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『劇場版魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語』

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そんな感じで、見に行ってきた。
まぁ、あれだよ。
この感想を見るよりも、実際に見に行った方が早いよ。
まぁ、あの、ネタバレしない程度の感想を言うのであれば…
この作品は純真で歪な美しい少女同士の愛で満ちている。
って、感じで、下記よりネタバレ。
ついでに、超展開って言われてるけど、個人的に、これが、ほむらの物語であると考えれば、全然、そんな超展開では無いと思うのよね。


そんな感じでね。この作品は愛だね。愛で満ち溢れているね。
改めて思うと、これは、ほむらの為にあるような物語です。
ジェットコースターに乗ってるような感じの気分でした。
あれだよね。あの中盤のシーン、まどかがほむらを迎えに来るまでのシーンは、皆さま、予想通りで、あぁ、これで、この物語も幕を閉じるのだろうな。と、思うことでございましょう。
ねぇ。
グランドフィナーレになると思わせておいて、そうさせない。
あの結界は、ほむらが望んだ夢の世界。ビューティフルドリーマーとか、終わらない幸せな夢の世界を本人が望んでたんだと思います。まどかが平穏で、皆で楽しく魔法少女をして、そして、暮らしていたいって言う欲望だと思うんですよね。それが、ほむらのソウルジェムの中だからこそ、それが実現し、誰よりも、その世界がおかしいと思ってしまう。
ある種、ああいう形で、皆で仲良く…ってのが、ほむらの願いであったはず。
本来、存在しないものであるはずの者たちがいることが確かにさせたことではあるのだけれど。
映画として、なんだろう。久しぶりに狂った終盤を見せていただきましたw
ほむらの、魔女化。テレビ版や劇場版のラストで告げられた、魔女の概念をQBに話した時点で、まぁ、こういうことになったりして…と、思ったら、まぁ、まさかのなんとやら。ほむらが魔女化して、あの結界を作っていたと。そして、魔女の呪いなんて存在しないはずだから、かつて、魔女だったものは、魔女であって、魔女ではない。
所謂、ほむらの、あの台詞が無ければこの物語自体は始まらなかったのでしょう。と、思うのは、QBは、ただ、手段を変えただけで、中身は同じ世界のQBであるからです。
彼等は、職務に忠実なだけですから。
エネルギーの効率が良い方を探るけど、ただ、手段は選ばない。
だからこそ、ほむらを実験体にして、魔女と言う物を作り、まどかを支配しようとした。
それが、彼らの間違いであると言うことすらも気づかずに。
そんな世界の中で、彼女は、あの終末のような世界まで戦い抜いて、優しくもはかない夢を見ることになるのですよ。
そこにいる、神では無い、まどかは本物のまどか。
そして、魔女の記憶を持った、さやかに、かつて、シャルロッテだったベベと呼ばれる存在だった、なぎさと言う少女。
さて、まぁ、後ほど、そういう物は、後のちに、書いていけばいいかな。って、思います。
まぁ、何日かに分けるんだけどさ。
純粋に、ああいう世界と言うか、結界を作り上げたのは、疲れなんだろうね。
まどかが、いない世界の中で、まどかの為に頑張って、まどかに会いたいから頑張って、まどかのために。まどかだけが、精神的な支えであることは一つも変わらない。
そして、それが唯一の生きがいの中で、変わらず、悲劇は起きて、そして、数多くの魔獣を見たからこそ、数多くの辛い出来事が、そこにはあって、まどかを崇拝しなければ、何もかもやってられない。
全ては、まどかの為に。
その思いが、一種の呪詛のようなものもあるような気がするんだよね。そして、終盤の出来事の発端ですよ。
本当に、そこには、愛とエゴって、本当に紙一重なんだな。って、部分があると思います。
でも、そのエゴすらも美しく見えるのは、少女のひたむきで純情な物が根幹にあるからなのかもしれません。
ほむらの、独りよがりな考え。
狂った世界に、まどかを引きずり込んだが故に自分自身ですら許せなくなり、そんな重いとまどかを利用したQBを、完全に許せなくなってふっきれる。
キュゥべえが、その原動力は訳が解らないと言っていたけど…
そこにあるのは、確かな愛。
QBは人の感情を学ばなさすぎたからこそ、その感情を生み出す人のエネルギーと言うのが全く分からなかった。もっと、理解できなかった、愛と言う物にQBは振り回されて、自滅する形へと追い込まれたのです。
