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機動戦士ガンダムUC episode 6 宇宙と地球と

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そんな感じで、見てきました。機動戦士ガンダムUC、EPISODE.6 宇宙と地球と
さて、まぁ・・・
戦闘シーンや、音楽は一年待たされた甲斐があるレベルで、非常にあった!!
冒頭のリゼルとの戦いや、後半のバンシィの戦い・・・しかし、今回は、それ以上に、人間ドラマを主軸に置いた作品なのかもしれない。と、思えるほどにドラマが多かったです。
父から得た、強大な獣の力を受け入れた少年は、解り合う物語のために、新たなステップへ。彼から始まった物語は、関わった者たちを、良いようにも悪いようにも影響を与えていく。そんな感じの部分は、バナージが無自覚であるのは、かつての、アムロであり、カミーユであり、ジュドーと同じ。そして、そのバナージを突き動かしたのは、オードリーこと、ミネバ・ラオ・ザビ。
しかし、ミネバも、それによって、相乗的に良いものをバナージから得ているのも、また、確かなわけなのだ。お互いに高め合ってるような感じが素敵だね。
シャアの場合は、自覚的。寧ろ、それが武器なんだよね。シャアと言う男の場合は。フル・フロンタルになって、それをもっと有効的に使うようになった気がするわ。ただ、それは、あくまでも、彼がシャアでは無いというものが意識的に強くしているからだろう。
器であるが故に、個人の思想ではなく、他人の意見を取り込んでいるからこそ、それを総合的に纏めた考えが、彼の共存できるような未来を話すのであれば作中でバナージが語ったように、彼の場合は自らの考え、欲望すらも捨ててスペースノイドのことだけを考える。彼は、シャアの思想を組み上げた存在、シャアであって、シャアではない。シャアのマイナス面的な意味で人間らしい部分を捨てた、ある種、作られた人間であるからこその合理的な思考。
かつて、彼の語ったコロニー共栄圏と言う物は、クラックス・ドゥガチ・・・クロスボーンガンダムの黒幕が語った言葉と似ていますね。彼の場合は、もっと過激でしたが。
その存在は、もはや、シャアではない。彼の残留思念が、そうさせているのだろうというのが、作中に如実に表されています。
その可能性って言うのは、確かに、合理的かもしれないけど、ただ、立場が逆転するだけ。しかし、地球と言う揺り籠を休ませるためなら、それは、それで、いたしかたないような気もするんですけどね。ただ、同時に、スペースノイドの宿願を果たすことが出来るのなら、確かに、それはそれで正しい。
シャアの人間性を否定すれば、こうにでもなるものか。
シャアの人の可能性は、カミーユ達に触れ合うことによってからこそ二、生まれた人間的な思考であり、彼らしい部分であると思うのです。
等と、思いながら、さてさて、フル・フロンタルの考えは、共存ではなく、人は確かにシャアが望んだように、宇宙に出ていく可能性と言う物があるんだろうね。ある種、地球を田舎とすることで、人を嫌でも宇宙に進出させようとする。
それを成すべき力が、今のスペースコロニーにはあるから。
全ての運命が、彼の行動によって翻弄されていく物語も、後、一話で終了…それも、来年で終了と言う感じで、あの終わり方は、正直、生殺し感がやばい。
とか、思いつつ、そこにあるのは、確かに未来が無いことである。人の進化、そこにある物を全て否定したものではあるが、それは、確かに正しいことじゃないのだろうか?
人類全体がニュータイプになる前に、人間は地球を食いつぶす。その前にこそ…
それを成し遂げようとして、宇宙国家が暴走をしたのが、後の、宇宙世紀での歴史である。それを考えてしまうと、ミネバの掲示した未来と言うのは、またも、裏切られた世界である。
増長した地球連邦軍がマフティー・ナビーユ・エリンと言う活動家と敵対するように、それから、何年経っても、地球圏は汚染され続ける。可能性を信じて、結局、人は可能性を信じて再び、シャアに頼るのが、ガイア・ギアでの、アフランシ・シャアと言うシャアと言う記憶を持つ、メモリークローンの指導者。
思えば、フル・フロンタルの考えも正しければ、ミネバのように人の可能性を信じた未来、それも、正しい答えなのだろう。
相いれず、器として起動したてのフル・フロンタルと、たくさんの人と接したうえで、人の未来を信じるための未来。
ある意味、後の歴史を見ると、フロンタルの考えは本当に正しかったのかもしれない。と、思う。人の可能性を正面から信じたからこその、穏やかな進化を求めたアムロ。
しかし、後に、一種のマザコンのように母なる地球から離れることのできなかった人類が、様々な愚行を犯していくのは、ご存じの通りでしょう。
ある意味、進化と言う一歩踏み出した行為の怖さと人間の脆さを描いた機動戦士ガンダムと言う作品に対して、これも、富野さんの描くガンダムと同じ、真正面から向き合っているのが特徴とでも言うべきか。
結局、布団から離れられない人間と同じですよねwあたしだって、そうだ。
宇宙世紀が発足して、200年経っても、人は布団から出ることのできない人間と、全く変わっていないわけです。
そのくせ、腐らせていることにも自覚がない…って、これは、ますます、僕らと同じですねw
学校や会社に行くよりも、家族と接して暖かくいられる家の方が良いに決まってるって人のが多いと思うんですwさらに、部屋に引きこもっていれば、親兄弟からの干渉すらもないのですからwそれほど、今と言う社会は人を信じることに多量のリスクがある世界なのではあるが。
これは、先人たちの責任でもあると同時に、自立することのリスクを恐れてしまう人間的な弱さでもある。
