
まぁ、公開日初日が、すっごい、あの映画の料金が安い日だったので、見てきました。シン・ウルトラマン……さて、まあ、シン・ウルトラマンですよ。
シンエヴァンゲリオンがクッソつまんなかったから、これ、どうなんだろうなーっていうもありつつ、もうエヴァって呪縛から解き放たれた、庵野監督の一作目と言うことで、そういう意味でも、どういう風にやってくれたのか。って言うのをネタバレ込みで普通にやっていきますので。
まぁ、正直、シン・ウルトラマンも含めて庵野作品自体、そこまで神格化されるほどの作品ではないよな。ってのは改めて思った。真面目にシン・ゴジラやシン・エヴァが受けちゃったから、変に庵野ブランドが持ち上げられすぎちゃったんだよなーってのは改めて見ていて思ったね。シン・ゴジラ的なニューマイソロジーを期待していると、シン・ウルトラマンは、きわめて初代ウルトラマンの二次創作に近いから肩透かしを食らった人って結構、いると思うんだよね。まぁ、シン・ウルトラマンは保守的と見るなら、漫画のULTRAMANは革新的なんだよね。
全体的な感想と言えば……面白いっちゃ面白いんだけど個人的に突き抜けた面白さが無かった気がした。
マニアックなネタを終盤に仕込んで来たりもしたけど正直、特撮面に関しても田口辻本武居坂本演出に比べると物足りなさがあって、お話も言っちゃえば保守的で無難って感じが強い。言い換えれば、堅実なウルトラマンらしい、ウルトラマンがもう初期からトリガーまでやってきた
「人を好きになったウルトラマン」って、お話なんだけど、それがメインです。所謂、人の業とか、大国の事情とか顧みることで、それでも、ウルトラマンは未熟な人類が手を取り合うことで今回のメフィラスが仕組んでいた危機的な、所謂、多くの怪獣たちが暴れる状況を回避したり、撃破していることを見て興味を持ったんだろうというのはね。神永の台詞から、伝わってきます。
そうして、最初は人としての生活に戸惑いを感じながら、それを楽しむ姿と言うのが見えます。
最初に
「自分が地上に降りた時に、小さな命を救った青年を見て地球人を知りたくなった。」それによって光の国……いや、今回では光の星の掟を破って人と同化することによって、人と接して、人のぬくもりや、そう言うのを知りながら彼が、所謂、ウルトラマンが人を好きになっていく、その経緯を描きつつ、あの初代ウルトラマンのラストにまで持っていく。どことなく、事故で……って言うのは、ウルトラマンの宿命なのかねw
正直、怪獣が出すぎて、この世界は怪獣慣れしちゃった、所謂、どことなくウルトラでよくある世界なんですよね。
正直、エンディングのネタバレをすると、もう初代ウルトラマンの最終回の
「さらばウルトラマン」を、ほぼ丸丸やってますね。んで、今回のウルトラマンもセブンにおける文明監視員と言う役割に近いために、ベムラーも出てきません。いきなり、ネロンガから出ちゃいますし。
ついでに、今回の怪獣騒ぎは全部、メフィラスが仕組んでます。イレギュラーのザラブも出てきましたが、それをも利用して自分の野望を果たそうとする強かさのある強敵です。ついでに怪獣たちが目覚めたのはメフィラスの口ぶりからすれば人間たちの仕業って言う、ウルトラじゃありがちな流れよね。
だから、
「シン・ウルトラマンはシン・ゴジラの続編で、怪獣たちはゴジラの細胞から生まれました。」なんてことは一切、ございません!w
ついでに、ラスボスらしいラスボスはゼットンなんですが、その、それを使役する存在として「ゾフィー」いや、雑誌とかで良く取り上げられていた「ゾーフィ」が出てきます。言っちゃえばウルトラ兄弟の長兄のゾフィーがゾーフィとして、同族がある意味でのラスボスとして登場します。そこには、同族故の、本来の、この世界でのウルトラマンの役割は裁定者と言う側面もあるからこそ、それに干渉してしまったウルトラマンに裁きを下さなければならなくなった、ある種、職務に忠実であるが故の悲劇性を持ったキャラクターとしても描かれています。同時に、ウルトラマンを知ったからこそ、徐々に暴走する人間に危険性を感じて……なんてぶぶんも。ここは、アナザージェネシスとか思い出しますね。