まさに、人の子維持を邪魔する奴は馬に蹴られて地獄に堕ちろ。そして、堕ちたQBってことですね。
それが、彼女の一途で純真でありながらも醜い愛を突き動かした。と、言う感じなんでしょうね。あの世界で概念と化した、まどかは、さやかや、ベベと言う名の、かつての魔女だった少女達と仲良くやっていたのだろうと、作品を見ていてよく解った。でも、その独りよがり故に、勝手に解釈し、まどかの気持ちも利かずに、ただ、彼女は悪魔になって自らを悪と称した。
ただ、あの、世界、神としての記憶が無い、本物のまどかから出た台詞。あれが全てだと思い込んでしまった。
一種の、あそこまで狂った世界の中で、疲弊していたほむらの精神。
ほむらは、あれだけのことをやったのだから、まどかに嫌われてしまうかもしれない。でも、どうせ嫌うなら、敵になるかもしれないけど、っ狂った精神状態の中で、まどかを救うために、自らを捨てる。
そこまでしなければ、そこまでしなかったら、彼女の望む、まどかと、ずっと一緒にいられる生活を送れたはずだったのに。
愚か者ですよ。
これ。しかも、まどかからすれば、概念としての暮らしは不幸ではないし、苦痛でもない。本心では辛かったけど、それでも自分で選んだ道だから、後悔はしていないんです。
だから、ほむらのしたことってのは小さな親切、大きなお節介って感じでさ。
まぁ、彼女は贅沢なんだよね。
あわよくば、悪魔としてでも、彼女とは平穏な生活を送りたかった。でも、それが送れ無さそうなのが、全てはラストシーンに詰まってるんだろうね。
守られる側ではなく、少女として、普通の少女として、まどかに暮らしてほしいから守られる側についたんだと思うのよ。
ただ、それが、まどかの望んだことと言うわけでもなく、本心を聞いただけで、今、戻りたいってわけでもないんだよね。
だから、極めて、独善的なんだけど、まどかを、そうしないと、元の生活に戻さなければ。壊れた精神状態が、まどかを救って、まどかに感謝されれば、自身の精神も正常にできると思ったんだろうけど、それが、そうでもないから、余計に壊れて行ったということに気づいているのだろうか。まぁ、それが悪魔と化したほむらなんだろうなー
えてして望んだのは、まどかとの出会いをやり直したいと言う、彼女の最初の願いが、確かに歪なものではあるけど、それは報われました。しかし、ここで、彼女が悪魔になってでも、そうなる必要はあったのか。と、言う部分になるわけですが。どんなことをしてでも、まどかが普通に幸せな存在として暮らしていけるなら、そして、根本にある、まどかとの出会いをやり直すと言うことが成就出来たなら、ほむらは、それだけで満足だと思ったんだろうな。
後は、もう、まどかがショックを受けるようなことをしてまで、それをやらかしたのも、ラストに対立しながらも顔が青ざめていたのも、本来は、まどかとは戦いたくはない。しかし、まどかを幸せにするために、己が受ける罰を背負う覚悟と言う物を抱いたのでしょう。
同時に勝手なことをした罰と、一瞬だけでも、まどかが、女神になりそうになった瞬間、本当はまどかが望んでいなかったことを知ったような気もします。
全ては、身勝手な考えからよぎったこと。
概念と化したまどかは、不幸であると言うわけでもないのです。さやかもいれば、なぎさもいた。それも、普通の人間としての形を得て。
まどかの確かに辛いと言う本心は聞いたけど、真意は聞いてない。勝手に不幸と解釈してしまった、ほむらの身勝手な思いと、精神的に、かなり追い詰められたからこそ、今回の話の終盤での行動を生んでしまったのだろうと思いました。あれを、ほむらは愛と呼んでいたけど、エゴの方が強く出てしまったんだろうなーとも思います。愛と言う名のエゴなんて言葉を思い出すほどには、あれですよ。まどかの為に、まどかだけに辛い思いを。まどかに対して深い愛情を抱いていたからこそ、本心が全てだと思った。
それと同時に、彼女を巻き込んで、夢の世界へと引きずり込んでしまった許せない自分と言う存在。そして、己の感情の暴走。迎えに来た存在に、最後の最後まで迷惑をかけてしまったんだよね。
QBに、まどかを利用させてしまった要因を作った自分を許せなくて、あらゆる面で己と言う部分が怒りと愛と言う部分によって狂うと同時にふっきれたんだろうね。
そうでないと、必要以上のQB虐殺シーンとか、病的なまでの声での『捕まえた…』は、説得力が無い。疲弊していた彼女は、永遠に自分のものになってほしいとも望んだんだろうなー。博愛的な、まどかであるけど、その愛情を独占したいと思う時もある。例え、まどかに恨まれても。既に、ソウルジェムが別物になり過ぎていた時点で、全ての欲も解放されてふっきれた姿が、悪魔と化したほむらでもあるんだろう。
