PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

山桜を貴女と見つめて……

tumblr_m1sktgzCyZ1r22iwao1_500.jpg
春の姫子と千歌音の物語。

18禁じゃないよ。
ichiiさんも安心して読める百合SSだよ。


「あ…」
空腹を告げる音が肉体全体に千歌音に響き渡った。
考えてみれば、起きてから、ずっと炬燵の中で呆けている自分がいる。
ついつい、宮様としてのペルソナが外れるとこう怠惰に身を任せてしまうのは愛する人に甘えてしまうからかもしれない。他人、それも愛する人に甘える心地良さは宮様として振る舞い、周りから支持を得られ、称賛されることよりも心地良さと言う物が千歌音の中にある。
姫子が、何かを用意するのをじっと見つめながら、ばたんと背中から倒れて、炬燵の中に身体を埋めて寒さから身を守るように、ただただ見つめていた。
まだ、寒い風が外の世界に吹き抜ける。
それでも太陽は輝いていて外に出ることすら億劫にさせるような天気は、もう終わりに近づいていた。
多少、厚着をすれば我慢できるほどの温度で外の輝かしさは季節の移り変わりの心地良さを伝えるかのように風となって窓を叩いていた。
流石に、しつこいとどうすることもできない自然と言う名の侵略者に対して多少のいら立ちを抱いていた時だ。
「千歌音ちゃん、お散歩に行こうか?」
と、言ったのは。
まだ、7分咲きと言ったところか、そんな桜を窓から眺めていた姫子が、そんなことを言った。
「どう、しようかしら……」
春が近づいてきたからか、寝不足と言うわけではないが、程よい心地よさに自然と欠伸が出ることが多くなった。
どこか窮屈に感じて姫子と一緒の時だけ素と言うより、居心地の良かった空間である、あの前世での学園生活は宮様としての生活は今の生活の心地よさと比べれば苦痛そのものになるのかもしれない。宮様としてのペルソナは考えれば考えるほど今と言う生活を比べると苦痛だな。と、考えた。
そうして試練を乗り越えてから考えてみれば、昔の姫子に、こういう姿を見せたら姫子に嫌われるのではないのか?と、両想いになっても考えてはいたのだが。
「にゃふ…」
「甘えん坊なニャンコちゃんだ。」
こうして寝転がる千歌音の顎下を撫でて猫の物まねをして姫子に甘えてしまう千歌音を簡単に受け入れてしまうのだから、それは無いな。と、自己完結した。
「ほーら、ニャンコちゃん。お散歩に行こうねー。」
と、姫子の子供をあやすような言葉遣い。
その気になって姫子に抱きついて離れようとしない。
猫のモノマネをしながら、このまま姫子も取り込んで一緒に寝てしまおうとでも思ったものの、そうはいかないと言うかのようにだ。
「にゃ!?」
「ほら、おこたから出ないと身体に悪いよ?」
炬燵から引きずり出されてしまった。
暖かくなったといえども、やはり、若干の寒さが千歌音を襲う。
炬燵の中で転寝してしまうのは、まだ残る冬の寒さと、これから来る春の暖かさが混ざり合って、それが体に妙な心地よさを与えた。
一日を昼寝で無駄にしてしまう贅沢に身を委ねながら、今日も、このまま寝てしまうのも悪くないだろう。と、睡眠欲と言う名の悪魔が語りかけて負けそうになったところで、姫子が声をかけ、そして、睡魔が姫子に敗北した。どんな事であろうとも、姫子とのイベントの方が自分にとっては重要なのだと言うことが良く解る。
ただ、もし睡魔が勝利をしていたら、姫子と一緒に布団の中だっただろう。ほぼ強制的に目覚めさせられて朦朧としている意識の中で、そんなことを考えていた。
「こんなにいい天気なのに、ゴロゴロなんて勿体ないよ。」
「でも、今日は寒いし…姫子と炬燵でゆっくりしたいのよ…」
「でも、ここ最近、毎日、おこたの中じゃ体に毒だよ。」
「うっ……」
今の言葉は自分で言ってみて、ダメ人間かもしれない。そんなことが脳裏によぎった。しかし、寒い物は寒いのだ。
「家の中だからだよ。外に出たら、凄い気持ちいと思うよ?」
