ゼロバーストになる変身過程、完全にジードと一緒なの、どうなん?とかなるし、割と真面目に、色々と克服したら、タルタロスをセブンと一方的にボコす。って、正直、どうなん?
割と真面目に、ここは問いたいところ。
そりゃ、セブンも、パワーアップしたゼロも強いだろうけどさ。
攻撃を出させない、攻撃を受けさせない、とりあえず、一方的な展開になる。って、正直、つまらないでしょ。
ましてや、タルタロスってキャラはさ、アブソリューティアンどころかギャラファイのもう一人の敵側の主人公的な存在になっているのに、どうして、こうも酷い展開になるのか。
ティターンとリブットのやり取り、スッゲー好きなのにさ。台詞は良いのに、何で、アクションは地味なのよと。
解り合えたけど、それでもアブソリューティアンのために戦うティターンと解り合えたからこそ手を取り合いたいリブット。ノアを通して解り合えたのにそれでも戦わなければならない悲哀ですよ
それでも、アクション、地味なんだからさぁ……ただでさえ、今回のギャラファイ3はアクションが地味なのに、印象的な台詞なのにで、ただ、二人が殺陣をやってるだけ。って、スッゲー勿体なくない?って思っちゃうんだよね。
しかも、同じ格ゲーみたいなアングルだけなのよ。殆ど。
勿体ないわ。
もうちょい、ドラマ性を掻き立てるようなアングルの演出を入れなさいよ。って思うわけですよ。
戦争と言う非常時における、敵対する二人の男のドラマなんだからさ。
こういう作風にしたんだから、ちゃんとそういう責任を取らないと。
オーブの「ニセモノのブルース」を見てごらんなさいよ。
ああいうカメラのアングル演出だけでさ、ババルウ星人がスッゲー悩んでる葛藤をしているってことが、良くわかる構図よ。
ああいう風に、戦う二人が悩みながらも、そうしなければならない。って言う、アングルを入れないと、単にそう言うイベントだからただ流しただけ。って見えちゃうわけよ。
本当に、ジードのときに見せた、あんたの人を夢中にさせたドラマ演出は何だったのよ?って思いたくなる訳っすよ。
あのときに見せた、リクの葛藤やら、そう言う演出をさ、どうして、リブットとティターンの二人に入れないのよ。って割となったりしちゃったわけですよ。
んで、まぁ、その後の展開も、なんかね。
ディアボロ、ねぇ。
なんかもう見ていて可哀そうになってくるわ。
レオ兄弟とレグロスを相手にして強いのはわかるけど、やっぱりさ。
ほぼ一方的にボコられてる展開を入れるの辛くない?なんか、見ていて、あの展開、ちょっと辛くない?
トレギアとタロウ、タイガ。
ベリアルとジードとZ
こういう面白い組み合わせは続くけど、ウルトラ兄弟の戦闘シーンのアングルは、なんか、同じだし。
最近、坂本のブームはアングルは、これなのか?と思えてしまうほどにね。
なんか、仮面ライダーWとかで見せたアクションはどうした?となってしまう。
ついでに、メビウスインフィニティは、ねぇ?前にも言ったけど、三国無双だよwww
とりあえず、出したいから出した感、あれ、ダメでしょ。とりあえず、出したいから出した。って言う、あの流れ。
モブソリューティアン、なんか、もう人口とか大丈夫か?と寧ろ心配になるし。

ついでに、このシーンね。
絵面だけはかっこいいけど、かっこいいのに……なんかなーっていう。
D60とL77は兄弟星とは言うけど、バックボーンが語られなさすぎて「なんか、カッコいいから撃ちました。」感とか、結構、感じちゃったんだよね
かっこいいんだけど、それだけ
ドラマが無いから燃えないのよ。
まぁ、兄弟星ならレオ兄弟が、なんか、レグロスの同門の連中の名前、知ってて、そりゃ、そうだよなーとかなるけど、あいつらとのドラマが良くわからんねん!ってなる訳よ。
「こいつらはディアボロに滅ぼされたから、どうのこうの」言われてもねぇ。
本格的に坂本が去年のウルトラでやるべき仕事は、トリガーのメイン監督じゃなくて、レグロスの過去をサブスクだろうが何だろうが、ボイスドラマだろうが、とにかく、それを描くべきことだったんだよ。
トリガーで何故か、ダンスでエタコアの力を制御させる良くわからん精神論じゃねーのよ。あんなん、やるだったら突然、現れた謎のウルトラマンって感じでさ。リブットじゃなくて、ディアボロを追ってきたギャラファイ3以降って設定のレグロスを出しておくべきだったわけよ。
こいつが、これからのギャラファイのカギに?!とか。そこで、ディアボロとレグロスの因縁を語らせてトリガーを巻き込んで放送終わったら考察させる楽しみを生むべきだった。
メビウスインフィニティもそうだけど!!