要は、昔、雑誌かなんかで
「ゼットン星人と混同されて、謎の宇宙人ゾーフィ」と表記されたり、
「ゼットンを操っている」って言う出版のネタとか、そう言う要素を入れいたりと、「こういうマニアックなネタをシン・ウルトラマンはいれてくるか。」って、ちょっと感心はした。とはいえ、ゼットン星人が出てこないんで、そこ行くと、ある程度、展開上、読めてしまう部分もあったりするのが辛いところ。しかも、今回はゼットンは宇宙恐竜ではなく、完全に文明破壊兵器です。掟を破ったから、最初はウルトラマンごと地球を抹殺するスタイルからウルトラマンが必死にゼットンを破壊して人類を救う様を見てね。
そんな、ゾーフィが自分を犠牲にしてゼットンを倒したことで感銘を受けて
「そんなに人を好きになったのか。ウルトラマン。」って言う、そう言う流れになっていくんですね。
ついでに、パゴス、ガボラ、ネロンガとか実は同一タイプの怪獣で兵器だった。っていう、玲の着ぐるみ事情を汲んだりして、そういう風に片づけるか。ってなったのは結構、面白かったんだよね。
さて、まぁ、ここまで読むと面白いんだが……
ただ、この映画自体が。
言っちゃえば、庵野さんが大好きな初代ウルトラマンの全39話を自分なりに好きな話をチョイスしてまとめて現代風+自分テイストにアレンジした二時間映画って感じ。そういう意味では、やっぱり、実績もあってSFオムニバスとしてのウルトラマンの物語を上手く繋げたな。所謂、子供たちにも飽きさせない内容にもなってるのよ。ウルトラマン、いっぱい出てくるし、たくさんの宇宙人が出て短いスパンの中でドラマと戦闘シーンの比率は良い感じにバランスはとれてはいるとは思う。
ちゃんとウルトラマンの初代からトリガーまで受け継がれてきた「人」と言う名の哲学、「人と未知なる力」と言う哲学、社会の現代問題をウルトラマンと外星人に当てはめたドラマはしっかりと骨太に出来てはいたと思う。たださぁ。
シン・ウルトラマンの
「ウルトラマンが人間を好きになる話」なのにウルトラマンと人間の交流が少ないのよ。ゾーフィとウルトラマン、メフィラスとウルトラマンとの対話の中でウルトラマンが人類の可能性を説くけど、その説明をするに至っても、ウルトラマンがあまりにも人と交流する描写が少ないから本当にそう思ってる?ってなる。
哲学的な良い会話ではあるんだけど。制作サイドがザラブ編からそういう描写を無視してるように、御都合主義的な人間関係を描くから神永ウルトラマンに一定の疑問を抱いてしまう。もうちょい、ここをちゃんとやってれば人と交流する部分とかね。ジードでゼロがまゆちゃんを抱きしめたら「暖かい」ってつぶやくけど、ああいうのだけでも良いんだよ。ああやって生命の神秘を改めて感じることでゼロがジードの世界で人を知り、家族を知り、ソレがジードにおける戦う理由になってるんだからさ。
元より、あの、アイツから始まる怪獣を人類が力を合わせて倒す描写を見続けて興味が出て、それが好きになるきっかけだった。なら解るけど。そこから興味が出たわけでもなく、神永が自分の身体を張って子供の命を助けたから。ってのもでかいし。
少なくとも禍特隊のメンバーとウルトラマンのドラマって、もっと、描いていても良かったと思うんだよね。そうすりゃ、もっと、あのシーンとか、あのシーンや、あのシーンに、もっと説得力でただろ。
人の為す『群れ』に興味を示しておきながら、彼が群れを為すことを拒んでるようじゃ説得力が出ない。拒むって言い方もおかしいけど、なんか、そう言うエピソードがないのよ。あるっちゃあるんだけど、なんか、唐突感もあるしで。
なんか、そこらへんに違和感を感じるんだよね。所謂、任務以外のプライベートシーンでウルトラマンが他のメンバーと交流するとか、そう言うのが無いんだよ。所謂、任務以外のシーンは群れを為さずに殆ど個人で動いてるから。どうなの?ってなっちゃうわけ。
それで、さらばウルトラマンの終盤のオマージュをやられてもねぇ。
