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ウルトラマンコスモスは本当に慈愛の戦士?


そんな感じで、ウルトラマンコスモスのレビューってわけでもないけど、最近、特撮ファンがツイッターで、まぁ、一部のファンが言う「コスモスは慈愛の戦士ではない!!」っていう言葉。
まぁ、私の場合は、ただ、コスモスという作品に対して、あれだし、オリジンサーガや、ギンガ、サーガ、まぁ、最近は慈愛の戦士なんて言われるようになってきたんだけど、ちょっとコスモスという作品が苦手な部分があるんですが、そこも敢えて、今、見直すことの大切さとか、そういうのを考えて再び見てみることにした。
数年前の感覚だけで、あたしも、色々と言っていた部分もありますし、改めて見直してみようとか、そういうことを考えてみたわけです。よし。
じゃぁ、ウルトラマンコスモス、改めて劇場版一作からいろいろと見なおしてみよう!そういう気分ですよ。理想の押しつけとか、そういう風に考えていた時期もあったのでね。そういう意味でも、これは有意義な時間になるはず!そう考えた訳よ。
んで、久しぶりにウルトラマンコスモスTHE FIRST CONTACTを見終わった時なんだけど、こんな感じだったっけ?って部分が結構強くて、今、戸惑ってる。
ステレオタイプの軍人とか、まぁ、そういうところね。でもウルトラマンと出会って人として成長するムサシの少年時代の成長物語としては結構好き。
まぁ、そういう映画じゃない。っていうのは解ってるしさ。
少年が夢と共に成長して大人になる段階を踏んでいく物語っていうのも解るんだけど、でも、思えば、そういう部分がコスモス全体の過剰な理想主義の押しつけ的な部分に繋がっていったようにも思います。
TFCから、その兆候はあったんだなー
ただコスモスにおける怪獣の「人間に害を及ぼす可能性はあるが、基本的にコミュニケーションおよび共存が可能である存在」ってのは、どうも現実的ではないというか、そういう部分を感じる。
都合よく捻じ曲げられた、なんとやらーみたいな。ウルトラマンXの方が、ここの怪獣の描き方としてはリアルだったんだよね。だから、こっちは、理想的すぎて、ウルトラマンXは現実的すぎるのが個人的にダメだったのかもと思いましたよ。
ムサシとしてのカウンターがフブキなんだろうけど、それコスモスの中で上手く行かされてるのかなー?っていうと、そういうことはない(つ=ω=)つ
帰ってきたウルトラマンの郷さんと岸田みたいな、そういう感じ(つ=ω=)つ
んで普通にフブキ隊員の扱いがぶれてることとムサシのカウンターとして活かされてないこと以外は結構、楽しめてるー(つ=ω=)つ
基礎はちゃんとウルトラマンしてて、そこは結構、印象変わって面白かった(つ=ω=)つ
ただ、関係は、コスモスは防衛隊がロマンチストのムサシ、リアリスト(?)のフブキ、ムードメーカーのドイガキさんで良い感じに男性陣は成り立ってる感。
フブキ隊員、ムサシのカウンターでリアリストという部分を生み出したのは良いとしてもあまりに現実主義者過ぎると視聴者の子供たちに嫌われるかもだしで、結構、脚本陣が苦戦している部分が見えてるのが手に取るように解っちゃうのが(つ=ω=)つついでに脚本のせいなのか、フブキ隊員が単なる嫌な奴にしか見えなかったり、なんか違う存在になったり、どっちなんや(つ=ω=)つってなるしね。コスモス、怪獣保護に対する問題とか、そういう部分が扱われない話は普通に面白くて徐々に好きになっていく感じ。
ただ、今、コスモスは見直してよかった。って、そういうことは思ってる。結構、昔と今で印象が変わる。
一筋縄ではいかない怪獣保護や、その他の問題における、その難しさから始まるムサシやチームEYESの成長物語とかね。
改めてちゃんと見直すと楽しいと今、実感してた。コロナ、かっこいい。しね。
それで、コスモスの問題っていうのは。
所謂、批判サイドにステレオタイプの奴を出すことによって不快感を出させることで主人公サイドの疑問符が強くな部分すらも正しいという錯覚に近い見方を与えてしまうのがコスモスの残念な部分である気がする。
それがコスモスの理想主義の押しつけやそういう部分に繋がった感じでガイアとウルトラマンXの差と思う。
そして恐らくコスモスが慈愛の戦士と呼ばれることが気に入らないファンの心理としては、このエリガルや討滅される敵との戦いから来るものがある気がする。
コスモスってステレオタイプの批判サイドの人間が出てこない話って本当に面白い話が多いのに、こういう連中が出てくる話は凄い残念になってしまうのが辛い。
エリガルの話とか凄い面白いのに前半に出てきたステレオタイプの記者の連中のせいで、話の面白さのバランスが崩れてる感じがする。
ウルトラマンコスモスの理想を否定するのがいつも説得力に欠けるステレオタイプの人間ってのは、やっぱり疑問を抱いてしまうし色々と響く。いや、この話だとなんやかんやであれだったけど。
えてして、ウルトラマンコスモスの主役サイドを批判するステレオタイプの人物が出てくると批判する人間が全員、そう見えちゃう部分が辛い。
ムサシのロマンチストな部分とフブキのリアリストな部分の対立がちゃんと描けてたら、ドイガキ隊員のコメディリリーフ感はもっといい感じに話に作用したのではなかろうか?って思う。
フブキはリアリストな部分はあるけど、この中盤辺りからはリアリストとしての側面が弱すぎる部分がある。
33話は、そういう部分の反省点において論理的ではないものの過去の経験から怪獣を憎む人間を出すのは良かったと思うの。
コスモスを慈愛の戦士と呼ばせたくない人間の心境の一つとしては最終回までのカオスヘッダーに対するコスモスやEYESのメンバーが見せる憎悪に近い感情が影響していると思う。コスモスが慈愛の戦士と言われつつも、それを認めようとしないところはOPの歌詞で「本当は敵なんていない」って言いつつも解りあえない敵とかは殺してしまっている部分も、またデカいと思う。
所謂、そういう部分が反発を招いてしまうところなんだろうなーってのは感じてる。面白い話は多いけどね。
でも、これは仕方のない部分もあるような気がするけど。
優しさと真逆の位置にいる存在だからってのもあるだろうけど。
33話は過去の経験から主人公サイドを批判する人が出て来る、この話にしては珍しいパターン。色々と難はあったけど改心する切っ掛けをムサシが与えたのは良かったわ。
ここでリドリアスでも呼んでナガレを助ければもっと説得力は出たと思うけど、うーむ、惜しいけど良かった。
炎の中の変身、良い。
そして終盤。
コスモスが傷ついたことで戦いそのものにムサシが疑問を抱き、そして最終的に慈愛の戦士と呼ばれる行動を起こす、この終盤の展開は良いな。って思った。
「コスモスを助ける為なら悪魔に魂を売る。」って台詞はかっこよかったし、その思想だって理解はできるから、その彼らの非情の決断に感情移入するけど、結局、暴走してしまうのは悪魔に魂を売った結果がこれだよ!(・ω・)
っていう、そういうアレ。創作上のお約束だよね。こういう展開は。
コスモスの最終回近くの話は「血を吐きながら続ける哀しいマラソン」をしつつも止められない人とコスモスカオスヘッダーの憎しみしかない現状を取り入れつつ描き、そこでムサシの理想論が初めて虚しくこだまする。
慈愛の戦士と呼ばれるまでの境地に辿り着くまでの険しい試練の道であるとも言えるね。
そして最終的についでに常に理想と感情論で突き進もうとするムサシに対してのリアリストなりの考えを持つフブキは良い感じのカウンターにならなかったのは惜しかった。
それによって、ムサシに柔軟な現実を取り入れた思考を取り入れることが出来なかったのが、ガイアとの決定的な差を生んでしまったような気がする。
さて、結論としては。
そもそもコスモス自体、カオスヘッダーの根絶のために来訪したりしたわけだけど、確かに、ここの時点だと慈愛の戦士としては「?」ってなるだろうけど、それからムサシとの出会いによってコスモスも人に教えられて学びながらの最終回があるんだと、そういうことを思いますね。
救える限りの存在は出来るだけ救えるようにしてるし明確な悪意を持った凶悪な存在だった場合はあまり殲滅を躊躇はしないのは、それは一個の生命体として当然のことであるとも思うし。
ただ、こういう部分しか見ないで「コスモスが慈愛の戦士と呼ばれるのはおかしい」っていうのはお門違いだと思う。
「怪獣保護」の信念を掲げながら、感情と理想を貫きつつも迷いながら走り続けるムサシに敬意を表すと同時に、そこから彼の信念を学んできたのがウルトラマンコスモスという存在であって、最終回、ムサシからの信念を学びカオスヘッダーを浄化したコスモスは確かに慈愛の戦士と言って良いと思う。
OPの歌詞はムサシの心の迷いを捉えた歌であるとするなら、ウルトラマンコスモスという、このテレビ版の物語は彼が「真の勇者」、つまりこれから「慈愛の勇者」と呼ばれる存在になるための必然的な試練であるとカオスヘッダーの浄化を持って彼らは試練を終えたのだと改めて視聴して考えましたのよ。
コスモス「君には本当の愛の心を教えてもらった。」
ムサシ「貴方がいてくれたから愛と強さと勇気を教えてもらった。」

