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『機動戦士ガンダムNT』

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ガンダムの世界で生み出されたニュータイプ達が起こしてきた奇跡の神話を皮肉るような物語……
が、全体的なテーマだったような気がする。
いわゆる、フォウ・ムラサメとか、ロザミア・バダムとか、そういうキャラクターに思い入れがあると、この話は好きになるかもしれない。
機動戦士ガンダムNT、見てきました。
少年少女の間に襲い掛かったニュータイプであるが故の悲劇と、俗物的な大人の勝手な都合に振り回された被害者であり主人公でもある彼等の視点、ガンダムの世界の根幹である奇跡の力を持ちながら結局、殺し合いの道具にされる悲劇性のテーマが一貫してよかった。
最初は、もうガンダムはいいよ。って感じで気乗りはしなかったんだけど中盤のリタとヨナ、そしてミシェルに降りかかった悲劇の全貌が明かされる度に戦争で犠牲になる子供たちと重なって辛さや、そういう部分、ガンダムの世界だから描ける犠牲の描き方に感情移入しちゃってずっと泣きっぱなしでした。
そして友人を助けるために動いた子供ならではの浅はかな感情から生まれてしまった悲劇、それをどうにかする為の己の贖罪。
登場人物は多くあれど基本は、ヨナ、リタ、ミシェルのドラマであり、同時に、強化人間でシャアの失敗作の烙印を押されたゾルタンの悲劇が彼等とダブってしまう演出も良い。
そして成熟しきっていない人類がサイコフレームや、Ⅱネオ・ジオングなんてものを持っていても人のエゴに満たされている世界の中では破滅にしか繋がらない愚かさ、その愚かさゆえに起きた物語であるというのが見ていて辛い。
対応できる人間がいても、そこには悲劇しかない虚しさを常に物語が訴える。
とりあえずガンダム的な細かい設定は置いといて三人のドラマと、これまでのガンダムのナラティブ、つまりニュータイプが起こしてきた神話的な奇跡の裏で危険視しつつも、それを見ても争いをやめない愚かな人々、それを兵器に利用しようとする人々。
神話を継承することが起きても結局、傲慢な人間は変わることなく奇跡の力を兵器として運用しようとしてしまう。
ゾルタンの「オールドタイプが理解するのは現象だけだ!奇跡を目にしても、その本質を学ぼうとしない。人は変わらない!これからも、俺やお前らみたいな人間が奇跡のために切り刻まれる。」これが物語の本質そのものだろうと思う。
クワトロ・バジーナのダカールの演説から、初代ガンダム、Zガンダム、ガンダムZZ、そして逆襲のシャアのニュータイプが起こした奇跡のシーンをトレースしながら、そのあとに諄いほど描かれるヨナ、リタ、ミシェル、そしてゾルタンの哀しみと孤独が各々のガンダムの名シーンの皮肉として描かれてる。
ガンダムの世界では常に奇跡と悲劇は表裏一体で、その裏で振り回される年端もいかない望まぬ道を受け入れざるを得ない少年少女のやり取りというのは胸が痛んでしまう。
そして「これがガンダムのテーマの本質」そのものであったことを述懐して涙してしまうんだよね。
非常に狡いが効果的なんですよ。
一本の映画だから上手く纏まっていたような感じがする。だからこそヨナ、リタ、ミシェル、ゾルタンの四人の中のドラマがニュータイプや、サイコフレーム、人間の業と言った舞台の上で踊るような感じですね。
それに対して何もできない、何も知らない大人たち、そこには悲劇しかないんですけどね。
でも、そこには悲劇の中で常に前に進もうとする少年少女たち、そして理解してくれる大人の温かさと、変わらぬ三人の愛や、ゾルタンがヨナ達に向けた理解する心。ハマーンとシャアでは成し得なかったことをすることで悲劇でしかないガンダムNTの世界に希望の奇跡が訪れるのは、ある種の皮肉にも感じた。
なぜ、これを皮肉に感じたのかと言えば、ガンダムを知っている人からすれば、結局、この奇跡を起きてもザンスカール帝国や、マフティーの処刑、クロスボーンバンガードの大頭は免れないから。
結局、ニュータイプが起こす奇跡というのは人の温かさであるけど、これが、物語の希望でありつつも後の悲劇を知れば色々とね。ガンダム的な奇跡が起きても羽根を捥がれた鳥のように、ゾルタンの言葉の通り、その後の世界は悲しみに満ち溢れてる。
その哀しみを象徴するようにフェネクスの中で大事な二人を失ったヨナの孤独と虚無の表情は、まるでガンダムの世界の虚無感そのものに感じた。
ガンダム的な奇跡の人の温かさは、同じ世界の人間の冷酷さによって相殺されて、これはガンダムのテーマの根幹そのものであり、現実世界のすべての人の持つ業そのものである。アムロから始まったニュータイプ神話の中で起きた奇跡と悲劇。決して創作の話なのではなく、人の心の中にある問題としても十分に受け取れることが出来る辛さがヨナ、リタ、ミシェル、ゾルタンの辛さに繋がってしまう。
それゆえに神話を意味するガンダムNTってタイトルは実に見事な絡め方だし、ガンダム的な奇跡と悲劇を取り扱い終始一貫して両立させて終わらせるというのはですね、あ、これがガンダムなんだよな。って改めて思いました。
4クールだとぶれることもあるから、一本の映画で主要核である四人のドラマを上手く纏めてドラマの濃度を最大まで上げた実に最近のガンダムで言えば、一番出来が良い気がする。
そして最後に、それでもと足掻いて「可能性」を信じたバナージがフェネクスに取り込まれて虚無の世界に落ちそうになったヨナを助けて物語を締めくくるけど、ここでバナージが来るというのは、あのラプラス事件の中で人の可能性を体現した彼だからこそ、彼が来たからこそ、ある意味では奇跡を起こしつつも自分の大切な存在を失ってしまった、奇跡と悲劇を両立させた体験をしてしまったヨナにとっての救いだと思いたい。
そんな感じで、アムロの最後とか、フォウとか、カミーユの精神崩壊とか、ハマーンの孤独とか、エルピー・プルやプルツーのラストを思ってからのガンダムNTの物語を見てしまうと自分は物語の中盤、特にニュータイプ研究所で徐々に悲劇が明らかになっていく部分から泣きっぱなしでした。
ガンダムはもういいよ。
って思ってたけど、やっぱり、ガンダムは良いな。
って感じになってしまった。
それだけ、ずっと泣きっぱなしでしてね。
リタの「生まれ変わったら鳥になりたい」って言葉から、フェネクスが翼をはばたかせるように現れるのは……色々と思うよね。
いや、泣いちゃったなー。
エンディングでLisaの唄うバラード調の「NARRATIVE」の歌詞がガンダムという世界の中で振り回されるニュータイプと呼ばれた少年少女たちの思うガンダムの世界を皮肉りながらも”可能性”を信じたガンダムの裏と表の世界を歌ったような、そう言う感じがした。
歪んでしまったジオニズム、狂言回し的な存在でもあるけど、ガンダムNTの話そのものとガンダムの世界そのものを実に的確に捉えているのがゾルタンそのものだから、なんかね。
「進化なんて、そんな簡単なものじゃない。」
って部分が実にガンダムだなと。
ゾルタンが凄い好きなのよ。
以上。
ガンダムNT、期待はしていなかったけど、正直、思った以上に楽しめたので、まぁ、見るのもいいんじゃないですかね。
Lisaの唄う「NARRATIVE」が流れた時はもう画面が見えないほど泣いてた。

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