ライバルであるメフィラスとの関係の方が、よっぽど友人と言う関係に見えてしまうという皮肉
ウルトラマンと長澤まさみのラブストーリーとして見ても、あれがラブストーリーだとしたら正直、薄っぺらいしなー
樋口真嗣の人間性に問題があるような、素直に庵野がメガホンを取っておけばよかったものを。
それが歴代のウルトラに比べて突出して出来が良いかどうかは別にして。正直、人としての哲学の物語なら個人的に
オリジンサーガのほうが好きだな。
世間からの評判は悪いし、めっちゃ、叩かれたけど。
これは悪く言うのであれば、ただ、歴代のウルトラのメッセージを借用した二次創作でもあるんですよね。
ティガ、Xやオーブで語られたことをやっちまってたからなー。
言っちゃえば焼き回しとでも言うべきか、もしくは
現代のウルトラマンを知らない人のための初代ウルトラマンを利用したウルトラマン入門書って言う捉え方が正しいんだと思う。
それか、ニュージェネが嫌いな人向けの作品とか、ね。
ある種、映画の「ウルトラマン物語」的な感じでもある、シン・ウルトラマンと言う名の庵野アンソロジー
庵野秀明少年が小さい頃に夢中になったウルトラマンって言うのは、ああいうものなんだろう。て言うのが解るし、自分の大好きな初代ウルトラマンにミリタリー要素を入れて自分なりにお話を出来てさ楽しかったんだろうなーってのは思うよね。
大雑把にネタバレするとしても、なんというか、ネタバレのしようがないという。
ある種、
あたしみたいなウルトラファンからすれば、物語の流れと結末を途中から察せてしまうという、そういう意味を考えてもね。
やっぱり
「今のウルトラマン、面白いなー」って話をする
と「え、まだ、ウルトラマンってやってるの?」って人がいるけど、この映画って、純粋に、そう言う人のための映画なんじゃないかと。
一応、こっちサイドの人間も楽しませようとはしているけどマニア万人が両手を上げて喜ぶかと言えば「うーん」って感じで。ただ、初代ウルトラマンを現代風にアレンジして、初代ウルトラマンの物語、庵野監督の好きな物語をなぞっている。っていう方が正しい。結末も初代ウルトラマン的なものでしかないから、ひねりを感じなくて、余りにも物足りなさと言うのが自分の中にはあったりした。
ってなってしまう、良い言い方をすれば堅実。悪く言えば無難。
何処までも
保守的なのよ。
ある種、そうやってドラマも忙しいからウルトラマンと禍特体のドラマも個人的に薄く感じてしまった。もっと、そういうウルトラマンが各隊員と組んで色々とやれば良いじゃない。って思うんだよ。バディとしての長澤まさみのキャラも出たけど、正直、バディって言葉だけで、ウルトラマンがそこまで仲間意識を抱くかどうかって言うのを考えると、やっぱり、どう考えても個人的に、やっぱり彼等とのドラマは、ある程度、記号的にでも描けばいいじゃない。って思う細かい注文もあるんだけどね。言いたいこともありますよ。2時間しかないから尺の扱い方とか大変だけどさ。西島秀俊の演じる田村との絡みとか、あってないようなものだし、それで後半からめっちゃチームワークが生まれたりと、ちょっと、違和感もある。やっぱり、もうちょい絡ませてからの、ゼットンに対して人類とウルトラマンがバディを汲んで!ってのが良かった気がする。
どことなく、初代ウルトラマンの牧歌的な雰囲気も作り出せてたしね。
ザラブの言うこともメフィラスの言うこともさ。
言っちゃえば、ウルトラシリーズで、どこまでもやってきて、時代ごとに色んな答えを出してきたものだからさ。そこに、庵野流の答えがあるのかな?って思えば、やっぱり無難に
「ウルトラマンだなぁ」って感じで終わってしまうというね。
ある種、これは見方を変えれば自分の未来を位置付けたウルトラマンだからこそ、庵野監督は下手にいじりたくなかったんだろうと。いや、いじれなかったのかもしれない。
シン・ゴジラ的な新しいゴジラを望むと、ちょっと肩透かしとか食らうんじゃないかなーとか。
