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『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA』第9話「ことわり ~理~」

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アグルV2、くっそかっこいいし!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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オリジンサーガ におけるガイの持つ愛の感情ってキリスト的な部分に近い博愛主義的な部分。犠牲が出ても「もう、ああいうことが無いように」と決心して自分の力にしてしまう。過度な理想主義的な部分と信念の強さがプラス思考になってる。藤宮の言っていたガイに影が無いというのはそういう事かね。
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理想に殉じ自分の為に誰かが傷つくことを良しとしないガイと、大を助ける為に小を切り捨てても出来ることなら目の前の人を助けるジャグラー
なんやかんやで、9話目におけるラストの流れは、この作品における二人の戦いにおける戦士の信念のようなものを映している感じよね。
ガイさんが オリジンサーガ の感じからオーブTV本編のようになったのってナターシャを失って哀しみを知ったからと思うと、どうもプルートゥで人間に限りなく近いロボットを目覚めさせるためにどうするかーってので天馬博士が「偏った感情を注入する」とか、んなことを言っててたの思い出す。
思えば、マガパンドンの時に恩を感じてしまったからこそSSPに出入りするようになってしまったガイさんは、ここからSSPのメンバーが放っておけなくなってしまったんだよねー。こういうところを今までの自分の考えた考察と踏まえて考えてみると、ここでのガイさんは人間なんだな。って。第5話でマトリョーシカを見てガイが「自分は空っぽ」って言うシーンを、今、こうして見直すと、それは理想しか無くて自分と言う存在が、ある意味、ガイ自身と言う存在に人間らしさのようなものが無かった親友の闇にも気づけなかった過去の自分に対する皮肉なのかなと考えたりした。
理想に生きる姿はまさに光で光の戦士の理想。でも光が強すぎる。ミコットと言う犠牲が出てもガイの違和感が強かった部分はそういうとこもある。同時にジャグラーにとってミコットは心を開きかけていた大切な存在だけどガイの中にはそんな人がいないんだよね。ナターシャと出会うまで。
で、サイキがガイに誘いをかけた部分ってのはおそらくサイキはガイとはベクトルは違うけど自分と同じ理想に殉じることの出来る戦士であるということをフィーリングかなんかで。光そのものの心を持っているからこそ自分の願いを理解すればサイキにとって最高の同士なんだろうと思う。
大切な人を失う、事故にあい重症になる。そうなれば、どんな屈強な戦士であろうとも心を壊してしまうかもしれない。かつて「帰ってきたウルトラマン」で坂田兄妹を殺されて心に闇を抱いて戦った郷秀樹は敗北してしまったわけでね。ジャグラーはそれに近い。でもガイはまだ解らない。何故って、オリジンサーガで、まだガイは大切な人もいないんだよ。
ガイはナターシャを失う苦しみを得るまで理解は全く出来なかったと思う。
オリジンサーガ におけるガイとTV本編におけるガイの差異は、そういう部分だと思う。黒がメインの衣装って言うのは昔、SWでルークの衣装が黒くなるにつれ暗黒面に近づいてるって設定があったけどそれに近いものかと。この場合は、闇を知る者として、そういう事なのだろうという。
闇が無いから純粋な オリジンサーガ のガイと、闇を経験してもなお抱きしめて受け止めたからこそヒーローとして視聴者に強く位置付けたテレビ版のガイの明らかな違いって言うのは、まさに藤宮が言った通り「闇が無い」って、その通りなんだね。闇を知らないからこそガイはまだヒーローじゃない。
人としての当たり前の激情って言うのを オリジンサーガ のガイは持ち合わせていない気がするんよね。
大切な人を失ったことで初めて怒りを覚え、それに恐怖を感じたからSSPと出会う前は余り関わらなかった感。でーナオミにナターシャの面影を感じて居座ったら殺意の芽生えから再動する闇の衝動。そこから、ガイは光を持って闇を抱きしめてサンダーブレスターを克服して、さらに本来の自分を取り戻し光と闇と言う二つのパワーで戦う戦士としてより昇華されて行ったわけで。
ある意味、ナターシャを失ったことで本編のガイはジャグラーとある意味で対等になったんだよね。
