「劇場版ウルトラマンR/B セレクト!絆のクリスタル」 を見てきましたー(つ=ω=)つ
平日午前からだから当然の如くスッゲーガラガラ(=ω=;)
あたし含めて三人しかいなかったし。
さて個人的な評価としては面白かったけどもっと熱くできたんじゃないかなー?ってのが本音。
及第点だけど惜しい。
ひょっとしたら自分としては、今回の劇場版ルーブは、そういう部分も手伝ってか劇場版ジードよりももやっとしてしまう部分が、それなりにあるんだよね。
そういや、なんやかんやで今回もあっさりと負けてしまったロイヤルメガマスターよ……(=ω=;)
いや、ちゃんと話は出来てるんだけど、劇場版ジード以上に燃える筈なのに、強風が吹いて、うーんってなっちゃう部分もあったりね。劇場版ウルトラマンルーブは熱いシーンはあるにはあるんだけど、そのための下準備が圧倒的に足りていない感じ。
百点中60点……って感じかな。面白かったんだけど、及第点止まりの映画って部分が強くて、これが円谷プロの予算とか、そういう部分の現状を思わせていて辛いね。
後、だいじなことと言えば、今回のウルトラマンルーブは、いつも以上にギャグが控えめだったので、私は気にならなかったけど後半のギャグに苦手意識を抱いていた人は、そこは安心して見られるのでは?と思います。
さて、何故、ちょっと60点という点数なのかと言うと、下記参照ですよ。
思い切りネタバレします。
まずは、一つ目として。
・描き足りないドラマ ウルトラマンルーブらしい家族の物語を根幹としつつ構成としては全体的に「湊カツミと夢と現実」って言うのが全体的な物語として出来上がっているような、そう言う感じ。
ただ、ラストに行くのにルーブで明かされなかった謎が引っかかって燃えるなきゃいけないところで燃えない。って現象に包まれた。
この湊カツミと湊家の物語として彼のアンチテーゼとしてユキオとトレギア、ユキオの取り巻く家庭環境は、もうちょい描写されても良かったんじゃないかな。って思った。
いや、あれでも伝わるし、やり過ぎるとメインがドン引きするかもだけど。親子って、そういうもんかな。って思うけどー色々とね。だから、こうDVとか、精神的DVを子供にしてしまう親とかいるから、そういう側面を、戸井親子には演じてほしかった部分があるんですよね。
ああいうことを言う母親に対する子供の意見って言うのをメイン層の両親に伝える為にも必要なんじゃないかな?って部分があるし、ドラマを描いてからトレギアの悪魔の囁きを入れた方が自分としては盛り上がったと思うのよ。
湊家、カツミのアンチテーゼとしてのユキオ、トレギア、戸井家って感じで。
家族を取り戻し幸福を掴み取った湊家と、家族は最初からいるのに不幸な戸井家とかね。
子供たちはカツミ達を応援したくなるけど、成人したファンからするとユキオに感情移入したくなるから、もっと彼を掘り下げて欲しかったなーという理由もあるんですよ。
ただ断片的に語られるし心情も伝わってくるし、私自身がユキオのような経験を味わったからこそ、もっと彼を掘り下げてちゃんとドラマを与えてほしかった。
何故かって、ここネタバレだけどさ。
ユキオが会社を辞めた理由が自分の本来、やりたいことの仕事が与えられずに違う仕事ばかりやらされた。っていうのあるじゃん。
現代的な若者の脆弱さと言えば、それまでだけど、でも強い夢を持つほど、現実との差に開いて味わう挫折感って絶対にあると思うのよ。
もしかすれば
「こいつは雑魚」 みたいなことを思う視聴者もいるかもだけど、でもそこから這い上がれない人間の生み出す孤独感と
「もしかしら自分は、この会社に必要ないのでは?」 って思わせるほどの焦燥感があったと思うのよね。こう言うこと言っても自分を救うアドバイスを出す人間っていないのよ。
その部分で、とある理由で自信を喪失したカツミがユキオを説得しに行くでしょ?アレでユキオが立ちおれば自分も立ち直れる。って言う淡い期待が逆に追い詰めてしまう。
さらにユキオの母親がイサミと比べるシーンがあったでしょ。
あれって無意識に言うことだろうと何だろうとやられる凄い傷つくのよ。
ユキオが実の母親にイサミと比べられた時、辛辣な表情を浮かべていたけど、あの後のトレギアとの接触で何を思ったのかってのは、やっぱり表現してほしかったんだよね。
実の肉親から別の家の優秀な子供と比べられるって比べられる方からすると屈辱でもあるし「俺だって頑張ってるのに」って劣等感や焦燥感に苛まれて辛いし、何より己の努力を否定された気分いなって虚無になる。ってことを映画で子供と見ている親御さんに伝えるような、そういうシーンがあっても良かったと私は思うんですよ。
重くなろうとも、やっぱり、ウルトラマンだからこそ、そういう訴えることはやってほしかった。
多分、あの母親は息子思いなんだろうけど何気ない一言で子供を傷つけてしまうことに気づけない母親なんだと思う。