もしくは新しいウルトラマンはニュージェネがやってるから自分は、これで。ってなったのかもね。考えれば、オープニングに、ウルトラQの出来事を持ってきた時点で、そうする。って言うのは決めていたのかもしれない。
肝心の特撮部分も、思えばシン・ウルトラマンの特撮も凄いんだけどニュージェネウルトラマンの特撮もスゲーからシンは物足りない。ってなって、改めて現代のウルトラシリーズの技術って本当にスゲーんだな。って思った。
正直、トリガーのトリガー&ティガVSキリエロイドとか、きたわれとか、ZVSペギラ、Z&エースVSバラバとか、メツオーガの話とか、そう言うのを見ちゃう
と「これをやる前にザラブ戦を見てたら「うぉぉぉぉ!」ってなってただろうなー」とか思っちゃう位にはニュージェネスタッフも凄いんだな
あと、真面目な話として。
シン・ウルトラマン全部がウルトラマンも、ネロンガから始まる対戦相手が全部、CGじゃん。
ただ、シン・ゴジラ時代から、そんなに進歩したのかどうかわからないけど、正直、3Dアニメに全体的に見えちゃった部分があって。シン・ゴジラって、あの時代の中で、フルCGのゴジラがまるで本物のように見えたから恐ろしさがあった。それが凄かった。って言うのもあるんだけど、ニュージェネウルトラマンが、あれに触発されたように着ぐるみを扱いながらも、物凄い映像技術の進化を見せてしまったことによって、最初のネロンガから
「これ、アニメ映画だっけ?」って思っちゃって違和感、強かったのよ。メフィラスとの絡みとか、戦闘シーンがものっ凄くアニメに見えてしまう。面白い演出は転がってるんだけどね。八つ裂き光臨が弾かれて、飛んでった奴が、工場を傷つけちゃうシーンとかね。
まぁ、でもニュージェネウルトラマンが気に入らねぇ!って人にとっては絶好の持ち上げ素材としての作品が出てきたんじゃないかな。とは思うよ。
要は、それって言うのは現代では失われた初代ウルトラマン以降、描かれなくなった未知なる存在としての側面が強いウルトラマンでもあるから。最近のウルトラマンは喋りすぎだ、武器を持ちすぎだーって人からすれば、あれほど持ち上げやすい作品もないだろうと割と真面目に。
とはいえ、それでも、ウルトラマンは
「自分は神じゃないっすよ。」って言ってるのは良いんだけど。ただ、あくまでも人にとっては神秘的な存在としてのウルトラマンとしては体裁は保っているような感じがします。
だからねー、本当にねー
突き抜けた面白さがないのが辛いんだよなー。面白いっちゃ面白いんですよ。面白いんだけど、物足りないのよ。、色々と思うんだけどね。
だからこそ、同時に思ってしまうのよ。
正直さ。
シン・ウルトラマンには愛憎的な感情を抱きそう。
ニュージェネウルトラマンの映画の公開劇場は凄い少ないのにシン・ウルトラマンの上映本数や公開劇場が倍以上あるといろいろと思う。今のウルトラマンを支えてきたニュージェネウルトラマンの世間的な評価を嫌でも肌で感じてしまう。
正直、初代ウルトラマンから全部のウルトラマン、好きですよ。シン・ウルトラマンも愛憎的な感情ではあるけど、まぁ、好きですよ。やっぱり、予算の違いとか差は感じるんだけど、それでも、やっぱり特撮シーンになると負けてないんだよな。だからこそ、余計に感じてしまう。
割と真面目に、映画のグッズって買うんですよ。
最近で言えば、ニュージェネクライマックスとか、劇場版ウルトラマントリガーとか、劇場版少女歌劇レヴュースタァライトとか、グッズを買うのよ。
でも、あれは「いいや。」ってなちゃって(つ=ω=)つやっぱり自分の中で、どこかこれ以上のものを期待してて、勝手に裏切られたと思っちゃったんだろうなーと改めて思いました。
だから、庵野さんの抱くウルトラマンと、自分の今まで見てきて感じて受け入れてきたウルトラマンって言うものに対する決定的な違いなんだよね。庵野さんは初代ウルトラマンを神格化しているのが良くわかるし、私は、ティガとか、ネクサスとか、Xとか、オーブとか、全部が好きだから、その解離性って言うのは結構、でかいよな。ある種、初代ウルトラマンに対する、それが、この映画に対するリスペクト何だろうね。科学特捜隊とか、そう言う要素を自分テイストにしつつ。
