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どろろ #20

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時代は飢餓……それが当たり前。
景光の目的を思い出してみましょう。なぜ、鬼神に百鬼丸の肉体や、その他もろもろを捧げたのか。それは、この飢餓、貧困、幸福の為に一人の息子を差し出した。
これに対して原作だと、ただ自分が天下を取りたいから。ていう理由……そうして、まぁ、原作は置いといて。
さて、今回で初登場、賽の目の三郎太。原作では強者を求めたりとか多宝丸がいない代わりの百鬼丸のライバルとして用意された感がやばいキャラクターなんですが。
さて、まぁ、また、靖子らしいというか、この時代らしいサイコパスなキャラクターとして……しかし、化物には歯が立たないからこそ自分だけでもということで助けを求める母親を切り裂いて再登場ですね。ちなみに、彼の背景は原作だと良く分かっていません。単に天下取りたい。ってだけの天下馬鹿です。
親を食われて虚しくなったから、ここを通る人間を鵺に食わせてたとか。
さて、まぁ、後半はライバルなんですが影が薄いんですけどね。
でも、ここは、そういう人生の歴史を与えることでえぐいものとして響かせる。心を響かせるもの、それは自分を小ばかにした人間たちが仇を討とうと出たのに殺された連中も、全てが同じ。
しかし、百鬼丸は、それでもひるまないどころか、圧倒するわけで。
それが気に入らない、自分と違う異質さを感じてしまったからこそ、妖怪に食われたことで強くなり圧倒しようとする姿。所詮、人は自分と同じ。
そう思っていたのに、百鬼丸だけは違う。
百鬼丸の強さは絶対的な己の肉体を取り戻すという思いと、どろろを守るという思いが強いのです。
だからこそ強い。
それが、彼の唯一の本当の武器なわけで。
三郎太は消える前は、百鬼丸は人間ではないから強いと確信したけど、それは魂に鬼神の影が見えたからと言う絶対的な理由ではあるのだが。
しかし、百鬼丸が強い根本的な理由は、そこではないということに気づけない、それは三郎太の人生が支柱であり、生きがいであったからこそ。
では、あるのだが。
確かに、百鬼丸は人ではなくなっている部分はあるよね。
その魂、穢れているような気がする。
さて、まぁ。
しかし、多宝丸が生きている現状、正直、三郎太はいてもいなくてもどうでも良いし、鵺に食わせた展開は、それはそれで。って感じやね。
さて、まぁ、化け狐を倒したことで体が戻らなかったように、今回、身体が戻りませんでした。
その要因が醍醐景光であると知った時に、瞳に憎しみの炎を灯らせて、まさに鬼神の如く向かう百鬼丸……
何か、本当に鬼神になっていく百鬼丸を見ていくのは皮肉だなぁ。
多宝丸たちが人ではない存在として百鬼丸を鬼神と呼んだり、寿海の言葉を振り切って今回の件を得て心に憎しみの炎を灯す百鬼丸の姿が鬼神にしか見えないのが皮肉だなぁ。
まさに、三郎太の言ったとおり、百鬼丸の心は……憎しみによって鬼になり始めているのです。
永井豪版のどろろで化物になった百鬼丸が出てくるけど、本当に、そういう展開になりそうで怖いし、ちょっと心配する。

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