いざ、外を見て見れば「外に出よう。」と訴えているかのように。それと何が嬉しいのか満面の笑顔で姫子が微笑んでいた。
そうして気づけば姫子の笑顔に負けて外に出る決心を付けた。
外の天気、ただ、わずらわしいと思っていたが、確かに姫子の言うとおり太陽が外に出た方が心地良いと言うかのように輝いていた。それにかつての陽の巫女の笑顔だ。
大人になって妖艶さの増した姫子の笑顔に心臓が鷲掴みにされた。
春の季節、もう、こんなに近くなっていたのか。微笑みながら、此方を覗き込む姿に思わず頬が熱くなった。姫子の太陽のような満面の笑みは自分の怠惰な感情をぶち壊す。
千歌音にとって、外に出ても良いかな。そんなことを思わせる魔力があった。それに、最近は、自分の我儘を聞いてもらっていたし、今日くらいはと、そういう感情も含めて、そんな風に思わせてしまった。
「そう、かもしれないわね。」
立ちあがり、姫子を見ていた時、弁当箱をバスケットの中に入れて準備を終えていた。
既に、拒否権はないと言うことなのか、とはいえ、拒否する気も全く無い。特に用事があるわけでもないし断る理由もない。外を見やって、改めて、その決意を胸に外に出ることにした。
「今日は、暖かいのね。」
「うん。今年最初の春の陽気なんだって。」
「そうだったの。」
今の見なりを見て、改めて外出用の服に着替えた。その様子をマジマジと笑顔で見つめる姫子の表情が妙に恥ずかしい。何を嬉しそうにしているのか、既に大人の色気も持った姫子の少女らしい部分が前に出ていて、千歌音は妙に嬉しくもあるし、恥ずかしくもなった。
「どうしたの?」
姫子が嬉しいと、自分も嬉しい。
何やら、沸き立つ感情が千歌音の中で生まれた。
「だって、久しぶりに千歌音ちゃんとお買い物以外でお散歩できるから。」
どうも怠惰な癖がついた。と、言われたような気もした。
それと同時に忘れていた。これが当たり前になり過ぎて忘れていたのだ。考えてみれば冬の日に外に出たことは少ない気がする。寒くなった季節から我儘を言って姫子と一緒に部屋でゆっくりと過ごしていた。
姫子と一緒にいる時間は常々楽しい。
しかし、考えてみれば姫子と一緒にいた日はほとんど家の中。大好きな人と二人で、季節を堪能することを忘れていた。
歩きなれた街とはいえ、毎年、街の色は変わる。姫子は、それが解っているからこそ、自分と一緒に、それを堪能したいのだろう。思い出せば、クリスマスと、それくらいの特別な日以外は外出らしい外出は控えていた。
着替え終わり、簡単な調整を済ませた後に、そっと姫子が千歌音を抱きしめた。
確かな暖かさと感触が、この身体全体に伝わってくる。陽の光のような存在の己の彼女の存在が大きい。小さい子供みたいに、千歌音と一緒に散歩できるという小さいように見えて大きなイベントにそわそわしている。
我儘であると言えば、そうであるが、まさに自分だけの太陽とでも言うべきか。さらに先ほどまで感じていた寒さが消えていた。
慣れたけど、当たり前だけど、この当たり前が自分だけの特権。他の誰かに与えたくない。千歌音にとって姫子の温もりは手放してはならない、二人の関係を象徴するもの。
手が身体に回り、全体的に密着して伝わる暖かさが、未だに、千歌音を少女の気持ちに戻す。温もりが、心地良さが、全て全身に電流が走り、キュンと肉体が愛に寄って引きしまった。
好きな人に愛されるとは何と幸福なことだろう。愛されて得た幸福感と言う、ふわっと千歌音の心を浮かばせているように姫子を抱きしめたくなった。
「姫子……?」
「千歌音ちゃんとこうして、また春を迎えられるのが嬉しいだけだよ。」
ただ、些細なことでもある。
だが、それがこの二人にとってはとても大きく偉大なのだ。
引きずってしまう過去、いや、あの過去があったからこそ、こんなことでも喜べる。ある種の時代を感じることのできる、この日々を嬉しく思う。
二人で春の風を感じ、夏の暑さを共有し、秋の心地良さを思い、冬の寒さを身にしみらせて、季節を感じながら生きることの素晴らしさ。