それでも、やっぱり端から伝わってきますよ。
「そんなにウルトラマンが好きだったのか、庵野秀明。」それは、やっぱり、あれなんですよね。
だから、リスペクトが強すぎてシン・ゴジラほどの衝撃って言うのはたぶん、無いと思うし、シン・ゴジラほどのヒットは収められない気もするんだよな。
それは言っちゃうと、シン・ゴジラ以上のインパクトがないって言うのは、シン・ゴジラ程進歩してないし、言い換えてしまえば、あの年月からの進歩、ついでにニュージェネウルトラマンとの差別化を図れる場所でニュージェネウルトラマン、特に田口辻本武居坂本アベ組を超えるのうな真新しさがない。って言うのが、個人的に辛いところ。やっぱり、劇場版ウルトラマントリガーのが
「面白かったんじゃないか?」ってなってしまった自分がいる。
全体的に劇場版トリガーのが解りやすく出来てたと思うんだけどね。
劇場版トリガーって
「なぜ、トリガーは僕を人の形で生み出したのか。どんな強い光も一人じゃ輝けないんだ。」って言う台詞からわかる通り、この台詞だけで
「人を好きになったウルトラマン」ってのを凄い解りやすく描いてるのよ。そこに感動とかできるような構成になっているから。
「人は誰でも光になれる。でも一人では輝けない」ってテーマを、ウルトラマンの力を失ったケンゴが仲間たちに助けられて復活するたびに、人とウルトラマンの関係とか、そう言うのを解りやすく描いてるわけよ。
結局、その描写に関してもさ。
長澤まさみ演じる人物との交流も少ない中で「君は、アレだからー」なんて言われても、そこに説得力があるか?って言うと、自分は、そう思わないわけですよ。
バディとか言いながら互いに単独行動とかしちゃってるから、それが職務だからどうとか言われてもね。
そこ行くと、シン・ウルトラマンって、そう言うシーンがねぇ。
色々と思うのよ。
それよか、マルチバースって言葉を聞いた時点で「あれ?まさか、別世界のセブンとかパワードとか?え?」とか思ったら、なんか、マルチバースの概念、解ってないような描写とかあったしね。
ベリアル銀河帝国とか見てないんだろうなー
アレほど解りやすくMCUより解りやすくマルチバース描いてるし、だからマルチバースって言葉を聞いたとき、他のウルトラマンは出なくてももしかしたら「ガタノゾーアとか、ゾグとか、ダークザギとかきちゃうんじゃね?」って、ちょっと、わくわくしてたら、そんなことはなかった。って言うね。
まさか予想通りの展開で、予想通りの話展開で終わったから肩透かしがね
そういう意味でも、何だろうね。やっぱり劇場版ウルトラマントリガーのが、説得力はあったんだよな。
ウルトラファンは大絶賛だろうとは言うけど、あたしは、じゃぁ、なんなんだwってなるわ。割と真面目にね。
劇場版トリガーもシン・ウルトラマンも帰結する場所は同じにしても、ある種、解りやすいドラマの中に、どれだけの面白さと説得力を入れるかってので、全然、違ってくるとは思うんですよ。
そういうところでは、劇場版トリガーのがドラマ的な説得力と思想の補完は上手く出来てたんだよなぁ。
結局、シン・ウルトラマンって初代ウルトラマンだけを使った庵野秀明の二次創作アンソロジーに過ぎないって処を強く感じてしまったのが「なんというかなー。」って感情がね。もっと、はっちゃけても良かったよね。
エンディングを聞いていた時に、思ってしまったことなんですよね。
メフィラス星人自体は、もとよりウルトラマンのライバルとしてデザインされたものだから、変身シークエンスが……ってのは面白くて好きだったんだけどね。
ただ、もちろん、ウルトラマン大好きだし、映画としてはヒットしてほしい部分もある。これが追い風になって、ウルトラマンデッカーやギャラファイに続いてくれれば、それで、新たに色んな人をウルトラマンに呼んで楽しんでくれれば、それはそれで良いことだしね。
ただ、もう、自分は2回目は映画館で観なくて良いかな。って感じで、DVDで良いかな。