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劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編を見て、いろいろと思うあれ。

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「鬼滅の刃」を見てきました。

なんというか感想がさ。

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最終的に「実写の邦画は特撮ヒーロー関連以外はアニメに勝てない。」って思わせるような、そういうことを思わせる凄まじい出来でございましたね。
ってことを実感させるほどのクオリティだった。
鬼滅の刃は、本職の若手声優のトップクラスの連中を集めた部分もあって、そういう意味での本職の声優の演技の凄さっていうのも見せつけた凄い映画でもあったと思う。
魘夢の声なんて、平川大輔の変態性の全力だよ。ゾクリとする嫌悪感の中にすさまじさがあるのであってさ。
あれをよくわからん芸能人がやったら、絶対に如何にもな二枚目で演じて違和感しかねーよ。
これで下手に話題性だけの芸人やアイドルを起用すれば冷めていたとは思う。
それだけ凄いほど、鬼気迫るような声優陣の演技ですよ。いやぁ、凄かったね。
内容も原作の1シナリオではあるんだけど、それを、私自身、まだ知識も薄い中、それでも世界観に没入することが出来る怪奇要素、その中でも必死に生きて人々を助けようとする主人公たち。この登場人物は、こういう生い立ちで、こういう人生を歩んで今、この場所にいる。っていう、その大事なことがすっごい丁寧に描かれていて、しかも、それが説明的じゃないのよ。実は、それは敵の罠であり、その中で主人公たちが生きるために決めたことを中心に物語が進んでいく中で、主人公である竈門炭次郎と、その仲間たちが偉大な人に影響を受け、その思いを受け継ぎ、次の戦いに赴く。
下手な映画の、なんでもキャラクターが説明するような、そういうのがないのよ。ちゃんと、映像とキャラのセリフだけで、彼らは志を受け継いだんだ。
ってのがわかる。
その説明分はないのに、映像だけでちゃんと説明をしている。
違和感がないほど、物語に溶け込んでいる面白さっていうのは、如何に、作り手たちが、この作品に対して誇りを持っているのか。
それが良くわかる作品にもなっていると思います。
おそらく、日本アニメ映画の最高峰ともいえるでしょう。なんか、これを見た後に、スタンドバイミードラえもん2の予告を見ても、正直、( ・ω)って感じだったくらいには、凄いし素晴らしい映画だった。
物語も鬼滅の刃の根本テーマ全体を二人の男の焦点に乗せたお話だからちゃんと一本の映画としてちゃんと成立してるしね。最初に、あの、森川さん演じるお館様の言葉があるんだけど「永遠というのは人の想いだ 人の想いこそが永遠であり 不滅なんだよ」って話があるんだけど、これがとにかく、根幹にある。
これが主軸であるからこそ、今回の主人公である煉獄杏寿郎の生きざまを描き、生きざまに触れ、そして、それは人格的にも人としての成長を大きく促すほど短い時間ながら、ちゃんと描いている部分はすげーなーって思ったね。それを考えた原作者も凄いし、ちゃんと、それを描いたアニメ制作サイドも当然ながら凄い。
どっちも凄い(・ω・)

だから泣いちゃったのよ。(つ=ω=)つ

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。この映画の主役はポスターに映っている煉獄杏寿郎の物語である。