そうして、また一周した季節は忘れていた感動を肉体から呼び覚ます。
別れ、そして残酷な運命によって引き裂かれた何年と言う時間では表せないほどの失った二人の大きな時間の中で味わった辛さを埋めるように、この世界で何度も愛しあってきた。埋め尽くそうとせんばかりに。
それは、今日も変わらない。
そして、千歌音は、姫子との居心地の良さだけに囚われて、そのことを忘れていた。
「行こうか?」
「えぇ。姫子。」
外に出るために準備は既に姫子がしていた。
しっかり、千歌音の分まで用意していて、もとより、こもっていてもこうして二人で意地でも外に出る予定だったのだろう。
「千歌音さん、姫子さん、どこかに行くんです?」
これから仕事なのか、日曜日だというのに、このシェアハウスの住民である凪沙と智恵理が荷物を纏めて、これから外に向かうスタイルだった。
このグループの場合、土日は休日ではない。
以前の主力が抜けて落ち目になっていた状態であれば、そういうこともなかっただろうが、姫宮の出資と同時に、凪沙と智恵理の二人と、さらなるメンバーが立て直した。と、言う実績。落ち目のものを再び持ち直したのだから、当然、仕事は忙しくなるし、言う仕事のために彼女たちの休日は休日でなくなる。
とはいえ、週に2度はちゃんと休暇を取っているがゆえに身体を壊すということは無いようだ。ただ、そうなると学業との両立ということも出てきて、本格的に身体を壊す心配も出てくる。
頑張って笑顔を見せているが、少しの疲れと言う物も見えてくる。このまま、疲れを化粧で誤魔化して仕事に挑むと言うことを考えれば引きとめたくもなってしまうのが同居人であり、妹分として見ている姫子と千歌音から見た二人の印象だ。
しかし、心配はするが、何もできないのが人の出来る力の限界と言うものだ。
凪沙と智恵理は、これからのために頑張っている。その先に、あの二人の未来の先にある世界のために、頑張れ。と、しかいうしかない。
「デートよ。」
そんな2人の仕事の意欲を奪うかのように千歌音が妹分に自慢げに告げる。こうすれば二人が、頑張って仕事に挑むことも無くなるだろう。別のことに気を取られて、変に仕事に集中せずに無理をしなくてすむかもしれない、千歌音流の二人のリラックス術だった。
そして、姫子は、そんな姿を見て思わず笑った。二人には素の部分をさらけ出してはいるものの、二人を気遣って一瞬だけ高貴な宮様としての姿が演じたからだ。
あれから、どれくらいの年月が経っても、そう接しなければならない人がいる故に癖になって出てしまうことはあるが、その本人が、あまり好きな人の前では出さない宮様としての自分を出したのが、なんだかおかしくなった。
「姫子さん?」
「なんでもない。」
一度、千歌音が姫子の顔を見ると、その全てを読みとられたことを知ったのか?と目線で合図を送った時、優しく頷いて顔が赤くなる。
「それで、どこまで行くんです?」
話が進まなくてウジウジしてた凪沙が声を出した。
「ちょっと、いいところ。」
姫子は人差し指を口に当てて答えた。
「良いなー。デートかー。」
「最近、してないしね。」
それに対して羨ましそうな顔をする妹分たちを見て仕事で忙しいというのが良く解る。
何か、気にしてしまうのは、凪沙は庶民で、智恵理は令嬢、そしてシンパシーを感じてしまうのは、やはり、過去に、とはいえ前世ではあるが、そこで似たような境遇に身を置いていたからだろうか。だから、お節介をしたくなる。
智恵理の家である園家はゾディアックと呼ばれる大手産業会社の経営をしており、姫宮とも連携することもある。細かく話すと長くなるがゆえに割愛はするが。とはいえ、この話の中では一生、語られることもないだろう。
「いいなぁ。」
大きな休みは取れないのだろうか。
まだ、10代だというのに、好きなこととはいえ、こういう仕事をして普通の休みが消費される。アイドルの仕事はよくわからないが、大変だということがわかるからこそ、目の前の妹分のことは心配になる。
「そういえば、明日はお休みなんだよね?」
「はい!」
「やっと、春休みです。」
