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『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA』第10話 「はなあらし ~花嵐~」

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前にクイーンベゼルブとサイキの平和の思考の違いと、そういうのを説いたと思うんだけど、本当に、そういう感じだった。クイーンは操られているというよりも、サイキを利用して己の考える世界の平和を実現しようとしているのでは?と、思いました。
クイーンは完全な闇で戦神は光。
やっぱり引っ掛かりを覚えたのがベゼルブが一話で行った無抵抗な人間をクグツで突き刺して殺し合いをさせた処が、サイキの意図する部分とどうも相違があるからこそ気になる訳で。
クイーンの場合はクグツで操り自分たちの種族以外の崩壊を狙い平和を築く。サイキの場合は全ての生物をクグツで満たして一つにする。
「人は知恵の実によってー」って台詞があったけど、それを狡猾に利用しているのがクイーンである可能性も否定は出来ない。クイーンはサイキの平和への強い思いを自分の平和を作ろうとしてるかも。それが種族感が違う自分等には正常でも他者には歪な形に見える平和なのかもしれない。
しかし、どうしても、ここまで来るにはサイキの平和を掲げる理念の説得力が足りない。って人も多いと思う。
前にも言ったけどギャラクトロンに故郷をぶっ壊された。とかなら、物凄い説得力があるんだけど。後、2話で語ってほしいなー。#オリジンサーガ が最高の作品になるためには、どうしてもサイキの理念は必要なの。
クイーンの毒にやられている。何てことはないんだろうけどサイキにとってクイーンは戦友、道具とか、そういうものではなくどっちかっていうと信仰対象に近いものだと見ていて思う訳で。
あの能力によってクグツによる魅了されすぎたからこそ、そういう平和の念を抱いたとも思える。
時に信仰が人を破滅に導くなんてのは此れまでのカルト宗教や、そういう部分でよくあるケースだしね。サイキとクイーンの関係は相互関係に見えて、そういう部分が強いように思える。
現実だとアイドルが良い見本。絶対的な力を持つ存在に魅了されて狂っていく典型的なパターンかも。
でも人と他人が完全に分かり合えることが無いように、クイーンとサイキだって互いに似たような平和への念を抱いているからと言ってクイーンとサイキの目指す先にあるものが必ずしも同じではない。
それが、これまで見せたサイキが驚くほどの行動を見せたクイーンの行動にも繋がる。
ついでにクグツを受けた存在は、実はベゼルブになっていくのではなかろうか。とか、考えていたけど、後、2話でやるにはあまりにも時間が不足してるし、それはないだろうなーとか思う訳でー。ただ、クグツを宿した者同士が戦うと毒素が上がるって設定は、そういう伏線だと思ってた。
体全体に完全にクグツが回ったらベゼルブ化とか、なんか、そういうの。そういって、クイーンは子供を作ってきたのではなかろうかーとか思ったねど、そういうのはどうも無さそう。んじゃぁ、クイーンからベゼルブはどっから……とか、そんなことを思ったりしたんだけど。不明やね。
クグツ自体が毒であると同時にクイーンの場合は、それが卵子に近いものなんだろうなーって考えてた。それが生物の血液か何かと重なることでベゼルブが生まれて体内から食い破ってベゼルブが誕生とか思っていたんだけど、流石にグロいし……無いか( ・ω)
無いだろうなー
改めて思うクイーンとサイキは同じベクトルで動きつつもゴールが全く違う恐ろしさが、寧ろクイーンの怖さを表している訳で。
サイキは歪にしても純粋な平和だとしてクイーンの場合は自分の種族が栄えること、それに対して自分たち以外の種族を餌か道具とみている部分もあるしで。
話がずれた。果実が無ければクイーンの毒は絶対的な力なわけで。
そして、これでサイキの平和の念へと繋がっていくのも解るとして。
やっぱり絶対的な信仰に近い関係って言うのは人を狂わせる部分があるのかもね。カルト宗教のニュースの特集で出てくるよく似た信者に似てるし。
んで、やっぱり、そこで必要になるのはサイキのきっかけなんだよね。いや、今のままでも面白いけど、それでもサイキの過去は視聴者の想像に任せちゃダメな部分。
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藤宮のように平和を導くための計算をしていたら、似たようなことができてしまったのだろうか。とも考えるんだけど。
「野蛮な方法でしか解決できないなら知性はいらない。」って言うけど、これ、寧ろ、人が知性を持ってしまったからそうなった野蛮になった気も。知性にも光と闇があるしね。そこ行くと、サイキの目指すのは聖書の最初期のように無知なアダムとイヴのように人を後退させたいのかもね。
知性の闇が兵器を作ったりしたのはよくわかるだろうし。
ついでに行ってしまえば、これは、聖書をモチーフとした部分も #オリジンサーガ は結構あるわけで。サイキの遠回しな知性と自由意志の否定は、そういう部分のモチーフもある気がする。