実質、今回が最後の出番であり、この話の主役である煉獄杏寿郎の生きざま、なぜ、彼が、そう人を惹きつける性格になったのか。
え、これで、本当に死んじゃうの?ってなって、まるで、銀河英雄伝説のキルヒアイスのごとく退場が早いキャラクターでござった。
そんな彼の炎のように激しく、そして消えるときは一瞬のような人生でもあったという、あの、ボトムズでフィアナが死ぬ前の予告で「まさに、その名のごとく」ってのがあったけど、それを体現しているなーと。
炎のように激しくチートレベルで強いし、炎のように力強く頼りになって、そして、炎のように明るく人の希望になり人に影響を与え続けて希望になるような人。
だから、本当に強いのよ。
この後、原作の最終決戦だけは読んでたから、そこで、主人公たちは特殊な力を得て強化されるんだけど、この煉獄さんは、そういうパワーアップなしに、今回の最後のスゲーつえー敵である石田彰演じるアカザを追い詰めたから、本当に強い人なんですね。
あの、実は今回の敵である列車の上でやたら格好をつけてた人は、正直、あの、うん。
( ・ω)
まぁ、そいつの話は置いておいて、なぜ、煉獄杏寿郎が、そういう人の希望であり続ける存在であるのかーってのは、そこにあるのは母親が杏寿郎に託した思いなんですよね。
留火さんっていうんですけど。
まさに、杏寿郎のように、その名のごとく、愛する人のために輝き、そして散っていく親子の話でもあると。
良き母親だったのだろうなと、杏寿郎に慕われていた姿を見ているとよくわかる。そんな母親としての彼女の仕事が「なぜ自分が人より強く生まれたのかわかりますか。弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」と、人間としての正しき心構えを説くシーンの後に、人の親として「強く優しい子の母に慣れて幸せでした。」と涙を流すシーンがあるんですけど、ああいうシーン、弱いね。
そんな母親は死ぬ前まで杏寿郎に対して笑顔であり、美しくあろうとしたのだろうというところも見て取れる。
そして、今回の大ボスを倒したと思ったら、そのあとに、それよりもすげー強い敵が出てきて、死闘を繰り広げて、最終的に死ぬんですよ。杏寿郎さんね。
でも、ぎりぎりまで追いつめて、それこそ、そのクッソ強い奴をぎりぎりまで追いつめるんだけど、腹を貫かれて、人から見れば惨たらしい最後ですよ。
片方の目は潰されるしで、骨もおられるしで、そんな中、すげー強い敵が「お前も鬼になれば、そんな傷は一瞬なんだ。鬼になって、俺と一緒に鬼になって武を極め続けよう」って敵すらも、煉獄杏寿郎の強さに惚れ込んで殺すのは惜しいから敵である「鬼」になれ。っていうんだけど、そうならないのは人になるということは、その自分を最後まで散るまで愛してくれた母親に対する、その母親の残した言葉、そこから受け継いだ責務の放棄であり母親に対する裏切りでもある。
ゆえに彼は自分の思いを受け継いでくれる後輩たちを守るために戦うのは、それが彼にとっては母親に対して、そうあってほしいと望んだことだし、そんな母親の期待を裏切らないため。
そして、スゲー強い敵が「そこまでの強さを持っておきながら醜くすたれていくのは悲しい。」と思うほどの男気ってのもある。
激闘の中で、なぜ、自分が人の希望であり続けたのは、その根幹には自分を愛してくれた人の思いから生まれた責務と言うものがある。
だから死ぬ間際に「自分はちゃんとやれましたか?」って母親の霊体が静かに見つめて語っているんだけど、それに対して「立派にできましたよ。」って返すシーン、王道なんですけど、でも、ちゃんと、その王道が成立するほどに彼のキャラクター性っていうのが描かれていたからこそ、泣いちゃう。
家族愛よなー……
思えば、炭次郎が鬼殺隊に入った理由も家族を殺された復讐心からくるものですからね。そこ行くと、ある種、「受け継がれる思い」が全体的なテーマなら、そこには必然的に家族愛も入ってくるんだよね。
だから、意図はしていないんだろうけど全体的な意味で虐待をしている親たちに対する説教のようにも思えてくる。それが重荷になる人もいるだろうけどさ。でも、命を育てる。って、そういうことなんだよな。って確認でもあるんだよ。
人にすれば、杏寿郎の母親の言葉は一種の呪いでもあるけど、彼にとっては、それが誇りでもあったし、それは人として当然の、ちゃんとした人に育ってほしいという親になったものなら、よほどのバカ親じゃない限り、まっとうな親が抱くであろう当たり前の人としての願いなんですよね。ある種、その願いっていうのは作者が思う、人の親になるということは、こういうことなのだというバカ親を含む、全ての親たちへのメッセージでもあるのだと。
そして、その思いを誰よりも強く受け継いだからこそ、杏寿郎は外道に走ることなく気高く後輩たちに思いを託して、この世を去らんとする。
だから高尚なことではなく、人として当たり前のことを母親は望んでいたからこそ、そして、それを全うして死ぬ間際に、母親に褒められた顔だけは、すっごい穏やかな顔をしているんですよ。
そして、その誇りをレギュラーのメインキャラ全員が受け継いで強くなることを誓うという……それでも、戦いは続くのである。みたいな、ジャイアントロボのラストを思わせるような最後が、また泣ける。
一種の死に対する美化のようにも思えるけど、本当は悲しいものなのだということ、だからこそ、惨たらしいほどに肉体にダメージを、これでもかと与えて、この状態になってまで自分たちを生かしてkるえたからこそ、その思いを受け止めて強くならなければならない。これ以上、こういう哀しい存在を出さないために、全ての人が笑顔に暮らせるために。
思えば、そういう鬼滅の刃という話を象徴する、そういう話でもあるんですよね。
人の「永遠というのは人の想い」という部分を伝えるなら、まさに、この話は映画向けであるようにも、炎のように激しく、そして儚く散っていった存在、まさに炎を思わせるようなキャラクターの生きざまを描いた映画であった。