ただ、多くの人と、プライベートを含めて、様々な人と出会うことによって進化していく。様々な人の意見を得ることによって取り込むことによって、人と言うのは、影響を受けて、多量の方向へと進化していく。
それを体現したのが、バナージであり、ミネバであるということだろう。最も言えば、歴代で言うと、アムロであり、カミーユ、ジュドー、シーブック、トビアに、ウッソ。外伝を含めれば、最も多感な時期にバーニィと出会った、アルフレッド・イズルハ、コウ・ウラキ、シロー・マダや、リョウ・ルーツ等と同じ。
人ですら無いものになることへの恐怖、現状維持が最高の手段であると考える人間にとっては、ニュータイプなんていう、得体のしれない、あまりにもあいまいな物になることへの恐怖は、共感出来る。
だから、そんな痛みを怖がる人間に業を煮やして狂気とも言える隕石落としなんてことをシャアは、行ったわけです。その、人間を越えた奥へと行くためのステップには痛みが伴う。無理やり、人を進化させて、破滅を導く強化人間なんてのもいますしね。
苦痛であっても、その先に輝かしい未来があるのなら…と、でも、全ての人は思わない。
結局、未来へと動かす彼らの行動は、全て、徒労に終わってしまうことを考えると悲しくなってくる。
それに対して、あまりにも、00は人が進化を当たり前のように受け入れたわけで。劇場版00の答えは、もっとも、ガンダムの世界で人がベストに値する行動なのだろう。
そのためのお膳たてと言うのが、イノベイドと言う作られた人間たちなのかもしれない。それらの一部の暴走によって引き起こされたのが、作中で描かれた行動、その全てなのだろう。
ガンダムSEEDや、ガンダムAGEのようにただ、過去にならってエンターテイメント”のみ”を重視している前者ニ作品と比べると一種の差別化が、まだ、00には、まだあったと思われる。
そんな中で、いつ、宇宙に出ても、そんなものになっているのか、いつ、なるのか等と、考えて疲れた者や、そんなことよりも、家族を養うために、愛する者のために戦ってきた主義主張など知ったことの無い人間達がいることも、忘れてはならないだろう。
得てして、そういう者達を引っ張るのに、主義主張を押し付けるには、道化になる必要があるのだ。それが、シロッコであり、ハマーンであり、また、シャア、そして、フロンタルである。
彼らの考えに賛同する者でありながら、実質は、怨念返しや暮らし、もっとも、スペースノイドらしい考えのために生きているジンネマン、そして、マリーダ・クルス。
既に、戦うしか無かったんだよなぁ…マリーダは、ただただ、ジンネマンを親父として愛していたんだよ。本当に、あの二人にあるべきものは安らぎだったのに、身を投じなければならなかった辛さを考えてしまうだけで泣けてくる。そんな彼らが、バナージ達に影響を受けて、より、人間らしく、戦う愚かさを改めて実感する。
そして、人の未来を信じて、新たに戦う。
戦いから生き残りたいが故に、戦いに身を投じる者もいれば、失った物のために戦う者もいる。
後に示す未来・・・あくまでも、今を生きて、全ての判断を未来の子供たちや若者に委ねるという、ある種の現実逃避かもしれない。彼らが、ベストだと思ってきたことが、後の未来では最悪の事態を引き起こす。
ある意味の、今の日本を象徴するかのような感じになってますけどね。
それでも、戦うのは本質的には、バナージ達の言う未来と人そのものを信じるため。
過去にアムロが抱いた思考そのものなんだよね。ただ、人が地球を食いつぶすということも分かっていながらも、バカ正直に信じたわけで。
フロンタル達は、バカげた思想であろうとも、自分たちの息苦しい生活を正すためのもの。まず、当たり前のものにするために。ある種、シャアの思考と民衆が望む形を混ぜて実現しようとする器としてのフル・フロンタル。
シャアと言う存在に振り回され続けても、なお、縋りつかなければ習い絶対的なカリスマの必要性。後に、メモリークローンーなんてものが必要視されてしまうわけだ。人類は、宇宙世紀から200年経っても、人は人のまま…
解り合おうとしても、食い違うからこそ、人なんてものは戦争を起こしてしまう。
ただ、それでも、地球を食いつぶそうとしている人とは別に、未来のために生きようとしている、若者たちのことを真剣に考えている方々もいる。それが、ロンド・ベルを含むネェル・アーガマの殆どのスタッフだと思うんだ。エコーズの人たちを含めて、ブライト・ノアだって、そうですよ。
フロンタルの考えは過激さは無く、穏やかなものであるが、それにも何処か間違いがあるからこそ、解っているからこそ、”それでも”と、曖昧な言葉と、それを許される若さと言う物で立ち向かうバナージ。
かつて、己のエゴのために肉親が起こした大戦争のために大きな十字架を背負い、間違いを正すために、前に動き出すミネバと言う少女。
二人とも、あまりにもバカ正直すぎるんだ。でも、それは、人を信じる怖さを知っているから。
臆病者の、僕等とは違う存在。
ある意味、バナージはアムロの意志が宿った存在なのかもしれない。何処か、見え隠れする、一年戦争の時のアムロとバナージ。アムロが、彼の姿を借りて、再び、大人になったシャアと対峙しようとする。
がむしゃらに生きる中で、ただ、人と、その優しい未来の中で生きようとする。バナージに手を貸す関わってきた人間達。
バナージに成すべきことを託した責任があるからこそ、大人たちは、バナージの成すことを最大限に手伝えるように努力するわけだ。これから、どのように昇華されていくのか。
それは、また、次の巻で明らかになるのだろう。
そんな感じで、最終巻、楽しみだ。

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