「地球人は優しい。でも恐怖のほうが上回る。」#ウルトラマンX でテルがそう言ってたけど地球人は、そんな部分もあるし今回は生命の樹があったからこそベゼルブたちが来訪して戦火に巻き込まれたわけでもあるし地球では恐怖の象徴よね。焼き払うって判断は第三者から見れば解る。
自分の目的の為なら体よく自分を理解しようとするものを道具として利用する狡猾さって物凄く恐ろしいと訳です。その狡猾さは己の持つ他者を道具として利用する武器から見て取れる。まだクイーンの中にある真意が見えないとはいえ、クイーンには共存という言葉がないように見える。
ガイやアマテの純粋な心すらも利用してまで戦神を呼び出す口実を作ろうとするクイーン。
あそこまで見るとクイーンの行動、子供を殺したりとか、ああいうのは全てわざとなのではなかろうかと見えてくる。全ては戦神を支配下に収めて。さて、そこから何をするんだろ。
サイキが毛嫌いした「愛を利用して他者と取引する」行為そのものをクイーンが行っているんだよね。
さらに、今まで正義を行使するためのサイキの毛嫌いする暴力までふるっている。それをもってしてもサイキ自身が誤りや野蛮だと思わないのは過剰な理想主義と信仰心の強さだと思う。
ついでにサイキが言ってた「シンラを忠誠心と言う毒に侵されている」と言ったけどサイキは信仰心という毒に侵されている。で、己の理想を現実にできる存在がいるからこそ出来る理想という毒にも侵されている。
サイキって自分の思考と行動に矛盾があっても平然と出来る怖さを持つ。
「ヘイトスピーチを許さない。」って言いながら自分たちがヘイトスピーチをまき散らしていることに気付かない人とか、それは正義だから正しい。っていう人がいるけど、サイキは、こういう思考に近い理想主義者であると思う。正義であるからこそ盲目になってしまう典型的な例。
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他者を理解することから始めたいアマテ。弱みを見せたのは他人を利用するため。
他者を理解するにはどうなろうとも互いにもっと踏み込むのが一番ベストであるけどそれをクイーンは利用する。
人の平和の心を利用する存在が牙を向けたとき願い敗れた者の為に光の戦士が助けに来る。
現実的に見ると姿かたちが違うし言葉すら本来通じない存在と理解し合おうというのは非常に怖いことよね。それでも…っていくのは正しいのかもしれない。
でも現実は、そういう存在を利用して自分だけ上手い汁を啜る奴は山ほどいる。
そして話は悪い方向に進んでいく。
「あんたは正しいが間違っている」
根源的破滅招来体によって導き出された答えにより、そして人の現実を知って絶望した藤宮を立ち直らせたのも己が滅ぼそうとしていた人間という真実。彼も人間の光に助けられた存在。
一番説得力のある藤宮の言葉もサイキに空しく響いたのが……何て言うか、これは完全な価値観の違いともいえるんだろうなーって。
自分に賛同するならまだしも、既に野蛮な人間の言葉よりもクイーンベゼルブに対する信仰が上回っているんだよね。サイキは。だから、藤宮の言葉に対しても残念に思うだけで、彼は人の光を見ようとしない。それは光があろうとも全ては心の闇に食われてしまうのを知ってしまったから?
我夢や藤宮と真逆なんだよね。人の残忍な部分を見ても二人は人の光によって救われて闇だけではないことを知ったからこそガイアとして戦った我夢と己の過ちを認めて成長した藤宮。
しかし、クイーンへの信仰心が邪魔をするように人の心の光を認めようとしないんだろうなと。
クイーンベゼルブはサイキの毛嫌いする知性の闇を狡猾に利用する存在だよね。同情を誘って他者を利用したりとか、こういう知恵の闇をフルに活用する奴の危険性は現実の人に照らし合わせればどれだけ醜いと思ってしまうのか。結局、やつも生物で自分本位であるという部分が見えてくる。
そういう部分からガイは何を思うのだろう。そこから正義として暴力を行使することに対する思考を張り巡らされていくのだとは思う。だから割り切れるジャグラーに憧れに近い考えを抱くのかも。
騙すよりも騙される方が良いとは言うが現実に当てはめてしまうと騙されてしまえば絶望。
少し話はずれるけど、ついでにサイキが最も毛嫌いするタイプの生物が自分の同志であると思い込んでいるというのは、正直、彼も悲しき敵ではあるんだよなーっていうのを思います。
近年の特撮ヒーローにおいて正義を語ることにおいてどこかタブー視され照ると思えるほど語られない中、オーブ本編では正義を抱く覚悟について語り、オリジンサーガ ではもっと深く正義のことについて物語で語り視聴者に訴えるスタイルは何度も言うけど非常に、あえて挑戦するスタイルは凄い好き。
単純な正義ではなく、正義の中にある表と裏、正義と闇について考える。
そこで暴力を振るわなければならない状況の中で苦悩しながら正義の中で暴力をふるい、そして、サイキの言葉に翻弄される。光の戦士と言う振るう側で無ければ説得力の無い状況に置くことで物語に深みを与える。