元気に答える妹分、とはいえ、微かに疲労のようなものが見えてしまうのは少々の無理をしてきている証拠でもある。
「それじゃぁ、明日は4人で行きましょうか?」
姫子の言葉を聞いて、千歌音は思わず、良いの?と訴えるような顔で見た。姫子は笑顔で頷く。
普段、頑張っているから、これくらいはね。と、表情で訴える。
何となくだが、やはり似ている部分もあって、この二人の前では姉ぶりたくなる。
「良いんですか?」
誘ってほしそうな眼をしていたわけではないが、誘いには乗ってくれた。本当に、明日、また行くことになるのだろうが、姫子や妹分たちがいるなら問題は無い。むしろ、楽しいと思うだろう。
「えぇ。」
「凪沙ちゃん達と一緒ならね。」
姫子と千歌音が、そう口にした途端、目を輝かせて今日の仕事に向かう活力が漲ったようだ。やはり、そう思うと休日位はちゃんと休ませてあげたい。思いたくもなる。
「それじゃぁ、今日は私たちの分までお二人で楽しんできてくださいね。私たちも、明日を活力にして頑張ります。」
「でも無理してはダメよ。」
とはいえ、必死に働いている二人と働いていた姫子、家でだらだらしていた千歌音自身を重ねると、そこに説得力はなくなるが、それでも前世ゆえの気苦労からくる言葉は説得力があるようで。
互いに無理をしあっていた、あの過去。
両思いだったと言うのに互いのすれ違いから痛みを分け合って、そして結ばれた時には最後の別れとなってしまった辛い時。その記憶を引き継いで、全身全霊で愛しあえると言うことは幸せである。そんなことを体現している。
悪い記憶も多かったが、それ以上に結ばれたことが嬉しかった。
懐かしい前世の思い出。
「はい!」
そんな前世のことを知らず憧れだけで二人を見ている凪沙と智恵理は元気よく笑顔で答える。
そして、そんな二人がまぶしくうつる。
だが、「今日も頑張って。」と、二人に月並みの言葉しか言えない。
本来なら、休ませてあげたいとは思うが、そんなことを口に出す権利もないと思うと、黙って見送ることしかできない無力さなんてものを感じる。本当は楽しいと思っているから、仕事がしたいというのも本心からなのだろうが、その半分の中には、年ごろの少女らしく、友人や恋人と一緒にいたい。
そう思うのは仕方のないことなのだろう。プロのアイドルだからと言って、そこまで割り切れるほど大人ではないのだ。
ただ、自分たちのような前世にはならないだろうと、そんなことを思いながら見つめていた。
「はい。」
「本当は、今日くらいに二人を無理矢理…」
スポンサーでもあるし、それも悪くは無いかな。とも、思ったが、今更遅い。
しかし、そういうことに48Gの出資をしている此方としては利用しても良いだろう。頭の隅に置きながら二人を送った。
「私たちも、いこうか。」
「えぇ。あの二人と今までの分、楽しみましょう。」
傍から見れば、毎日遊んでいる怠け者が言ってるようで、どうも説得力は感じないが、前世の影響から見てしまえば、先の千歌音の「頑張って」と、その言葉に説得力があるが、それが通じるのは、あの二人と姫子位だろう。
蛹から蝶になったように、外に出て二人は吹き荒ぶ風を、その身に浴びた。
外に出れば暖かい風が吹き通る。
寒いときは基本、家にいるからこそ、こういう風をまともに感じたのは久しぶりだったと肌に感じた。やはり、寒い時期にこもっていたことが多かったせいか、どれだけこもっていたか良く解る。
それでも、肉体的に変化が起こっていないのは、やはり、夜の生活のおかげだろうか。
そんなことを感じながら、前へ歩き出す。
暖かい風を身で感じていると、ふと、桜の花びらが舞っているのが見えた。
もう、桜が咲く季節か。
何度目の春が来たことだろう。
しかし、どこに桜が咲いているのが。この住宅地のコンクリートジャングルで、こんなに桜が舞うところがあっただろうか。長く暮らしてはいるが、気づかぬまま過ごしていたということになる。
「さぁ、いこう。千歌音ちゃん。」
目の前の太陽の精霊が手を伸ばした。
