あのダークキラーと戦った疲労状態でトレギアと戦ったなら、そりゃ、苦戦するわーとか思った。
しかも「光の国を潰す」って言っている以上、あそこで休んでる暇はないし。何気に、グルーブとトレギアの対決は、今までのウルトラマンから学んで新たなウルトラマンのアイデンティティを創り上げたグルーブと、今までのウルトラマンのアイデンティティを否定したトレギアの対決であるというのは結構、面白いのよねー
トレギアの人格の基礎は、たぶん、脚本家の中ではオーブの時には既にあったんだろうなー。
オーブも身もふたもないことを言ってしまえば「光も闇も同じ」ですからね。
その心持を自分がどうするか。って話でもあるし。
「貴様らに私の何が解る。」って流れはタロウに対して自分の内なる感情を話したときに模範的、納得のいく答えしかもらえなかったと思うの。
トレギアはタイガに対してタロウの息子、ひいてはM78星雲の思考停止の連中として見てしまう部分から上記の台詞を吐いたように思われ。
トレギアは自らを「闇のウルトラマン」と称されることが非常に不快な顔をしていたけど、「正義と悪は無い」「光と闇は紙一重」と口にした、彼の言葉には昨日のタイガの最終回を含めてどれほどの出来事が彼を苦しめたのだろう?と考えてしまう。ウルトラマントレギアって存在自体がメタフィクション的な目で見ると「ウルトラマンのアイデンティティ」に挑戦するキャラクターなんですよね。
彼の存在が今後のウルトラマンの形を自由にさせるのではないか?トレギアが主役の作品が来そう。
あれが、タイガの第一話に繋がるのであれば、それは、解る気がする。
ウルトラギャラクシーファイト、トレギアが黒幕だったのは言うまでもないんだけどウルトラダークキラーがニュージェネを壊滅させれば僥倖、倒されたとしても疲弊したニュージェネが自分の相手は大人数であろうともまともにできないことを読んで光の国に移動するという策謀はあったのかもしれない。
もし追撃してきたとしても魔術的な要素で翻弄は出来るし、あのタイガの冒頭に繋げるのならトレギアは、あそこで光の国を壊滅させるつもりは無かったのではないか?
もしかすればタロウが期待しているギンガ達の満身創痍状態を見せつけ自分が勝利することで自分の哲学を立証するつもりだったのでは?


ニュージェネヒーローを傷つけてタロウに絶望と自分の考えを刻み付けるのが目的で、更に光の国の壊滅を目指す。ベリアルのように暴れれば、それこそウルトラの父やウルトラ兄弟、マックス、パワード等と相手をしないといけないんだろうけど、トレギアは光の国を壊滅させる術はあるんだろうなー。
何か、トレギアって人によって結構、印象が違うよね。
敵という言葉に囚われて「闇のウルトラマン」と称する人もいれば、私のように「虚無の哲学者」に捉える人もいたりとか。
「闇のウルトラマン」って言うよりトレギア自身は「虚無のウルトラマン」って言った方が正しいような気がする。
光の国の壊滅を狙ったのもトレギア自身、己の哲学の証明。それこそ、光が常に闇に勝利するとは限らない、その思考と、ウルトラマン共通の正義は誰かの悪であるという部分の認識。
後者の部分、それがトレギアの抱く「光は正義と決めている宇宙の番人」に対する否定でもあるというね。
トレギアにとってウルトラマンの正義は、そういうものでもあるという。
まさに、正義の逆は、もう一つの正義という言葉を証明するという。
ウルトラマンと言う世界だから出来る問題よね。
トレギアはトレギアの正義……いや、彼の動きを見れば信念の為に暗躍するウルトラマンなんですよね。
「ウルトラビッグマッチ」でトレギアがゼロに対して「生命は迷い悩むからこそ美しいもの」と評していた未熟なタイガに対してトレギアがしたことは自分の考えの証明を理解させることだったんだろうなー。
特にタロウに自分の正しさを証明する為に16話で、あそこまで激情になった。
それが果たされそうになった時、トレギアの毛嫌いする絆の力でトライストリウムになるし、それでヒロユキに対しての挑戦が始まるんよなー。改めて絆の力はいかほどの者かと。
そして最終話、図らずともタイガと絆を結んでしまったという、絆を否定したトレギアには屈辱だった筈