ウルトラマンになりたてのガイが最初に抱いた理想からかけ離れるように現実に翻弄されながら味方であろうと敵であろうと触れ合う人々から様々な正義の価値を与えられて翻弄されて行きながら、要所要所で視聴者に語り掛けるように考えるシーンが、この物語の一つの肝であるとも思う。
現実に翻弄される中で傷ついた存在を守ろうとするのがガイの正義なわけで。
害があろうが無かろうが正義であろうとも既に自分よりも強大な存在が君臨した時点で恐怖を抱く人々。
でも、その感情を手玉に取るかのように狡猾にガイの正義を利用するクイーンベゼルブと言う存在。
「たった一人でも誰かの平和が脅かされるなら俺は戦う」と言うのが本編におけるガイの抱く戦う信念であった訳。
それを抱くきっかけになったのが、オリジンサーガ における正義に翻弄されている今なではなかろうか。十人十色の正義、どれが正しいか正解は無いからこそ誰かの平和を脅かす奴と闘う。
「闇が無い」ガイは正義について実直なまでに光の戦士の理想を突き抜けようとするけど現実がそうさせないしジャグラーとの乖離が生まれる。
ジャグラーと袂を分かち互いに抱く正義が違うからこそギクシャク感が礼ではなく「お前には何度、助けられたのか。」って言葉だったのだろう。
人としてあまりに純粋だからこそ光の戦士の理想の言葉の美しさに傾倒していくんだと思うし「闇が無い」なんて藤宮に言われたり。でも、そのまっすぐさがジャグラーとの確執を生んでクイーンに利用されたりと、この戦いを通して、ガイは正義について考える切っ掛けを得たんだろうね。
代わってジャグラーは完全に惑星カノンの人間からは悪と言うか、それに等しい扱い。それを見て逃げように何も言わずに去るジャグラーの虚無感が見ていて辛い。
そして、ここから見える惑星カノンの人間が抱く「生命の樹」に対する信仰心。これも信仰心に近い毒と言えるのかもね。
アマテを傷つけたこと、生命の木を切り倒したこと、それは確かに信仰心を持つ存在からすれば悪ではあるんだけど、カノンにおける戦乱を止めたのは真実なわけで。それに対して何も言わないんだよね。戦乱の事より生命の樹における信仰心が勝っている。って言うのは正直異様だった。
でも惑星カノンにおいて悪に等しいことをやらかしたジャグラーと言う存在は問答無用で悪に等しいことなんだろうね。でもジャグラーの言うことも戦乱を収める確かな理由でもある。
サイキと同じ信仰心の、それも無自覚な毒なのかも。確かに奇跡を生み出す存在ではあるのだろうけど。
とはいえ人の住む場所には文化があって、それが何であれ人や生命を育んで来たのは確かではあるんだけど、ある種の依存に近いモノを感じるわけで。だからこそ文明を守りつつ、ただ破壊する輩から守るわけで。それだと、そこらにいる怪獣や宇宙人と変わりなくなってしまう。
「力があるからって何をしてもいいわけじゃない。」って言うアスカの言葉。光の戦士の場合はただ戦乱を止めれば良いわけじゃない。それだとただの戦争と同じ、人の愚行を繰り返すことになってしまうわけで。
ジャグラーはそれに気づいていないのだろうというのが7話で見て取れる。
恐らく、それは10話の今までになっても変わりない。それが簡単に解るのがいきなりサイキに斬りかかったところを見れば解るだろう。ジャグラーの抱く正義は極めて現実の、それも兵士と呼べる人間が抱く理想に近い。
でも、それも間違った正義ではないのも確かではある。
「誰に裏切られたのか。」「俺自身。」
それは、ずっと、この正義を貫き通してきたが確かな犠牲を生む現実からか。それが正しいと思っているからこそジャグラーは己を鍛えて、ストイックにもっと力を求めて戦士の頂きに上ったのかもしれない。
でも、力を選んだのはガイだったと。
また大切なものを護れないわ、自分の求めた力は理想を追い求め過ぎた存在であり脆弱さを知るしで、そして、それがストイックに己の正義にのめり込んだ理由なんだろうね。だからこそ光の力ではない己に訪れた力を受け入れて徐々に己の正しさの証明のために光の戦士を超えようとする。
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更に言ってしまえばジャグラーにとって光の戦士を超えることは、光の戦士の抱く甘い理想の間違い、光の戦士の自己犠牲にも近い甘さ、自分の正義こそ堅実で正しいと言う証明にも繋がる。
それが可能なら全てを助けるけど必要とあれば大を助け小を切り捨てる非情の正義の形である。
徐々に己の正義の行使の為ではなく、次回予告の台詞の聞くと俺の正義の正しさの証明にも聞こえてくる。徐々にジャグラーが力を振るう意味が変わってきている気がする。
ガイを助けたのも、光の戦士達に己の正義の正しさを証明するためなのか。光の戦士に抱く劣等感への意趣返し。
ウルトラマンは正義ではなく正義を考え、そして人に問いかける存在だと自分は常に思う。
人間の理不尽で殺される宇宙人や嫌われる怪獣、相手にするたびに自問自答を繰り返して正義を考え戦って存在こそが初代から続くウルトラマンと言う歴史の中で、オリジンサーガ は、その部分が、より深い。

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