これから、自分を、どういう世界に導いてくれるのか。
手を取っただけでワクワクする。
「穴場があるんだ。」
歩き出して、普段は買い物等に使う道を通らずに、俗に言う抜け道と呼ばれるルートに入り込んだ。
冒険心的なものがざわめいたのか、一瞬、カーブミラーに映った自分の顔が笑顔になっていることに気付いた。
こんなことを忘れていたのだと子供心に何かが盛り上がる。普段から、姫子と一緒に過ごすことは楽しい。しかし、どこか、こういう冒険するような大好きな人と二人で、いつもは通らない街を歩くことが、こんなに楽しいことだとは思わなかった。
暖かい風に包まれて、踊るように裏道を歩く二人。
迷路を歩いているみたいだった。
人気のない暗い路地、太陽の光だけが差し込む闇の迷路。
だが、それもわずかに差し込む程度で、木々の葉が邪魔をする。しかし、怖い感じがしないのは愛する人と一緒にいるから。和風の古き良き日本の裏路地と呼べる場所は幻想的に見えた。
「にゃぅ?」
路地を通った時、ふと、呼び止めるように、その存在が目に留まった。
「こんなところに、猫が…」
栗色の髪を揺らして立ち止まった姫子が猫に目線を合わせた。飼い猫なのか、帽子をかぶっているし、首輪がついている。さらに青い瞳が良く光り、特徴的だ。
「この子は、よくここにいるんだよ。」
「そうなの?」
「うん。」
自分の知らない、この街の情報を姫子はよく知っている。
無駄と呼べることをしない千歌音にとって新鮮だ。
学生のころから、姫子は神出鬼没だった。あのころの出会いも、目の前に突然、姫子が子犬を抱えて自分の前で天使の笑顔を浮かべて出てきた。千歌音を射止めるには十分だった、あの頃の思い出がよみがえる。
「姫子は、毎日、此処を通っているの?」
「ちょっとお仕事で写真の撮影をするときに、よく使うよ。でも、とっておきの場所を見つけたのは、この前が初めて。」
「そうなのね。」
風が吹き通り、路地の陽の光を消そうとする木々が揺れた。
僅かに見えた太陽の意思が起こした風なのか。
早く、目的地に行きなさい。
せっかちな風が言っているのか。
それに促されて、二人は先へと進んだ。
「にゃふ。」
先ほどの猫がついてくるようだ。
水先案内人を買って出るように前へと進む。前に進むと陽の光をもろに浴びている路地に出そうになったが、すぐに暗くなる。
しかし、徐々に、歩く道は斜めになっていることに気付く。
坂を上っているのか。
そんなことを解っているのか、いや、わかっているからこそ、手を離さずに姫子は歩いている。
路地裏に吹く風は心地良く、木漏れ日の光が姫子の栗色の髪に当たり、妖精にも見えた。
その妖精が、自分と手を繋いで一緒に歩いている。
二人と一匹を照らして、見知らぬ世界に入り込んだ旅人のような気分になった。
手を離してしまったら迷子になってしまいそうだ。
この一本道でありながら、木漏れ日の砂州空間は迷路のような幻想的な場所。手を離してしまえばここではないどこかへと誰かが連れて行ってしまいそう。
だから、そんな錯覚を全身で感じた千歌音は繋がれた姫子の手を絶対に離すまいと己に言い聞かせた。
一瞬、それが不安の形になったのか、刹那の瞬間、視界から姫子が消えた。
どこに行った。
視界が真っ暗になって、その存在を探そうとした。
悪寒が走って涙頬を伝った瞬間、また目の前に姫子が現れた。
刹那の瞬間が写した恐怖は千歌音にとっては永遠に近い時間にも感じられた。自分の最愛の人が消える恐怖と言うのは、何も言えない何かが掴み来る。
誰かの悪戯なのか。
こんな趣味の悪い幻影を誰か見せたのかを考えた。
ふと、それは己だと気付く。
この路地は己の心を映すのではないか。
東京に騒がしい路地に入った瞬間、そこは別世界のように虫の声、風のせせらぎ、草木が揺れる音のみになり、都会の喧騒が消えた静かな空間が己を静かに見つめなおさせたのかもしれない。
姫子が一瞬消えたのは己の不安感が見せたもの。
いつもは炬燵の中でゆっくりと。
しかし、今日は、どこか違うから違う場所に行くことに不安になったのかもしれない。