つまり、こうしてコスモスもムサシから人の持つ不完全でありながらも無限の可能性を持つ愛を教えてもらうことによってコスモスは、ここで真の慈愛の戦士になった訳ですよ。
改めて初期から続いてきたウルトラマンが人から怪獣や宇宙人に助けられるという、この往年の流れが学びに昇華することによって、ウルトラマンコスモスというヒーローが、こうして、慈愛の戦士になっていく初代からの伝統がこうして活かされるのは「あ、見事だな。」って思ったし、良いな。と思った。
怪獣の保護から発展したムサシの慈愛の心がコスモスに影響して最終回を産んだけど、やっぱり、その段階に至るまでの、主人公サイドとは真逆のタイプの人間をぶつけて成長を促すということに関しては正直、やっぱ、これは失敗した部分であると思う。それが唯一成功したのはヘルズキング改の話だけだし。
主人公サイドを理想論だなんだと笑うのは皆、極端な思考を持ったタイプの人間なんよ。
EYES以外の人間でムサシの思考に影響を与えたのは例外で、怪獣に妹を殺された彼や、コスモスを助ける為なら悪魔の手を取ると口にした司令官。しかも前者はムサシに動かされて影響はせず、促したのは後者のみ。
これは昨日一昨日、結構、語ったので割愛するとして、そういう部分を含めても普通に良作である方だとは、あたしは思う。
改めて見ることの大切さだよね。
そうしないと、いつまでも、自分の中でウルトラマンコスモスに悪印象を抱いたままだったし、そういう点でも見直して非常に有意義な時間だった。
やっぱり残念な部分はあるし、そこに対して許容は出来るのか?っていえば出来ない部分も多いけど、その分、色々と自分の中の、この作品の評価が大きく変わったのは良いと思う。
んで、コスモスは慈愛の戦士?
っていうと、確かに、彼は最終回で慈愛の戦士になった。
つまり、ウルトラマンコスモスのテレビシリーズはコスモスが慈愛の戦士になるための物語だったわけです。

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