、そういう話が数多くあります。そういうあれなんだろうね。
限りなく遠いけど、それに近い場所にあったからこそ、ある程度、作中のキャラクターに感情移入してしまったのは、なんだろうねー。
あぁ、そういうこともあるよね。って人を理解しないといけないことの大切さを、そうだわなー。教えてもらったような気がするなー……改めて。
例えば、作中でタコピーが主役のしずかに対して「久世しずかは悪」とかさ言うわけよ。
んで、今までのこともあるから読者も「久世しずかはサイコパス」とか言うけどさー。あの子は世間やまりなに対する憎悪的な感情から言動がサイコパス染みてるだけで一人では何も出来ない子供なんだよね。ただ、自殺するだけだった無力な子供よ。グリッドマンにおけるアカネや武史と同じなんですよ。彼女の精神状態ってのは。
むしろ、まりなが逆恨みでいじめたりしなかったら、ああいう風にはならなかったかもしれないし。寧ろ、まりなが死んで悦ぶのは、いじめられてた子供からすれば抱いてもおかしくはない感情でもあるわけで、彼女が開くなら、東も、まりなも悪なんですよね。誰しもが善悪の心を持っているわけですから、それが些細なことでどっちかに偏ることが多いわけですよね。
しずかは、確かに作中は悪かもしれないけど、それを作り上げたのは、周りの人間であるという皮肉ね。そして、ただの子供なんですよ。
根っこでは子供らしい優しさを持った子であるわけで。
まりなもそうだし。
東もそう。
誰かが他者を悪にも善にも変える可能性を持った恐ろしい存在としても描いてる。
そんな感じで。
楽しいという感情以上に凄い漫画だなーって思ったし、下手すれば自分が作中の人物に加虐的な思想を抱きそうになる恐さがある。
どれか一つでも体験すれば、これは、現実の側面を描いた如実に絵がいた物語なんだろうなーって最新話まで読んでいて思いましたね。ぶっちゃけ、作中の虐待やイジメ描写はYouTubeにある、スカッと系アニメと同じくらいやりすぎで、ある程度のリアリティは感じないかもしれないけど引っ掛かってしまえば現実にありそうな側面の出来事として描くことで共感性を呼べるものとしては過激であればか過激である程に食いつきやすいんだよね。それくらい、あの負の感情が呼び起こすもの、そして、それを呼び起こすトリガーが三人のキャrカウターに起きている事件が極めて現実に近いものリンクしていること。
それによって、どこか嗜虐的なのか、周りや世間に対する不信感的なものが明確に自分の中で大きくなるようなものを感じた訳でさ。
それによって、ツイッターとか見ていると、ストレスが溜まるような現代社会の中でリンクしている辛い事件を描いた、この作品が誰かの、ひいては現代の抑圧された若者の代弁者になってしまっているという事態もあるよなーって。そういうこともあるんですよ。まぁ、あの三人の中のうち、誰かだけに刺さってしまえば、そう勘違いしちゃう人も多いしね。そういうこともあるから、それで世界を知った気になってしまう人とかいそうだな。
だから、ちょっと、ゾクゾクする恐ろしさもあるんよ。そういう部分が、フィクションと言う壁を通してみるから他者の不幸を見て自分が安心すると同時に、どうあがいても不幸になるスリリングな展開に、どこか快楽的な要素を見出す作品にもなっている気がする。
この漫画が絶賛されている理由って、そういうところがあるのかも。
そして、この社会問題をエンタメとして描いていることに対して色々と思うこともあるだろうが、これを機に、そういう問題に関心を持てれば、それはそれでと思う。ましてや、こういう問題をエンタメとして扱ってきたのは、何もタコピーが初めてではないしな。言ってしまえば、そういう昼ドラとか、小説とか映画とかあるわけだし。同時に自分の無力さを感じてしまうからこそ、エンタメにおいて、あのキャラがひどい目に合えば。とか、そういう感情移入もしてしまう。その描き方が、結構、上手いんだよね。
だからこそ凄いとは思いながらも、面白いとか、そういうプラスの感情以上に、恐ろしいと感じてしまうような作品だった。悪意に共感とか、悪意の体験とかさ。
って思ったり。
そして、情を抱いてしまうからこそのなんとやらですわ。最初は笑えなかったけど、一周回って笑えるようになってきたのは、これは、どういう感情なんでしょうかw
と、同時にああいう漫画を読んでると「あ、私、親になっちゃダメな人間だわ。」って思いました(つ・ω・)つ
ンデ、これはそういうリアルを伝えたいのか、現代への皮肉なのかとか、どういう作品として見るのが正しいのか、ってのはいまいち、見えてこないところでもある。
ある意味、反面教師としての部分や、自分と言う人間を見つめた時、親になるにふさわしいかどうかというのを確認するために読むのは悪いことではない気がする。
物語は胸糞で終わるのか、希望のある終わり方になるのか。
それによって、この漫画の最終的な表かは決まると思うので、また、それを読んだら……はい。改めて書きます。
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