あまりにも、出かけるにしても、極めて近くも此処は違う場所だから。
それが自分の心の弱さなのか、時折、感じてしまう一抹の不安のように千歌音は惑わされた。
二度と、これからの人生、そのようなことは無いと、転生されたときに聞いたはずなのに。
結ばれた時間よりも、両片思いのまま、神の運命そのものに引き裂かれた時間の方が長く多いからこそ、こういういつもと違う場所にきてしまうと不安な気持ちを抱いてしまう。
”そんなことないよ”
姫子の口から発せられる言葉に安らぎを感じる。
そうして姫子の優しさに甘え、独占して、普通の女として宮様としてのペルソナを出さないありのままの姫宮千歌音として接してきたからこそ、甘えて、甘えすぎたからこそ、怠惰な生活を送ってしまう。
居心地がよすぎるのだ。
だから、こういう場所にきてしまうと、あの悪夢の延長の世界に入り込み、壊れてしまうのではないかと心は時折、不安に煽られる。
それを姫子は、どう考えているのだろう。
姫子は姫子のまま、変らないまま大人になった。
いや、強かにもなったか。
自分の心を仮面で偽る必要もなく、己を受け入れ自分と接する姫子。
だから、愛してしまう人。
笑顔で微笑み、自分を導くいつもの姫子が、そこにいた。
目の前にいる最愛の人を陽の妖精と勘違いする来栖川姫子、いや、姫宮姫子と言う最愛の人に導かれて。
「にゃ?」
時折、猫がこっちを見つめてはついてきているかを確認している。
わくわくしている。
姫子と、こうするだけでワクワクすることなど、考えてみれば数多いものの、こうして改めて実感するのは久しぶりだ。太陽の光が差し込んで、そして先に見せた心の不安によってバランスが崩れて、一瞬、目を閉じて転びそうになった。
「あ……」
「大丈夫?」
姫子が立ち止まり、そっと体を支えてくれた。
しっかり、抱きしめられて、あの時の学生時代、転びそうになった姫子を自分が抱きしめて助けた事を思い出した。
「あのときと、逆だね。」
姫子も覚えていた。
そう思うと、なんだか嬉しくなってくる。心躍る感覚が千歌音の身体に走ったような気がした。
「早かった?」
「そうじゃないの。ちょっと、立ちくらみしただけよ。部屋にこもっていたせいかしらね。」
と、自嘲気味に笑ったが、何も言わずに姫子に頭を撫でられた。
子供に戻ったようになって、少し呆けてしまう自分がいることに気づく。
律義に、水先案内人の猫は、そのまま立ち止っている。
誰も知らない場所。
「そろそろだよ。」
そんな場所に連れられていく。
徐々に差し込む光が希望に見える。
これから先の二人の世界を照らす光。
その先には何があるのか。
大事な大事な宝物のような存在に連れられて、ぎゅっと手を握り締められている。
不思議と恥ずかしいとは思わなかった。
太陽のような暖かさの手の心地良さがあった。
そんな、二人の姿を見て水先案内人の猫はニヤッと笑う。
都会とは不釣り合いな木の匂いが強くなる。都会の高級住宅地の中にある田舎道を通り、本当に別世界に迷い込んだようで、余計に心が躍った。
さらに、独特の栗色の髪が揺れるたびに艶やかな白い肌の項が目に入り、自然と息をのんで、胸の中に熱いものがゆっくりと広がっていった。
「光が…」
そろそろ、この迷宮が終わる。
楽しかった路地の向こう側にある世界。
木漏れ日の道を抜けて、目の前に広がったのは、二人きり、桜の木々が咲き乱れる世界そのものだった。
桜の花弁が散る、幻想の世界。
姫子が見せたかったものが良く解った。
まだ、東京にこんな場所があったのか。と、思えるほどには静かで誰もいない、そんな雰囲気と言ってもいい。
さらに、桜の樹の向こうには大きな自分達の住んでいる高級住宅地が並んでいる景色が見えてきて、確かに、この世界は自分達の住んでいる場所だと理解する。夢の世界と現実を繋ぐ狭間と言う物があるのなら、こういう世界のことを言うのだろう。
一瞬、別世界に迷い込んでしまった。
そんなことすら思う。
こんな世界を姫子と自分が独占していると考えたとき、そっと、隣で自分が何かするのを待っている姫子を思うと胸が熱くなってくる。