だからこそ息子が会社を辞めた理由や、ああいう素朴な少年がパンクな似合わないファッションをしていることが解らない。って言う、ある種、ユキオがああなった直接的な原因だと思うの。
そこをもっと描いて子供と見に来た親御さんに「あれ?俺も、そうなんじゃないのか?」「私も同じことをしていない?」って思わせることって凄い大切なことなんじゃないかな?って思うのよ。
そこまでやる時間が無いから、あれなんだろうけど。
だから、やっぱ、ウルトラマンの映画に72分は短いよ。
これを入れることで生まれる挫折感、自分は、こんなに頑張ってるのに勝手な事を言う連中の言葉から生まれる劣等感、同じ夢を失った者同士のカツミとユキオであっても全く違う二人、ユキオとカツミの対立は結構好き。
カツミはウルトラマンではあるけど、それだけなんよなー(つ=ω=)つ
でもユキオの場合はウルトラマンじゃないし、カツミが偉そうに説教しても嫌味にしか聞こえないのよな。しかも夢を奪われても前を向くカツミに対して劣等感を抱いちゃって怪獣になる展開とか感情移入しすぎてヤバかった。
そういう状況から生まれるトレギアの悪魔の囁きは良い感じに効果的だし、そっちに身を委ねたくなる気持ちもわかるしで、グリッドマンを思い出した。
ユキオのスネークダークネスのイラストの上手さから見ても、やっぱり、会社側に問題あるよなーとか思っちゃって、母親の無意識な言葉に劣等感に苛まれる感情とか、何も無い者同士だったのにウルトラマンだったカツミに対する怒りとか微妙にユキオがカツミを信じてたのに裏切られた感情から生まれる感情とかね。
だから、戸井家を母親とかね、もっとうまく描けば幸せを掴み取った湊家と何も無かったけど失ってしまった戸井家という形でアンチテーゼに慣れたんだけど、ちょっと、もうちょいほしかったな。って言うのが自分の本音だよね。
その部分の代わりと言う意味でトレギアがいる訳だしね。
同時にユキオのドラマは良い感じに母親に抱きしめられたり家族の素晴らしさを湊家で知ったリクに「たった一人の母親だろ!」って説得するシーンは熱いからこそ、もっと欲しいんだよ。
ベリアルって親を持ったリクが湊家に触れて家族の暖かさを感じたから、あのセリフに熱さが生まれるんだよなー。
子供向けってのもあるからこそ親子だし綺麗ごとで描かなければいけないからこそ、そこまで行くための説得力のあるドラマが欲しかった。
まぁ、あと、あの戦闘シーンで言えば、スネークダークネスは暴れて欲しかったなーと。ユキオの社会への絶望に対する象徴であるのなら、もっと派手に子供が泣くくらいには破壊をして欲しかった。って願望もあるし、それをやるだけでもカツミの意志の強さ。って言うのも相乗で上がっていったと思うんだ。
それによって夢を絶たれて社会に絶望して破壊するユキオと、夢を絶たれてもまっすぐ前に進んでいく助け出そうとするカツミのドラマとしても凄い熱くなったと自分は思うんですよ。
ちょっとこじんまりしてたなと。
んで、そういう光景を嘲笑しながら見つめるトレギアの構図とか見たかったんだよね。
考えてみれば劇場版ニュージェネウルトラマンに対する不満って言うのは個人的に「もっと欲しい!」なんだよね。
今回のルーブは、やっぱりカツミのアンチテーゼとしてのユキオのドラマがもっと欲しかった。になるのかなー。
・最高の戦闘シーンなのにぃ―!!でも描き足りない盛り上がるためのドラマ! さて、まぁ、ここまで色々とぼろくそには言いましたが……
でも湊家のドラマとしても、まぁ、あのカツミを連れ戻すシーンとかは結構、好きなんですよ。
ただ、グルーブというウルトラマンが家族の絆の象徴的なことを言うのであれば、もっとウシオさん、ミオさん、アサヒ、イサミ、そしてカツミがもっと燃えるような、何かがあっても良かったんじゃないかと。
テレビ版の名場面を静止画で5秒くらい、ババババ!って流して、家族の絆に対して、何か、こう熱い感情を抱くような、何か、あの思ってた以上にグルーブになる過程が個人的にあっさりしてたので、やっぱり、そこはもうワンクッション欲しかったな。って言うのが凄い本音なんですよね。
だから、ああやって家族やリク達の力を結集してカツミを助けた瞬間に「あ、私は今、ウルトラマンルーブを見てるんだ!」って再確認ができたからこそ、やっぱり、もう一度、それを感じる為にウルトラマングルーブになるシーンは、また家族の絆を感じさせるシーンを入れてほしかったと思うんですよ。
ウルトラマングルーブが大活躍する戦闘シーンとか本当にかっこよかったし、「アメコミ映画よりもスゲーかっこいいじゃん!」って思えたからこそ、やっぱりグルーブになるシーンで、もっと!もっと!なんか熱くなる家族の物語をくれよ!!って思えちゃうんですよ。
我がままかもだけどね?