こういう決別を意味するシーン、弱いんだよね。
トレギアにとって親友のタロウから己が満足を得られる回答を得られなかったからこそ一人、光の国を出て己を満たす回答を見つけに行った先にニヒリズムに囚われてしまったように思える。
謎が明かされないからこそ、トレギアってどんどん気になる。
ダークネスヒールズのように舞台で明らかにされるか、所謂、トレギアが主役のトレギアファイト見たいなのがあっても良いと思うから、どんどん、彼を知りたい。って気になってくる。
トレギアの虚無の奥にある作品のテーマに対する「アンチテーゼ」的な存在と、それでも作品のテーマである「共存」に「誰かに笑われたって構わない、自分の信じる道を貫いて」がむしゃらに突き進むタイガの成長という、まるで真逆の存在の対峙でもあるわけですから。
虚無の奥底には何もない筈のトレギアがタイガの光を暖かいと称して「光を信じてしまった」自分に対する憤慨であり、さらにタイガとヒロユキに軽蔑していた「光の番人としてのウルトラマン」と称されたことに対する屈辱は彼のアイデンティティには許されないことなんですよね。
本来なら、こういうのって色々と考える筈だけどトレギアの場合は逆に憤慨するんですよね。
まさに「光の力は、そんなものではない。」とでも言うかのように。
言ってしまえば確かに命のやり取りの戦いに「正義」は無いですよ。
正義の敵は別の正義ですからね。
トレギアは特撮ヒーローの中で描かれる「正義の行い」を嘲笑する存在なんですよね。
ウルトラマン、ライダー、スーパー戦隊、魔戒騎士、宇宙刑事等などの行動を「光の番人」を気取ることに嫌悪を抱く。
奥底は同じであるというのをウルトラマンでやる。って言うのは凄いのよね。
これを信じてきたはずの自分のアイデンティティが、決別したタロウの息子であるタイガに見せつけられてしまったことに対する、己の存在意義を否定される辛さが冷静で残酷なトレギアを殺してしまったことは皮肉だよね。信じてきた物が言いようのない実感で裏切られたんだから。
自分の中ではトレギアって色んな意味でベリアルや、ゼロ以上に人間らしいウルトラマンだと思うんですよね。
そういう部分が。
所謂、高みから嘲笑して人の絶望を楽しみつつも、実はそういう部分から見える根底が最も人間臭いウルトラマンだと思うのよ。
あの光を信じてしまったら自分が見てきた物は何だったのか。
実感して自分の中のアイデンティティが崩壊してしまうほどの出来事だったのよ。
絶対的に世界を破滅に導いた怪獣を救う光が「暖かい」と感じてしまった、あの瞬間、自分のアイデンティティを自分で自然と否定したから。
自

分が否定していた「ウルトラマンの光」を一瞬でも「暖かい」と称して受け入れてしまったトレギアの中にある屈辱感って言うのは、何とも言えないはず。
自分で自分の今までを否定してしまった訳ですから。更に、その後、タイガからウルトラマンであることを嫌でも自覚したから。
その後、ほら、太陽をバックに輝くタイガトライストリウムを見て「タロウ……」って呟くけど、その後のトレギアって言うのは光を否定することでトレギアなりの未来に進んだはずの彼が実は過去に縛られて未来に進んでいることは無かったという演出が、また辛いんだよね。
あそこで、トレギアは自分の全てが間違いだったと、その頭で嫌でも理解してしまうけど、それじゃぁ、「自分の今までの人生ってなんだったんだ!?」ってことになっちゃうんですよね。
ある意味、悪役にとっては死よりも辛いことだと思うのよ。
自分で自分を否定ってのは。

結局、「ウルトラマンの光」に対して一番苦しんでいたのは自分だろうし、恐らく、トレギアもタロウに対して親友だったから自分の考えを吐露したけど、トレギアとしては満足のいく答えを得ることは出なかったと思うの。だから虚無に入って否定することで今の自分を作ったのだと。
このウルトラマンから語られる背景の虚しさって言うのは、どうにも出来ないものがあると思う。
そういう人間臭さがあるから、トレギアのこと好きなんですけどね。私は。