ジャグラーにおけるミコットの立ち位置の存在が、ガイにおけるナターシャで、そこで初めて知った大切な人を失うことで知る負の感情と言うのは余りにも自分の中で恐怖に近い物なんだろうな。
そこで初めてジャグラーの抱いた闇を理解し恐怖に包まれそうになったのかも。
ジャグラーにおけるミコットの立ち位置の存在が、ガイにおけるナターシャで、そこで初めて知った大切な人を失うことで知る負の感情と言うのは余りにも自分の中で恐怖に近い物なんだろうな。
本編の序盤で闇に否定的なことを口にしたのは恐怖から来るものだったんだと思う。
そこでよ。そこでギャラクトロンの件を得て「闇は自分の光で抱きしめて受け止めてやればいい!」これを通してガイは闇の扱いを理解して闇への恐怖を克服したんだろうなーと。
そしてガイは人の闇を受け止めるヒーローとして本編で活躍して、そしてジャグラーの闇を抱きしめたんだ。
んで、今、一話を見返してるんだけどガイさんは社交的に人と接しながら突き放そうとしてるんだよね。
これは、やっぱり人と長く接して情が湧いてしまったら自分が原因で起こる事件に巻き込まれてナターシャのようになってしまったら……って部分からくる闇の恐怖が見て取れる。
大切な人がいないから オリジンサーガ におけるガイは人が死んでも理想を求めるための糧でしかないんだよね。悪い言い方だけど。「飲酒運転で友人の親戚が死んだ。飲酒運転は許せないからなくすために頑張ろう」これがサーガにおけるガイの心境な訳よね。
闇を知らなきゃ闇を扱うことが出来ない。
ジャグラーは「飲酒運転で大事な人が死んだ。許せないから飲酒運転した奴を殺す。」これなんですよね。んで、アスカの「力があるからって何をやっても良いってわけじゃない」って台詞は説教ではなく心配からくる忠告なんだろうね。壊れていくジャグラーの未来を予知していたのかなー。ダイナ本編で人類のためとはいえ権力を暴走させ暴虐に近い事をアスカにして最後は己を犠牲にした権藤参謀がいたけど…それに近い末路が見えていたのかも。それでもガイさんはジャグラー本人では受け止めきれないほどの心の闇を己と言う光で抱きしめて救ったというね。
オリジンサーガ を見ていると、やっぱり色々と考えとかが変わってくるのが凄い楽しい。あの時、こう思ったけど、これを通してみると全く違う。って言う、この楽しみ方が素晴らしいね。
そして、そこから変わるジャグラーを見てきたからこそ、ガイがナターシャを失って負の感情を知った時、変わってしまった友人を思い出して闇に恐怖を抱いたと考える。
思えばミコットはジャグラーに認められたいからこそ見様見真似のジャグラーの剣術を使って立ち向かったら殺され。
ナターシャはガイが心配で来たらオームスプリームカリバーに巻き込まれ。
ジャグラーもガイも自分が直接的な要因になって闇を抱える原因になるって言うね…
人の闇を見てきた、人の闇が地球を破壊する事実を知っている藤宮が言うから説得力あるね。
確かに序盤の藤宮ならガイを軽蔑していただろうなーって、そういうことは思う。上手くガイアの初期設定とか、そういうの拾ってるから作品に深みが出るのが良いよね。
我夢は藤宮との経験もあるけど人の闇を知っても最初から最後まで人のために戦い続けた存在よね。幼少期に嫉妬と言う人の負の部分から虐めを受け、闇を知っても人の中には闇もあれば光があるのを知っているからこそ人のために戦い続けた訳だしね。
だからジャグラーも何れは…って言ったんだと思う。
初期の藤宮もジャグラーも良く似てるよね。
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人類を嫌悪しながら弱者を助けてしまう初期の藤宮と、悪に徹しても戦士であるがゆえに弱者を放っておけないジャグラー
二人の簡単に過激な方向に割り切れない部分はそっくりだわね……結局、人は光を完全に断ち切ることなんてできない。
でも、そんな中途半端さが彼らの魅力でもあるんよね。そこに引き付けられてしまう部分もあるわけだし。そして、結局、光を選んでしまうところは彼らも自分と同じ人であるんだな。と、そういうことを思ってしまう。
人だから人の苦悩を知って迎え入れて好きになっていくような感じ。
ナターシャを見殺しにすればガイをジャグラーサイドに引き寄せることが出来たのに。でも放っておけないのがジャグラーの人としての光を簡単に切り捨てられない部分が見える。
本来、人の光って牙狼の暗黒騎士呀みたいに超常なる存在が手を貸さないと出来ないんだと思う。
己の心があまりにも常人過ぎるからジャグラーは自分は完璧な戦士になろうと、そしてウルトラマンの力を求めたんだと思う。