ウルトラマングルーブを、あそこまで最高にかっこいい活躍をさせる為の1クッションが思い切り足りない!!
って個人的に思っちゃったんですよね。
ついでに都合よく出てきてしまった「マコトクリスタル」の影響でね。「だからマコトクリスタルってなんやねん!!」ってなっちゃったのよ。
家族の象徴としてのウルトラマングルーブや、マコトクリスタルなのであれば、もっと欲しいんですよね。
物足りなさを感じてしまうんだー(つ=ω=)つ
でも日本を代表するかっこいいデザインのヒーローがアメコミ映画顔負けのVFXを駆使した動きをするのは本当に見ごたえがあって凄い好きだし、やっぱ、日本のヒーローはこんなにかっこいいだよ!って言いたくなるような感じだったのも凄いほんとに好きですね。 VFXを駆使しまくって圧倒的なカッコよさを決めるウルトラマングルーブが最高にかっこいいからこそ!!最高にかっこいいからこそ!!!
変身するための動作に、もうワンアクションくれよ!!!
って思っちゃう。
ここら辺の一連の流れは本当に日本の特撮ヒーローはアメコミ映画作品に負けてない!!って自信をもって言える最高にかっこいいシーン。
ましてやグルーブもトレギアも最高にかっこいいデザインだから、アメコミ映画作品よりも映える。そう言う感じがしてならない。
問題は、やっぱり、この最高にかっこいいシーンをより映えさせるためのワンアクションが圧倒的に足りなかったことなんじゃがね(=ω=;)
予算がもっとあれば、もっとかっこよくなってた。
結局、そこは玩具主体主義等の日本の特撮ヒーローの悪しき伝統よね(=ω=;)
だから、このシーンを見て思ったんだけどさ。
少なくともシン・ゴジラクラスの予算があったら、もっとすごいことになってたんじゃないのか?って思わざるを得ない、このもどかしい気持ち解る?あんた。
・ウルトラウーマングリージョ誕生は素敵! ウルトラウーマングリージョが登場するシーンの過程が完全に
「アササキだ!!!百合だっっっっっ!!!!!」 ってなるので百合ファンはテレビ版ウルトラマンルーブを見たら、劇場版ウルトラマンルーブを見に行くべき。
ツルちゃん、アサヒを口説いてから変身させるとか砂糖出るわ。
いや、あんた、もうテレビ版の流れの後でアサヒが「ツルちゃんの思いを抱いて戦います!」って言って、レギーナになって戦ってさ。
更に、そこから皆を助けるために
「誰かを助けたいという思いに性別は関係ありません!」 って言葉を勇ましく叫んだ後にサキが出てきて更に口説くとか、もうさー。
あの台詞の後に二人が一緒に微笑み合ってアサヒが決意を秘めて自分を口説いた女の名前を自分の変身するウルトラマンの名前にするとか、
「アササキ、これ、もう百合婚じゃん!!!」 って思わざるをえなかったし。
「あ、あ、あぁぁぁぁ、アササキが百合婚してるぅぅぅぅ!」 あれだよ。
もうアサヒは男にモテても彼氏は作らないタイプだよ。
インナースペースでサキとアサヒはいちゃいちゃするタイプだよ。
あれ、そういうタイプの百合カプだよ。
もう、最高に、もうアササキが百合婚してるし、考えてみれば劇場版ルーブで一番高揚したシーン、グリージョのシーンだわ。
アサヒが「誰かを守りたいという思いに性別は関係ありません!」ってなってウルトラウーマングリージョになるシーンは好きなんよね。
改めて、そこで21世紀初の女性がウルトラマンに変身するという意味と、現代はそういうことを言わないとわからない横柄な人間に対するメッセージのようにも思える。
変にLGBT問題やジェンダー理論を絡めない部分が特に良いんだよね。
まさに、アサヒの、この台詞は「これが日本のヒーローなんだよ!」って歴史を知らないで日本のヒーローを偉そうに語る人たちに伝えているように思える。
戦える力、守りたいと思える思いと力があれば、そこに性別は関係ない。
日本の特撮ヒーロー特有の力を与えられれば持っていれば誰もがヒーローに慣れるという、その部分を改めてちゃんと語っているのが良いよね。
プリキュアで男がプリキュアに変身した時、色々と言われたけど、正直、こういうシンプルな理由でヒーローになれるならプリキュアよりも親切だと思うのよ。
その後に変身する段階の流れが完全に百合だったのでアササキファンとして完全にスクリーンの前で拝んでた。