無理やり、炬燵から出してでも見せたかった美しき景色は、絨毯のように敷き詰められた、桜が咲く千歌音の知らない未知の世界が目の前に繰り広げられている。
此処は本当に自分の住んでいる家の近くの場所にある処なのだろうか。
ただ、そんな疑問が、この幻想の世界を見て思う。
美しいからこそ、此処は、別世界なのでは。目の前の現実を忘れてしまう。
裏路地と言う名の暗い道を抜けた先にあった幻想世界。美しく、儚くも見える夢の世界。
幻想の海に抱かれて、この感触に身を包み酔いしれたくなる、この美しさに見とれて、桜の花の香りが鼻を擽り、圧倒されてしまい、ペタンと足を崩して尻から倒れてしまった。
「これを、千歌音ちゃんと一緒に見たかったんだよ!」
桜のように満面の笑みで、此方を見つめてくる姫子。
正直、圧倒された。と、しか言いようがない。
明日は、この場所に凪沙と智恵理と4人で。
「昨日、見つけたの。それで、千歌音ちゃんと早く此処に来たくて。」
「そう…姫子。」
姫子がバスケットの中に入っていたシートを出して、地面に敷く。
「千歌音ちゃん。」
「え、えぇ……」
差し出した姫子の手を掴み、一度、立ちあがってから再びシートの上にぺたりと身体を置いて楽になった。
「そういえば、あの子は……」
ふと、辺りを見回して見ると猫がいなくなっていた。
「時折、出てきては何処かにいっちゃうみたい。」
「そう……」
アレは、何だったのだろう。
人間慣れした、そんな変わった何処かに住んでいる飼い猫。暗い道でも輝く青い瞳が、何処か印象的だった。
「あ、これは……」
ふと、その桜を見つめると、山桜であると言うことが千歌音は解る。
かつて得た知識、そういうものを知ることで博学、ワビサビと言う物を身につけようとさせていた、あの家の仕来たりが、なんとなく今になって役に立つ。そうしてゆっくり休んで、見つめることで思い出す。
「確か、花言葉は……」
山桜。
「千歌音ちゃん。「あなたに微笑む」「美麗」…だよ。」
思い当たれば、今日は姫子の微笑で、此処に来る決心がついた気がした。美麗な姫子の微笑みが思い浮かぶ。
「千歌音ちゃんと同じだね。」
「いえ。姫子も、そうよ。」
自分をそう容してくれた嬉しさ。
でも、千歌音にとって、その言葉に相応しいの姫子であることも確か。
互いに本心だと解る。
だから何処か、それがおかしくなって笑いあう。
恋人同士。
自分を起こしてくれた時、此処に連れてきてくれたとき、その美麗な微笑みを浮かべていた。
「姫子……」
「千歌音ちゃん……」
前世で千歌音が姫子に笑顔で微笑んで別れた記憶がふっと、蘇る。
「姫子…?」
まさか、そんなことは無い。
でも、募る思いが千歌音に溜まる。
何かを口に出そうとしても、言葉にできない何か。
この世界に来てしまったことで、何かが起きてしまうのではないのか。
そんな幻想的な世界に対して現実との乖離性を帯びてしまう。
確かに、今、此処にある現実と言う物がある。
あるはずなのに、何故か、あの時の幻想が思い浮かぶ。
前の世界で離ればなれになってしまった、あの出来事。
永遠に近い一瞬の時間の出来事……此処までくると、流石に思ってしまう。
まさか、この時期になって二度と。嫌だ。そんな思いをするのは。姫子とは二度と離れたくはない。
まだまだ、姫子と一緒にしたいこともある。
幸せをもっと感じていたいし、姫子との間に欲しいものだってある。狂おしく求めた先にある幸せの世界の今が、こんな形で終わろうというのか。考えてしまうだけで自然と頬に熱いものが流れてしまう。
これで終わったとしても、また次の世界で。
そう考えようともするが、やはりいやだ。
今、何も無い、この機械の破壊神がいない世界で、普段、当たり前の日常を送ることが幸せなのだ。
しかし、今まで、どうしただろう。
今日まで怠惰な日々を送っていた罰が、この世界の終わりだとでも言うかのように幻想で包まれている。夢、すべて終わり。
頬を蔦う熱い涙が徐々に、風によって冷たさを帯びて肌に刺激となって走る。