ただ、それでも、鹿目まどかへの純粋で一途な思いは忘れていない。
落ちるなら、何処までも落ちようと言う、ほむらの負の面もありながらも、まどかへの情念はちゃんと輝きを保ってる、この狂いっぷりよ。
そして、まどかへの思いが、彼女を一歩踏みとどまらせることになるわけで。何れ、罰を受ける恐怖を感じたんだと思う。まどかによって、直接、手を下されることを受け入れる時が来ると自覚した、ほむらの顔はそういう意味だろう。でも、本当は臆病だから、戦いたくないんだよね。あの、青ざめた顔は、そういう臆病な、本来の彼女の姿が現れたんだと思います。
それと同時に、自分の敵になった時、自身が壊れてしまうことを悟る。
だから、かつて貰った赤いリボンを、いつか来る永遠の別れを暗示して渡したのかもしれません。最高の友人が、最悪の敵なることを見越して。
この時点で、まだ、ほむらは、まどかを一方的にしか見ていないと思うんです。
虚淵三は、ラスト、ほむらは成長した。って、言ってるけど、個人的に見ると、ほむらが、成長したのは負の側面のみなんだよね。悪魔と化したことによって、ますます、まどかが好きな部分だけが磨かれたけど、情緒的には悪くなってんだよね。露悪的でありながらも、さやかやマミを受け入れて、本当の自分を知っている人間を受け入れる。他人に重苦しい空気を放っていたほむらは、確かに成長はしているんだよねぇ…その、まどかに手を下される運命すら受け入れたわけだし。しかし、此処は、まどかが、真に幸せになれるなら、己は死んでもいいと言うメッセージであるからかもしれないけど。
彼女の最初の願いである「まどかとの出会いをやり直す」と、言う考えは達成されたのに。
結局、まどかにも、誰にも迷惑をかけたくないから、いや、接触するのが怖い人なのかもしれない。テレビ版と同じように、また一人で抱え込んじゃったのが、叛逆の物語のほむらの末路だと思うと、人間的には成長しちゃいないって言うか、寧ろ、あの結末までぶれてない。
結果的に、人が怖いんだと思う。
特に、その中で、まどかに嫌われてしまうことが。最初に、魔法少女になる前の彼女とは根本的に変わってない。ついでに、殺すことにためらいだってある。色んな意味で中途半端であるが、歪なまでの、まどかへの愛情が、今の彼女を作りだしたことも確か。
でも、それが、まどかの思いをぶち壊した。
それに気づいたときには、既に覚悟を決めたような感じもします。
って言うのが、うん・・・まぁ、わからんでもない。ただ、お互いにお互いを思っていたのに、何処で、すれ違ってしまったのか。
ほむらの、思いこみが強いってのはあるだろうなー・・・
それとも、まどかの博愛主義が、今回のほむらの狂ったともいえる行動に拍車をかけたのかも?
ただ、それほどの、ぶれないモノが美しいと言うのは、一方的であろうとも、彼女は常に、まどかを思ってのことなのだから。
そして、全ての魔女等に関する記憶は失われたからこそ、それはそれで、かつて、魔法少女たちだった者たちは幸せなのだろうとも思いました。
いつしか、ほむらの中で生まれたのは、愛する人への支配欲であるとも思います。そして、あの精神状態の中で、本心を聞いたから、苦痛であるに違いない、解放されたいと思いこみ、そして、願望を抱き、ならば、自らがまどかを支配して幸せの生活を与えたい。と、言う欲望すら抱く。だから、ほむらは、悪魔になる。
愛し、愛しているからこそ、彼女は、その力で、神でもあり、悪魔になったわけです。
しかし、支配は出来なかった。女神の力を失っていたと思っていた、まどかの力が発現してしまったから。
えてして、あの二度目の改編の世界のまどかは、まだ、何も感じ取ってはいないからこそ、真に、まどかが主役になる物語が、幕を開けるのだろうと思いました。ある意味、改変した後の世界、まどかが転校して教室に入ってくるって言うシーンは、そのプロローグなのかもしれません。
それと同時に、ほむらは自身の最初の願いすらも叶えたと言うことで、これは、一種の帰結と見るべきなのかもしれませんね。
やるなら、来年だろうけどねw
まどかが、概念になった理由は、全てにおいて、魔法少女や魔女以前に、ほむらのためだったんだけどね…人によ
まぁ、やらないかもしれないし、でもスタッフはやりたがってるからやるだろうねー。まぁ、テレビで終わらせておけばよかったのに。って、考えは否定しませんw
ただ、これは、これで、一つの物語として凄い面白いと思うので、個人的には、まどほむで、大満足です。

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