
何か、すげーな。
この世界でのメカゴジラ……アニメだから出来るメカゴジラとでも言うべきか。メカゴジラシティとか、そういう設定?明らかにアニメじゃないとできない世界を、こうまでやるか。
って感じで、ちょっと、結構、感心してますよ。
いや、あれはアレで好きなんですよ。
なんか、でもね。
エヴァの要塞都市のようなものをナノメタルが瞬時に形成して迎撃とかするのかなー?とか思ってたからさ。
決戦機動増殖都市の名前からしてね。
でも、そういう奴じゃなかったから、残念だなーってさー( ・ω)
ついでに思うんだけどさ、ポスターに、あんだけでかでかと描かれておきながらメカゴジラが一切、出ない!!!!!って言うのは、まぁ、出てるって言えば、出てるんだけどさw
メカゴジラシティという形で。
まぁ、周りが言いたいことは良く解る。
メカゴジラシティと言う存在が、ビルサルドと言う存在を盛り上げる、盛り付ける為の存在でしかなっていない、まぁ、完全な兵器でしかないんですよね。
その性質上、もっと、なんか、悍ましいものに変化するのでは?とか思ったり。
何か、まぁ、これは、これで、もっと悍ましいものを見たかった。っていう部分は無きにしも非ずなんですけどね。
ついでに、ユウコの体内のナノメタルは、なんか、曖昧なままで終わったので……
第三章で、あのメカゴジラにユウコが乗って最終的には動くんじゃね?とか、そう言うことは思いました(・ω・)
「決戦機動増殖都市」の物語の流れって、なんて言うか、これホラー映画と言うか、そういう部分を感じる。
不穏な雰囲気と一緒に蠢くゴジラの空気って言うのがじわじわと肌に伝わってくるのが良いけどさ。
なんで、ユウコはいつの間にかハルオに、そういう思いを抱いていたん?(・ω・)
正直、あの結構、好きな部類の話だった。
話も必要最低限の要素を与えて、それでうまく。まぁ、前作や小説で各々の人種が、どう言う存在なのかも選ばれていたし。
怪獣同士のドンパチは、それは見たかったけど、でも、これはこれで面白いドラマだったね。
ハルオを中心とした人間ドラマでありつつ、人間関係は、正直、唐突感はあるけどユウコのラブロマンスに抑えつつ人と言う名の種族のドラマであるのが、この話の根幹でもあるのだろうと。
それが地球人とビルサルドの中にある地球とゴジラの捉え方。
そして人と技術の交わり方。
この二つですよね。
それが絶対的障害であるゴジラの前で対立する。
この違い、人がゴジラを倒すのであればどうするのか?
それが機械との融合か、人として戦うのか。
いや、お前ら、ゴジラの前で、そういう問答をしている場合か?って言うのはあるんだろうけど、自分が機械と融合したり、人が人でなくなるという決断の前で、それを躊躇してしまうのが人と言うのも解る。
ゴジラと言う作中で言われていた通り、地球がすでにゴジラと言う王者に奉仕をしている状態から完全に取り戻すために、生存競争から敗れた人間がどうするべきなのか。
人を捨てることは一種の正解ではあるけど、それだけではない。
それにメカゴジラシティでも正直に言えば、あの様だったわけだし。
まぁ、よくサイボーグとか出てくるアニメがあるけど、あれは、そういう世界だからとしか言いようがないけどさ。
ハルオ達って言うのは、そういう世界ではなく、所謂、我々の世界に突然、怪獣が暴れ出た世界の人間、所謂、宗教学とかが根底に根付いている現実的な人間なわけですよ。
だからこそ、ね。
だからこそ、そんな人間がですよ。
突然ね。「お前、機械人間になれ。勝つためだから。」ってなったら、それこそ、「いやいやいや!」ってなるのも仕方ないんですよね。
解ってしまう辛さ。
正解だけど人だからこそ地球人だからこそ、あの手段は取れないという良心と人間性とゴジラとの三つ巴に悩む。
まぁ、そんな感じでね。
「決戦機動増殖都市」見終りました。人間関係が記号的ではあるのは映画の描ける時間の中では、しゃーないとし、ついでに言えばメカゴジラという、あのお馴染みの存在が出なかったのは残念ですけどね?