それにふさわしい映画であり、それにふさわしいクオリティ

・利用される炭次郎の家族の絆


一応、あの、主役にも触れておくか。
彼は、物語の一番最初、刀を持つきっかけになった出来事として親を殺されているんです。鬼に。
んで、妹は鬼にされて、一応、人間の味方なんですけど。
今回の序盤の敵であるエンムさん。
それが、あの家族が生きている夢を見せて色々とあるのよねぇ。
いや、まじでさ。
まぁ、そこは見てよ。
家族を殺された中で、家族と一緒に安らかな日常を送る夢を見る。ってのは残酷なんだよね。
そんな残酷なことを味わっているからこそ、夢から現実に戻るシーンのやり取りってのは、ありがちだけど、良いよね。こういうのね。
んで、そのあと、えんむが炭次郎に家族が残酷なことを言い放つ夢を見せるんだけど、それを打ち砕く下りが完全に「飛影はそんなこと言わない」を思わせ、それを部ちぎれさせると、こういうことになるんだなーっていうのを思いながら見たり(=ω=)

こんな感じで、見どころもいっぱいです。

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やはり、これだね。
「あ、映画を見ている。」って思わせる。いや、これ連続のテレビアニメ系だし、その一節なのに、そこまで思わせる。って本当にすごい。
ついでに、200億を突破したようですし。
あの、原作には短いけれどちゃんとした百合要素もあるので、アニメ版でもちらっと百合要素のある姉妹を出しているので、それもよいです。あのテレビ版を見て、そして、この映画を見てからテレビ版を見て、そして、また、この映画を見る。
それが良いと思う。

ついでに、このヒットに苦言を呈する所謂、邦画の業界人ども偉そうに私レベルで中身のない批判をする人がいるだろうけど、そんな業界人連中は個人的に、この映画を百万回、見るべきよ。
むしろ、この映画を見て、まだ特撮ヒーローを除く現状の実写邦画のがクオリティは高い。っていうのであれば、それはもうダメでしょ。これを見て何も感じなかったら邦画業界は完全に腐っているんだろうなーってのも思えてくる。
シン・ゴジラや「君の名は」がやった時だって、邦画連中は「たかだアニメで、たかが怪獣映画」と見下して、どれだけ売れても変わろうとしなかったから。
個人的に鬼滅の刃、素晴らしい映画だった。
今年、一番だった!
って思える映画なんだけど、それでも、この200億を突破した現状を見ても邦画業界は変わらず、相変わらず漫画が原作のセンスのない実写映画を作り続けるんだろうなーと。
帰りの電車の中で、思いましたね。
うん……
これじゃぁ、いつまでも韓国映画に勝てやしねーよ。
だって、そういう連中が邦画全体のシステムを変えるために何かをしているか?っていうと、何もせずに政権批判してんだもんw
ばっかじゃねーの?ってなるし。
映画の芸術性と言う名のエゴを押し通そうとしてエンタメ的な心を忘れて「鬼滅の刃」が売れたら「なんで、俺の芸術性が高い高尚な映画じゃなくてアニメが評価されてるんだ(かなり悪い要約)」をしている嫉妬心全開(拡大解釈)の映画監督も出てくるしなー。それを忘れちゃおしまいよ。メッセージ性、芸術性と言う名のエゴを押し通して評価されるアニメや特撮ヒーローを鼻で笑って反感を買い気づけば観客からそっぽ向かれたのが邦画の今だし。
そこでさらに改革改善もせずに永遠に政権批判している最中に、アニメと特撮ヒーローは成長して、どんどん、実写邦画の世界を突き放していくんだろうなーと、そんなこと考えて帰りの自転車に乗っていました。
そもそも、あの映画館についたときに思ったんだけど、今の邦画を色々チラシとかを見たけど、大方、恋愛系、見ると疲れそうな社会系、どうでもよさそうな見ると疲れそうな家族が荒波を乗り越える系とか、そういうのばっかなんだもん。
如何にもポスター見てるだけで疲れそうな映画だから、なんか、その時点で見に行く気がしなくなる。なんか、ね。特撮ヒーロー系やアニメのように「あ、楽しそう。」って思えないんですよね。明らかにかけているのが「あ、この映画、なんか、暗そうだけど見たら面白いんだろうな。」って思わせるような力を感じないなーって邦画の予告とか見ていると思うね。
そんな話は置いといて。

本当に鬼滅の刃の映画は楽しい、面白い、素晴らしい。
・お話もいい
・作中の人間ドラマもしっかりしている
・アニメ映画としてのクオリティも高い

の三拍子がそろっておりました。
私の見た「鬼滅の刃」って映画は本当にすごいんだな。って今、なんか、実感している自分(=ω=)
まじめに、前知識がなくても楽しめる映画だったので、おすすめです。

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