ウルトラマンになる段階で本来のジャイロの持ち主であるサキがアサヒを導く。って言うのが二人の絆の象徴で最高よ。
しかも、この時のサキの表情、めっちゃアサヒの彼女面してるの凄い好き。
劇場版ルーブでサキがアサヒを口説いたときに二人が光のオーラを纏って、その後にグルジオレギーナの鎧が剥がれてウルトラウーマングリージョになるシーンを見て思った事はさ。
アササキの百合婚式で光のオーラは実質ウェディングドレスじゃねーか(・ω・) って思わざるをえなかったので百合です。
・リクが家族に触れる暖かさが好き。 家族がいないリクと湊家の絡みは結構、好きなんだよね。
レイトさんとは違う暖かな家庭。
そういう意味では異質な生まれ方でありながら湊家に家族として受け入れられたアサヒと、リクは家族の設定が重いから会話シーンって凄い深いものがあるなーと思うんだよね。
そこで家族の良さを感じ取って「それが家族だろ!」ってさ。
んで不満な、さっきの場所と混ぜるけどさ。湊兄弟に発破をかけた後に、ミオさんとウシオさんが息子たちを助けるために愛染テックの技術をフル稼働してサポートし湊三兄弟がフォームチェンジアタックを繰り返すけど、でもトレギアに圧されて「それでもあきらめない!」って感じで湊親子の心が一つになってマコトクリスタル登場なら私は燃えた。
イサミとカツミがリクと同じ年齢だからこそリクの表情から見える「あ、自分に家族がいたら、こういう感じなんだろうな。」って感じのものが窺えるのが本当に好きでね?(つ=ω=)つ
それで、そのあと、心地良さそうにアサヒと会話してアサヒの思う家族の捉え方が凄い良いな。って思いました。
最終的に…… 今回のウルトラマンルーブの映画を見て思ったけど、あれでやっぱり沢山の人を納得させるなら劇場版シティーハンターとか、あれくらいの上映時間じゃないと、ダメじゃないかな?って思った(つ=ω=)つ
上映時間の関係で前回はシーンが飛び飛びになってたし、今回は最低限描くべきドラマ量が増えてしまったからこそ描けない部分が増えて盛り上がれる場所で盛り上がれないしで、やっぱ課題は多いよね。ニュージェネウルトラマンの映画も。
やっぱ、庵野監督がシン・ウルトラマンとかやって大ヒットしたら色々とニュージェネウルトラマンの環境は変わるんじゃないかな?って思ったりするんだが‐(つ=ω=)つ
アサヒの
「誰かを守りたいという感情に性別は関係ありません!」 って台詞は日本の特撮ヒーローの女性メンバー全員に言えることで、ここでジェンダー論とか、そう言うのを振りかざさずにシンプルに女性がヒーローになる理由を端的に簡単に語られてるのが良い。
後、トレギアに関しては結構、好きですよ。
ああ言う感じで悪魔の囁きや、人の負の感情を突いて誘惑するのはグリッドマンのカーンデジファーや、アレクシスのようなタイプは結構好きですし。
良い感じにウルトラマンルーブの夢というジャンルにおけるアンチテーゼとしても機能してたと思うしで。
何より、あいつ、死んだと思ったらむしろ生きてたし。 ウルトラマントレギアの正体はなんなんだろうね。
個人的には今年の新ウルトラマンのラスボスか、ニュージェネウルトラマン全員集合映画のラスボスのどっちかを推します(つ=ω=)つ
思えば、今回の劇場版ルーブは湊家の戦いだからこそトレギアの正体って、そんな重要じゃないんだよね。
そしてベリアル以来の悪のウルトラマンであるということを考えれば、今回で退場するのは凄い惜しいし、ラストでの演出を考えれば今回は、ある意味、ウルトラマントレギア序章という見方も出来る。
そういう意味でも楽しみだわ。
さて、まぁ、今回の映画なんですが。
全体的なメッセージは、カツミが言いたいこと、そのものでしょう。この物語と、テレビのルーブの物語は、まさに、カツミの最後メッセージそのもので、人生そのものであり、そこに集約されてると思う。
「いっぱい笑って、いっぱい苦しんで、それが成長の糧になる。」 みたいな、あれが全体的なメッセージなのよ。
多分。
ついでに、この言葉、学生時代に聞きたかったなー・……
ルーブらしさを受け入れらない人を受け止めるほどのパワーが無かったのが最大の原因感ある。 そのポテンシャルは秘めてたんだけどね。 VIDEO