でも選ばれずに彼は、あの世界において中途半端な力を持った完璧な戦士として生きなきゃならない苦悩やら、そういうのを持ってしまったのだろうなーって。
サイキの望む世界は、そういうのすらも取り除く人から見れば愛で人が傷つくことも無くユートピアでディストピアな訳で。
でも自由意思を奪われる世界はジャグラーにとって、まだ、オリジンサーガ の時はミコットの死や己を無駄にしてしまうからこそ「そんな世界はつまらない!」って叫んだろうね。
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自由意思が文字通り無い世界は確かに平和ではあるんだよね。ただ、そこで思考や全ては停止してしまうけど。まさにサイキの言う永遠の停滞は永遠の平和と言うことで。それもサイキの思考停止であることは言うまでも無く。
まぁ考え抜いた結果が永遠の停滞と言う世界なんだろうけどね。
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人の自由意思を尊重して平和を築くのがウルトラマンである光の戦士だけど、結局、人は闘争本能に縛られて生きているからこそウルトラマンが平和を作る手伝いをしても無にしちゃうのが人と言う存在。本当に静かな平和を創のならば自由意思の排除は選択の一つなのだろうとは思う。
ただ、それはジャグラーの言うとおり、そんな世界は面白くないんですよね。人が平和のために作ったシステムがディストピアになる。なんてのは、最近のSF小説とかで良くありますしね。
サイキの作る世界って、そのディストピアSF小説の規模を宇宙全体でやる。って話なんだよね。
アムロ・レイじゃないけど「人間の知恵はそんなのだって乗り越えて見せる!」って話にもなるんだけどー、ただ、ハマーン・カーンが「そうなるころには人間は地球を食いつくしている」っていうのも確かに一理ある。
手っ取り早い方法のサイキと長い年月をかけて人を導く光の戦士の差
サイキの場合はシャアの様に平和を築くうえで「人間のエゴ全部は飲み込めやしない!」ってそういう話にもなるんですよね。
完全なる平和を作り上げるための世界を作る。って考えると無理だよね。人間が他人を理解するのは難しい。エゴをそのままに永遠の平和は永遠に無理とも思う。
んで、クイーンベゼルブの持つ平和への理念と、サイキの持つ平和への理念って交わっていないように思えるんだよね。
そうたとえばさー。ベゼルブが第一話でクグツを打ち込んだ夫婦に殺し合いをさせようとした、あのシーンとかね。ベゼルブの抱く平和は自分たちのみの存在なのかも。
と、思っていたら、クイーンはサイキに操られている……と、そういう部分があったらしく。
また、謎が深まっていく。二人の哀しみはクイーンベゼルブの哀しみだった?
世の中、話し合いだけで平和を築くことが出来ればどれだけ楽なことか。アマテの言いたいことは解る。でも、世の中、そう簡単に話し合いでどうこうできる相手ばかりではないという現実もあるわけで。
現代の世界で考えてみれば、生命の樹を尖閣や竹島で例えてみえば良く解るねぇ……
シンラが「いきなり他所の惑星を脅迫する貴方は…野蛮ではないと?」って尋ねた時、サイキが「私を野蛮だと思ってるなんて!最高のジョークだ。」って口にしたじゃん。これがサイキの怖さなんだよね。ここからサイキが嫌悪している暴力を行使する理由が見えてくるんよね。
所謂、ネットに蔓延するリベラル派なんて名乗っている人を見ているとサイキの恐ろしさ的なものが見えてくると思う。
「私を野蛮だと思ってるなんて!最高のジョークだ。」
この台詞に、ある意味、サイキと言う人間性の全てが詰まっているとアタシは思う訳でね。「自分たちの言う言葉はヘイトスピーチではないが、お前たちの言葉はヘイトスピーチ」って、これに近い思考を持つ人間なんだろうとねー
そういう部分を魅力的に演じる和泉元彌の演技力の凄さ。これに尽きる。
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彼の正義がえらく歪なのは自分本位の部分が強すぎるんよね。ウルトラマンの掲げる正義は常に多くの人の心とあるわけで。
そこが、ウルトラマンとサイキの持つ正義の絶対的な差なんだと思うようになった。
そういや、「ULTRAMAN 2 REQUIEM」は怪獣の殺人者ウルトラマンへの疑問提示を描く予定で、戦い以外での怪獣との決着を迎える予定だったとのコト。#オリジンサーガ の監督である小中 和哉監督はオリジンサーガの作中で、そういうREQUIEMでやりたかった要素も入れてるのでは?と思う。オリジンサーガを見てると、そう思う。

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