いなくならない。
そう世界に望む。
このまま消えないことを。
ふとした瞬間に、一瞬、姫子の横顔を見た。
消える様子は無い。
何かがさらう様子も無い。
あの、怠惰な日々が、こうしてしてしまったと言うのか。
ならば…ならば…抱きしめようとした時、千歌音の胸がきゅんっと締めつけられた。
柔らかい。
暖かい。
そして、嬉しくて愛しい。
姫子の柔らかい御日様のような暖かさを持つ唇が重なり、くらくらするほど甘い感触が全身に走った。暖かな舌を絡めて、激しいキス。
水音に交じって二人だけの世界によく響く。キスをしながら春の息吹を感じあった。
「いなくならないよ。大丈夫だから。」
それに
「もう離して。って言っても離さないから。」
お互いの手を取り合って、心臓が爆発しそうになる。いつもしていることだと言うのに、この幻想的な世界だと、何故か、色々なことを思い出して結ばれ、付き合い始めた時のような気分を思い出す。
ギュッと力強く抱きしめて、幻想に包まれていた意識の世界から呼び戻されて、確かな姫子の感覚を思い出す。
「千歌音ちゃん、浸り過ぎだよ。」
「解った……の?」
「うん。だって、大切なパートナーだから。」
それだけで解る。
「怖かったんだね。」
「えぇ。」
誰よりも知っている。強く演じていても、結局、自分の前では普通の女で繊細な心の持ち主であると言うことを。
「此処に、頭を置いて良いよ。」
差し出された膝枕。
姫子の暖かさを感じられる場所。
千歌音だけに許された特等席。
心の底から、ずっとずっと永遠に愛している人。
姫子の膝枕に頭を置いて、ゆっくりと眠りにつこうとするものの、自分を覗き込んでくる姫子の顔を見ると、寝ることが時間が勿体なくなってくる。大人になった姫子の顔は、今でもドキッとすることがあって、可愛いという言葉から綺麗と言う木庭が相応しい女になった。
そんな言葉が似合う。
学生時代、既に顔立ちが大人に近かった千歌音自身、子供から大人になった姫子を見続けてきたからこそ、その変化が良く解る。
ただ、こうした状況になってわかる。
可愛いと綺麗の違いとでもいうのだろうか。大人になった姫子の姿、だが、外見が変わっても中身は変わることは無い、優しい姫子のまま。
そうして綺麗になった姫子にリードされるたびにドキドキしてしまう感情。
今日は、美麗な微笑みから始まって、時折、ネコに回ってしまう自分の姿。
姫子に攻められるだけで抑えられない心地良さが入り込む。
だが、今日は、そっと二人の交わる時間は夜だけ。
今日は、このまま、この世界で二人きりに。
しかし、こうなると、やはり幸せすぎて、これが夢ではないか。
そう思ってしまうことは仕方のないことなのかもしれない。
春を感じる季節の幸福感。
考えてみれば、忘れていた。
炬燵に籠っていた自分が愚かしくなるほどだ。
そう思うとバカバカしくて変な笑い声すら出てきてしまう。
「千歌音ちゃん?」
自分達が、何故、また再会して生きて愛しあっているのか。
この春夏秋冬の季節を姫子と一緒に感じあい、そして、その中で様々な愛を育むためだ。
季節の移り変わり憂い、新たな季節に喜び、そして舞うように世界を謳歌する。
それを楽しみこともあったではないか。
目の前の幸せ。
幸せだと感じてしまうと、その感覚が麻痺してしまう。
幸せすぎたからこそ忘れていた贅沢な悩み。
「いいえ。ちょっと、おかしかっただけよ。」
このことを思い出し、姫子の膝の上で頭を撫でられながら、千歌音は桜の花びらが舞うのを見つめていた。ただ、ただ、好きな人と、こういうことを実感できる喜びを感じ取りながら。

| 神無月の巫女 After | 00:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://civer.blog122.fc2.com/tb.php/6152-f6ece7c7

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT