今、9人の舞台少女が、銀河の闇を星となって流れた。
一瞬のその光の中に、人々が見たものは、愛、夢、運命、迷い。
いま、全てが終わり、駆け抜ける悲しみ。
いま、全てが始まり、きらめきの中に新たなる夢が生まれる。
次回 舞台 少女☆歌劇レヴュースタァライト Growth
遙かな時に、全てを掛けて。見に行けなかったので、払い戻しもあるしで、今回、配信版があるというのを公演の数日前にお知らせがあったので配信版を姉と一緒に千秋楽を見ました。
やっぱり、あれなのよね。
常に華恋が周りを引っ張るんですよね。前にも言ったけど、彼女は7人の舞台少女は華恋のコンプレックスの一部を肥大化させたものだから、やはり、そういう部分を知っているがゆえに華恋が嫌でも前に出てしまう。
すべてのスタァライトと言う媒体において。
そして華恋が悩んだときは、ひかりが手助けをする。しかし、今回の舞台版の物語は、新劇場版スタァライトに繋がる物語としても見れる。
高校三年生になったからこそ、彼女達に襲い掛かる進路と言う悩み、所謂、青嵐で語られた、どこか真剣さの入っていない聖翔音楽が語られたけど、その意味が、ここで語られるんですよね。
それによって夢、将来のために、これからの大会を無視するか、将来も見据えつつも、これからの大会に参加するか。
思い出作り……
しかし、どちらも大事なことであるんだよね。
国内の物凄い歌劇団に入るために、香子は周明のために今の全てを無気にして将来を見るか。
全国高校演劇選手権で今と言う華を咲かせるか。
ここで悩むんだけど、歌劇団に入る段階で、全国高校演技選手権に参加すること、それは所謂、内申点になるのではなかろうか?とか思ったんだけど。
それぞれが進路と夢に悩む段階において「今」をどうするのかが彼女達の悩み。
各々の心がばらばらになる出来事が起きる、さくらが咲き誇るのは出会いと別れの季節、それでも誰かが誰かを思いあっている。まだ夢とか、そういうものが曖昧な聖翔音楽の未来を担う一年生と出会い先輩として励まし、そして、もしかすれば心がばらばらになってしまいそうなほどになる別れの訪れを華恋は恐れてしまう。
真矢も香子も、それぞれの夢に。
特に香子は将来、家元を継ぐために京都に戻ってしまうこと、真矢の今と言う時間を愛しすぎて将来を見据えていないのではないか?という言葉でより焦ってしまう。ひかりとまひるは、そんな華恋に対して、どうにかしたいけど、どうにもできない。
「今」と言う時間に愛しさを感じる華恋は無論、演劇選手権を愛しく感じるが、それ以上に将来を案じる舞台少女達の気持ちも解るからこそ強く出来ない。そんなときに、自分はどうするのか。華恋は一貫して中立なんです。だからこそ、誰よりも悩んでどうすればいいのか解らなくなって、誰よりも苦しんで踏みとどまってしまう。それは、華恋が舞台少女であるが故なんだよね。
なぜ、自分が舞台少女を選んだのか。
それはトップになったからこそ、華恋は誰よりも演劇選手権で最後の華を飾りたい気持ちも、しかし、将来の夢を優先する気持ちも理解できてしまう。
ある種、華恋にとっての夢は叶ってしまったが故の一つの余裕ではあるんだけど8人の舞台少女の気持ち全てを受け止めようとして四苦八苦するも、皆と気持ちが離れてしまうことを恐れて受け止めきれずにパンクしてしまう。
最高の時間であると思ってしまったがゆえにね。
所謂、そこが絆が深くなってしまったが故の弊害と言うものがある。深まったからこそ、より足を踏み込めないのです。ような肉親って言うのは親しいからこそ何でもかんでも相談できなくなってしまう傾向があるように、彼女達、9人は、この舞台の物語だと、そういうものを感じてしまう。舞台において仲間で作りあうのは必須だけど、それが依存になっていく危うさって言うのを書いているんですよね。これ。だから、それが人に流されて後悔してしまう可能性を説いている。
更に、最悪なことに依存することを恐れてしまって余計にばらばらになっていく。だから、内心、パートナーに助けてもらいたいけど、そうすることもできずに皆が悩んでいく。
それでも華恋は……って思うと、その舞台少女達のアンサーが劇場版スタァライトで描かれているようにも思えます。
行く道は、それぞれ、違う。しかし、心までがばらばらになるかは、彼女達次第。
今回は、そういう話。
幼いころからずっと華恋を助けていた、ひかり。
そのひかりに導かれて華恋は覚醒する、この依存百合体質だけどさ。
そんな、ひかりに救われた華恋は、悩みを一つ乗り越えることで前以上に全ての舞台少女を魅了した輝きを放つ。
そんな華恋だからこそ魅了されるのを恐れて、映画だとイギリスに行く流れになるのも、なんとなく理解できてしまう。そういう意味でも、そう考えると、なぜ、ひかりが劇場版でイギリスに逃げてしまったのかわかる。
で、
#3は、劇場版の前日談とも見れなくない。華恋が悩んでるシーンで
「華恋の心が泣いている……私の思い届いて。」って、ひかりが切なげに言うシーンとかを見ていて思ったんだけど、今回は日常がメインと言うこともあって、あの9人が隙あらばパートナーといちゃつくの最高に面白かった。
今回は、イチャイチャ祭りですよw
でも、それは9人の絆の象徴なんですよね。あの舞台を通して、誰よりも、ある意味では肉親よりも繋がりを持った少女達の絆の象徴なんですよ。
だからこそ、誰よりも理解できてしまうし、誰かに相談できるんだけど、そこにある問題は結局、自分の問題だとわかっているからこそ、深くなった絆であるからこそ、ある意味、踏み込むことのできない領域が出来てしまったということでもあるんですね。だから、言葉的な馴れ合いはしつつも、自分達の迷いは誰よりも。
互いを労わる言葉を駆けることが出来ても、その深淵に首を突っ込むことが出来なくなってしまう、寧ろ、それは甘やかしてしまうことになるかもしれないという苦悩、それぞれの進路、そして、残された一年をどうしたいのか。
それが切なくも儚くも、擦れ違いを生んでしまう。改めて、3年生と言う立場になってしまったからこそ、彼女達は新たな成長を持って、そしてぶつかり合う。
これが「あぁ、スタァライト、そういえば初期からそうだったな。」ってことで、スタァライトとは常に、そうなんです。そう、常にスタァライトとはそうなんです。
舞台少女としての矜持をかけて己の本音をぶつけ合い、そして成長する。これがスタァライトなんですよ。
最後はレヴューをして本音をぶつけ合う。
全員が悩むんだけど、ちゃんと、全員に相談しつつも心が離れてしまう悲しみ、もしかすれば、卒業してしまえば、この三人の時間が終わってしまうという。それでも夢を叶えたい。でも、今を壊したくない。そんな二律背反が等身大の少女なのよな。
そして、今回は独白パートが多いんです。
そんな中で語られるのは自分以上に、自分のパートナーの心配をしてしまう世界。自分を頼ってほしい、自分を気にかけてほしいという思い、そういう弱音をついつい吐き出してしまう。自分以上に、相手のことを考えてしまうというという、そういう世界なんです。だから、姉と一緒に見ていたんですけど、「この9人、大人になったら9人で結婚するよね。」って思えるほどに、誰かが誰かを思いあい、愛し合っている。
そういう心地よくも苦しい世界です。
そんな中で華恋は誰よりも皆といる時間が楽しすぎてしまったから、未来を尊重しつつ別れてしまうことは理解しつつも、同時に、ひかりが来たことでより眩しく感じてしまったからこそ9人でいる時間の楽しさを改めて肌に感じたからこそ、ひかりが来たことによって生まれた、この燦々で絢爛たる日常を愛しいとすら思っている。これを言葉にしたのは、凄い、あの劇場版スタァライトを見た人間からすると、そこまで人間味が溢れるようになったか。って思っていて、すげー感慨深いものがある。
そして、ひかりも、また、また華恋と離れる日々を恐れている。だからこそ、華恋に依存してしまいそうになるけど、劇場版でイギリスに行った理由は、ここからも見えてくるのだろうかと思えてくる。
誰かが自分を置いて言ってしまうことを極端に恐れる華恋を見ていると、あのひかりと再会するまではどうでも良いと思っていた日々さえも華恋と言う存在が、愛しくなったという言葉で確かな人間になっていくことが伝わってくる。
そして、見ていて思ったのが、誰かがそばにいないと、その未来を予測してしまうと不安になってしまう。それは言ってしまえば、さっき言った絆が深まったことによって生まれたリスクなんですよね。これ以上、素敵なこともあるかもしれないが、今以上に、素敵なことかわからないし、もしかすれば悪いことが起きてしまうかもしれない。そういった不安が仲間同士の絆が強固になるたびに生まれてしまうリスクと言うのがある。
ましてや、ひかりと華恋の場合は経緯が経緯だからこそ距離を取らないといけない。下手するとより深く依存してしまう。そういう恐れ。
ところどころ、華恋がいなくなって寂しがるひかり。
ひかりがいなくなってどうしようもない不安により苛まれる華恋の姿が上手く重なっています。
二人の夢は、寧ろ下手をすれば依存を加速させる。
走駝先生は、それを理解しているからこそ助言を与える言葉は不安になる。
別れることによって起きる寂しさ、寄り添いあう心が依存に繋がる危険性、そういう脱却を行って、新たに全員を尊重しながら成長して前に進むのが劇場版スタァライトと言う物語でもあったと同時に、今回の舞台で選んだのは皆で迷いながら前に進む。
ただ、迷ってもいい。
しかし、それはいずれ抜け出さなければならないものでもある。でも、それまで最後まで考え抜いて最高の道を歩んでいきたいという、当たり前の人間としての、等身大の少女らしい道なんですよね。しかし、その迷いを内包して乗り越え、新たな舞台に挑むのも舞台少女である。
そんな先輩たちに影響された後輩たちは最高の舞台を言う乱す為に走り出す。
だから、この物語の後に、劇場版の流れがあるのだとしたら、それは凄い美しい物語になるように出来ている。
進路と夢、それによってばらばらになりつつも、それによって生まれる彼女達の悩み、成長したとはいえ、まだ、それは舞台女優としても卵だし、まだまだ、彼女達は少女であり、少女から大人になる中で再度、悩んでしまう時期。
でも、彼女達は、それぞれを慕う少女達の何気のない言葉によって救われて、それがばらばらになった心を繋ぎ止める切欠にもなる。あと、#3は、そういう役目に青嵐に出てきた小春の妹である柳桜と新キャラ二人、京都で香子を慕う舞台少女やつき、そんな彼女達の思いが一つの物語の打開のヒントになる。
特に華恋が桜と出会って光明を得てから、パンクした頭をシンプルに考える方向にシフトする姿を見ていて「あー、やっぱり舞台少女だなー」って思いつつもね、あそこまで引っ込み思案で、ひかりがいなければ友達すらできなかった華恋が、そこまでになってしまうってさ、スッゲー良い仲間を手に入れたんだなーって思うとジーンッと来るものがあるんだよね。
そして、後輩たちは先輩たちから道を教えてもらう。
思えば、華恋は全ての少女達の彼女になることが出来ると公式で言われているので、だからこそ「すべての少女達の悩みを受け止める」と言う選択をするんだなーと。
後、何気に、小春は華恋を意識していたんだなーって。
ついでに、あれほど、#1の時は冷酷だった走蛇先生が、すっごい丸くなってるのよね。冷酷だったはずで、キリンに対しては何処か奴隷であったはずの彼女が。良い感じに生徒を導く良い教師になってます。
なぜ、そうなったのかって言うのも独白で暗に華恋たちの影響であることが語られるのはちょっと微笑ましい気持ちになった。思えば、華恋の特性、そして、そんな華恋によって輝く花となった舞台少女達の影響と言うのもありそうだ。
そして、やっぱり歌が凄い。アサルトリリィのライブの時よりも揃って……いや、そうじゃなくて。日常シーンやレヴューで唄われる歌詞の一つ一つは彼女達の心情9人を良い感じに表している。
それを聞くとストーリーの中でごっちゃになった部分も良い感じに物語が整理されているのよね。
それにしても、誰よりも向上心を得ていたのは実は、まひるちゃんなんだよねー……
スタァになりたい。って思いを持ちながら、その思いを持ち続けることが出来たのは愛城華恋の存在でもあるというのを感じると強いんだよね。
ある種、今回は華恋に依存体質を見せているわけではないけど、節々に、そこには華恋と一緒に立ちたいって言う思いも見て取れるのよな。その意志の強さは。
そして、真矢は実は、そんな器用ではない。でも、ストイックで一つのことに臨むがゆえに強い。だからこそ複数の選択肢に実は弱いからこそ非情にもなる。何気に誰かに引っ張ってもらわないと、器用に自分を魅せることが出来ないって言う意外な一面でしたね。
そういった人間の弱さって言うのをレヴューで憂さ晴らしだよねwその奥にある思いは醜いかもしれないけど、でも、それが人であるという部分を見せるからこそ美しいんですよ。
そして、そう、互いを知れた仲間たちが高いるのであれば華恋の言う通り……今と言う時間は、今しか楽しめないのだから、孤独を演じるのはまだ早いんですよね。恐れから今を幻想と切り捨て先に自分から孤独になってしまえ……って言うのは実は、凄い辛いことなんですよ。って言うね、それが、凄い、学生時代の大事なこともでもある。
それが余計に寂しくなってしまうことでもあるし、だから、最後のレヴューで、その負の感情から解き放つ為に負の感情にとりつかれたもう一人の自分、いわば影と戦う。
自分との闘いの中で魅せる感情、その思いと言うのは、最終的に、そこから仲間たちと切磋琢磨してゆっくりと、もっと最善の答えを出すのは遅いことではないんですよね。
最後のレヴューから、またグロウスの名の通り、負の感情と向き合い受け入れることで成長して仲間としての絆も、また高みに一つ昇ることが出来たという証なんですよね。
ある種、初期に危惧された気を使いすぎて遠ざける。依存してしまう、そういう恐れからの脱却から真の仲間と言うものに対する関係の消化と言うのが伝えたいことなのだろうとも思う。
寧ろ、それが最良なのだと言うことも解る。
そこで、思うのは、やっぱり、これは自分と自分の戦いでもあるという、正に、この時期、高校三年生と言う進路に直面した誰しもが経験する出来事であるからこそ、それを文字通り劇的に描くからこそ彼女達の葛藤は美しいのです。その先に後悔は絶対はあるし、その衝動は今と言う時間を幸福に感じれば感じるほどでかくなる。
誰もが今と言う時間を愛しいと思ってる。
だからこそ、誰もが大きな愛しさを失うことから未来を恐れて、それを受け入れ、あるものは、それから逃げる。でも、それから逃げられないんですよね。
逃げることは、また、それを否定してしまうし、それは辛いからこそできない。
だからこそ、彼女達は最後の最後に自分の負の部分と戦うんですね。後悔しないために。
そうして自分の最良の道に進む決意を得るんです。
それこそ、後輩たちに影響を与えるほどに余りにも強大で大きな輝きに。
だからこそ、その迷いを全てを受け入れて最良の選択を望む。その為には、その迷いに苦しむ自分を断ち切るしかない。白黒を早くつける必要はなく、悩む時には悩めばいいし、また、新たに、ここにいる9人が仲間になった意味と言うものを感じるのです。
依存しあう、寄りかかりあうという、そういうのが仲間ではないという、共有しあい、友に導き合い、一緒に歩く。これが仲間なのだと言うこと、誰もが通る道の中で出会った仲間たちがいる意味。
弱さや迷いを共有しあい、そうしてともに進む先に、彼女達にとって最高の未来がある。その迷いの時間でさえも舞台少女達にとっては進化のための糧と時間である。
思えば、その最良の選択が、あの劇場版なんだと思うと結構、あの、劇場版の前日談としても深いものがあるんです。
そんなこんなで、すげー楽しかった。
やっぱりスタァライトって最高なんだよなー。
舞台版を見て、アニメを見て……
そういう日々が良いんですよね。
平成最後に出した百合アニメの最高傑作は、未だに進化を続けている。
とどまることのない、見終わった後の心地良さと言うのは、どうしようもないですね。どうしようもない、感無量感というかねwそういうあれですよ。
恐らく、ここからはスタリラ舞台版があるだろうと言うことでアニメ版もやるだろうね。この流れだとね。
約束タワー、良い歌だなー(つ・ω・)つ
ラストのねー、歌が非常に美しいの。
全員が綺麗に揃ってるのよ。
しかも、生歌でさw
乃木坂でも、AKBでも、こんなスゲーの見たことねーよ!ってなるw
そして、ロンド・ロンド・ロンドや劇場版の主題歌をライブで唄うというのも……また、この舞台に華を添えてくれる、素晴らしいものになっています。
良いですね。
やっぱ、この少女たちの群像劇って言うのは醜くも辛くもあり、さも、儚い。所謂、青春と言うものを見ごとに凝縮した、最高の物語になっているんですよね。
あー……
スタリラ、見に行こう(つ=ω=)つ
とりあえず、来週の月曜日まで配信されるらしいので、毎日、見よう(・ω・)
たぶん、今でも見れると思うので良ければチケットを買うのもありかもです。しかし、やっぱり、配信版を見ちゃうと実際に、舞台を見に行きたくなっちゃうんだよなーwww