新しい形態を出すための過程のドラマや技を出す過程のドラマが、クッソ下手!!!
でも、トレギアはええよなー。
トレギアは良いんだよ。
正面からトレラシウムを受け止めて、あの時のトレギアとは違うからこそ救いたいというタイガと「親子そろって、そのまっすぐな瞳がむかつくんだよ!!」って、もう逆に嫉妬心を煽って、タイガの敢えて何もしないスタイルが傷つけてしまう。
でも、それでもタイガは、それでもな。
自分の名前は「トレギアとタロウが付けてくれた名前」だからこそ救いたいのに、トレギアは結局、それは力を持つ者の傲慢でしかないと哀しく言うのは解ってくれようとしているのに、全然、自分の本質を見てくれないことに対する虚しさなのよね。
それがさぁー
それが良いんだわ。
結局、それはタイガのような存在には解らないかもしれないけど、それでも本編で一度、トレギアの策略で、あっち側の世界に行こうとしたウルトラマンだけど、無事、ライトサイドに戻って着た彼は、ある種、トレギアの一つの本質に触れてたんだろうとは思う。
作中では、そんな「タロウの息子」であることに対するコンプレックスは突かれなかったとはいえ。ボイスドラマでは突っ込まれたけど。
それでも克服できたからこそ、タイガは、それがトレギアにも出来ると信じてるんだよねぇ。
若さゆえのなんとやらよ。
トレギアは大人であるがゆえに出来ない。
だから、好きなんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
んで、まぁ、ベリアルだけどさ。デスシウムライズクロー、やっぱ、なんか雑な出し方だよね。
とりあえず「ハルキぃ!」って言っときゃ言えばいいもんじゃない。
そもそもベリアロクがZと一緒にいる理由も、根幹はハルキがいるわけですから。
やっぱ、あの出し方はハルキも出さないと雑なんだよな。
やっぱり、Xもそうだけどさ。
高橋健介君演じる大地とウルトラマンXを演じる中村悠一さんはセットであるべきだと思う。大地とXは、やっぱり、バディなわけですから。
だから、Zもハルキ、Z、ベリアロクがいて一人前なんだからさ。
やっぱ、その前提をぶっ壊したらなんか、ちげーよな。
結局、そこが、私の感じるさ。
坂本の、田口監督がメインを務めたウルトラマンを、どこか蔑ろにっていうか、雑に扱ってねーか?って、強く感じてしまうところではあるんだよな。
Xだって、あのヘッドホンのような耳に手を当てればXの声が聞こえる。とか、そう言う演出も出来るだろと。あのトレギアとタイガのドラマ演出を、ちゃんと、ティターンとリブットのドラマに入れてほしかった。
ギャラファイにおける坂本のドラマが色々と思われる理由って、そう言うドラマ演出の下手さってのがある。
だから「坂本、足木はかっこいいと思うところしか撮らない」なんて言われる。
本当に、監督と言うプロの演出家が声優の演技に助けられて、どうすんだい?とか思うわけで。
そういう声優さんの演技を万倍にもして、魅力的に移すのもあんたたちの仕事だろうがと。
今回の最終決戦におけるドラマ、良い処とダメなところの落差が激しすぎるんだねーーーー
トレギアとタイガは良かった……
そもそも、今、ウルトラマンX、活躍してねーけどな!!!!!!!
Xゥゥゥウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウゥゥゥゥゥウゥゥゥゥウゥゥ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ジャージャン!