2019.11.16 Sat
GODZILLA を見直す。
今月の9日に、アニゴジ完結1周年を迎えて、無意識のうちに、アニゴジを、その日、怪獣惑星から一気に見て日曜にパレードを見ないで、プロジェクト・メカゴジラとかを見ていたんですけどね。
「GODZILLA 怪獣黙示録」
「GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ」
何て、小説版もあるんですが。
まぁ、これは本編で地球を脱出する前の地球人があれやこれやで、もう『人類滅亡特急列車。こちらが怪獣惑星への直通便となります。』の名の通り、凄い小説になっているので、これは是非とも読んでいただきたい。ドゴラや、カメーバやら、懐かしの歴代の東宝怪獣がオールスターで登場してヤバいことになって、更に、この状況だから人間の倫理観もぶっ飛んだ、すっごい面白い作品になっていますので。
機会があればレヴューはしたいんですけどね。
さて、まあ、それはおいといて、もう、ガイガンの設定とか狂ってるとしか思えないのに泣けてくるんですよwいや、どういうことよ。ってなる人はいると思うけど、それは読んで欲しい。
そもそも、この設定のガイガン自体がかなり原点とかけ離れた存在なので、でも、もしかしたらオリジナルのガイガンもこうだったのかもしれないという、そこ行くと、こうガイガンの見方が一気に変わってくるのでね。また、あのジェットジャガーが意外な形で降臨したりと、そういう意味でも魅力的なんです。
プロジェクト・メカゴジラで見せた描写でさ。真に合理的すぎるものは人間の倫理観からすれば狂っているモノが多い。
さて、まぁ、アニゴジ。
三部作ですね。
まず、基礎知識としてゴジラに勝てない地球人としてブラックホール第3惑星人をモチーフにしたビルサルド(母星は惑星軌道上にブラックホールが存在するはくちょう座V1357系第3惑星「ビルサルディア」。過酷な環境を生き残るために母星をナノマシンで管理・維持しようとしたが失敗し、ブラックホールの脅威によって故郷を追われ地球へ飛来する。)、X星人をモチーフにしたエクシフ(かつては繁栄を極め未来すら見通す科学を手にしたが、有限の宇宙には「永遠など存在しない」という結論に達してしまい、滅びの果ての安息と栄光を求めて10万年前に母星をギドラに差し出した)が出てきたりします。
しかも、地球人の味方として。
地球人代表の主人公ハルオと、エクシフの代表としてのメトフィエスの物語と言ってもいい。
しかし、このような状況で人類同士が手を組んでも、宇宙人と手を組んでも、人としての民族種族としての業が未熟な地球人を翻弄すると同時に、また、その二つは、地球人の未来としても捉えることが出来るのが面白いところ。
そして、怪獣惑星本編にはモスラを神とする人類の生き残りであるフツア(地球外惑星移民計画の選別に漏れて地球に取り残された人類の子孫がモスラの遺伝子を取り込み適応して誕生した種族)が出てきたり。
第1章『GODZILLA 怪獣惑星』
第2章『GODZILLA 決戦機動増殖都市』
第3章『GODZILLA 星を喰う者』
の三つになってます。
まぁ、色々と残念な部分はあります。ネットでの酷評も、まぁ、そういう部分もあるけど、そこまで酷い話ではない。言ってしまえば、話は実にスタンダードで今の地球が人間に奉仕する存在なら、その地球が人間ではなくゴジラに奉仕をしたら?そもそも、この世界は間違いではないのか?
人間の歴史や文化は間違ったものを生んでしまったからこそ、ゴジラが生まれてしまったのではないか?では、もしかすれば、この人類は……現実は?
と、非常に考えさせられるものになってます。
第一章は人間の持つ思想であり、第二章は人間と科学(ビルサルド)とどこまで共存するのか。
そして、第三章は人と宗教(エクシフ)は、どこまで向き合うべきなのか。それを描いているようにも思えるアニゴジ。
最終的に人が健やかな進化、業を捨て去るのなら、それは文明の廃絶を意味させるようなラストはアニメゴジラの世界。
でも、人は、それが出来ないから科学や宗教を妄信する。人の行きつく先はビルサルドであり、エクシフでもあるという暗示を感じさせる。
ビルサルドもエクシフも行きつく人の可能性の一つであり、人は、まだ、その時点に達していないから選択する自由を与えられているわけで。
だからこそハルオ達は、その先を見てしまったからこそ業をゴジラに払ってもらう為に捨て去り、人をフツアに導く道を無理やり選択させたのだろうとも思う。
常に第三者視点で物語を考察していたマーティンですら、ヴァルチャーが動くと理解できたときはビルサルドと同じ道を辿るような言葉遣いを持っていたしなー。
ゴジラを倒すために人が、ゴジラになれば、それは、また怪獣黙示録の時代を創り上げるという暗示でもあるのが良く分かる。
結局、ひとの創り上げた化物は、人の知恵でどうにもならんのだ。
人として、人のままゴジラを倒して地球を奪還しなければ意味はない(つ=ω=)つ
全てを合理的に進めてしまえば、それこそ狂気の沙汰でありビルサルドになってしまうから。
でも、この怪物を人のままでは倒せないからこそ、神を呼ぶ。って流れは好きですよ?
人間が自分で作った信奉できるものが全て破壊されてしまえば、もう、神を呼ぶしかない。
未知のものに頼るしかないという、人間が辿る狂気の流れを良い感じに描いているんですよね。
これって、何に似ているかと言えばウルトラマンに通ずるものがあったりと。
結局、神は何をしてくれるのか?と言えば、祈ったところで何もしてくれない。人は無力であり流動的に神に祈った後の死が救いだと思い込んで消えていく。
この流れが上手くギドラと重なっているのは上手く人間の心理とゴジラを重ねたと思う。
苦痛としての死を如何に祝福に変えるか、それを宗教に変えたのが、エクシフなんですね。
最後の最後にギドラの呪詛をメトフィエスが吐くことでハルオは死を選びフツアにハルオを渡すこと無く、その心はメトフィエスのものになったのだと思うと、それは、ある意味、メトフィエスは勝者なのだと思う。
彼等にとって死は敗北ではなく祝福なのだから。
科学による人間の進歩が、本当に正当な進化なのか?と言うのを問いただすアニゴジ、そこまで酷いという作品ではないと思うと、改めて思った。
そんなかんじで、どうっすかね?
主題歌とかかっこいいんだわ。
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