ただ、それ以上に
「ゴジラとは?」「人類がゴジラを越えるには?」って言うテーマが凄い良い感じに響く。
「人としてゴジラを倒すこと、それは人を越えること。」歴代のシリーズを見ていれば、そうせざるを得ない位に。更にアニメゴジラは、それ以上の力を持っているからこそ、アニメだから出来ることが、まさに原点以上の脅威になっている。まさに人と言う殻に拘っている人からすれば「人を越える」=「人でなくなる」と言う結論は受け入れきれないものだし、ビルサルドからすれば、種族の違いから、それが真っ先に出る、それを為すビルサルドと言う種族からすれば当然なのだろう。
ビルサルドの恐ろしさって、全てにおいて合理的だけど、その合理的という言葉が極限と言えば良いのか、それくらいにまで徹底している部分、だからこそ己の文明に絶対的な自信があるし、ついでに言えばだからこそ、ナノメタルと一つになることに躊躇いのない恐ろしさ、そして悍ましさに繋がるね。
合理的を通り越して機械的すぎるんだなー。
これ。
ゴジラの撃破に対する拘りを機械的なまでにこだわれば、こうもなるんだろうと。機械になることにしては寧ろ誇りでもある。
それこそ、己の種族と技術に絶対的な自信があるからこそなんだろうけど、それは見ようによって心はゴジラ以上の怪獣なのだ。
ゴジラと言う作中で言われていた通り、地球がすでにゴジラと言う王者に奉仕をしている状態から完全に取り戻すために、生存競争から敗れた人間がどうするべきなのか。
人を捨てることは一種の正解ではあるけど、それだけではない。
それにメカゴジラシティでも正直に言えば、あの様だったわけだし。
まぁ、よくサイボーグとか出てくるアニメがあるけど、あれは、そういう世界だからとしか言いようがないけどさ。
ハルオ達って言うのは、そういう世界ではなく、所謂、我々の世界に突然、怪獣が暴れ出た世界の人間、所謂、宗教学とかが根底に根付いている現実的な人間なわけですよ。
だからこそ、ね。
だからこそ、そんな人間がですよ。
突然ね。「お前、機械人間になれ。勝つためだから。」ってなったら、それこそ、「いやいやいや!」ってなるのも仕方ないんですよね。
解ってしまう辛さ。
正解だけど人だからこそ地球人だからこそ、あの手段は取れないという良心と人間性とゴジラとの三つ巴に悩む。
今回のドラマって言うのは「ゴジラと言う存在に勝つには!?」って基盤の元に人とビルサルドの違いを描いた種族ドラマであるのだと。
そこが楽しみ方ではないかな?と。
そういう部分を埋めるための小説版とかね、そういう存在があるんだろうと思いますよ。
後、やっぱり酷評するほどではないよね。
ただ、やっぱり思うのは、この作品、ちゃんと終わるの?(・ω・)
ってことね。
いや、まぁ、考えてみればですよ。
このアニメゴジラって、まぁ、前にもVSシリーズっぽい。って言ったじゃん?
考えてみれば、前回はゴジラが出るまでのドラマ。
そして今回はVSシリーズで言う中盤なんですよね。
そして、これを大きく描いたのが、このアニメゴジラだと思うのよ。
んでVSシリーズの終盤の、ラストは、もう怪獣同士のバトルとなんかもうすさまじい現象が起きる訳じゃないですか。
VSスペースゴジラとか、あそこらの流れとして重ね合わせるなら、今回の話に出た「ギドラ」の意味を考えると……
ゴジラVSシリーズの三分の一の一つずつを一本のアニメ映画として描いたのが、この作品だとするのなら!!
確かに三作目で完結はするのだろうと。
そういうことは思う。
それが、あの「ギドラ」と言う名称の伏線そのものだろう。
そこまで持って行くための壮大な物語として見るべきではなかろうか?
まぁ、そういう感じでメカゴジラシティじゃない方のメカゴジラが出てこなかったのは、まぁ、まぁ、まぁ、寂しいと言えば寂しいし、残念だったけど、ちゃんとアニメしか出来なゴジラをちゃんとやってるのは良いと思うし、ね。
良いんじゃないかな?と。
出ない分、ちゃんとドラマで補っていたしね。
ゴジラに振り回される人間のドラマ……これが、あの作品の根幹なんだろうなーって。
所謂、支配者側に君臨していた人間が、怪獣ゴジラに支配者の称号を奪われて、そして振り回されて人類は敗北する。
恐らくビルサルドの言葉の意味はさ。
「人を越えなければゴジラは倒せない。」それは神の領域。
ゴジラを倒せるのはゴジラだけと、かつて川北紘一監督が言っていたけど、そういう意図があるのも、あのビルサルドの言葉なのだろうと。「我々がゴジラとしてどうのこうのー」って奴ね。
しかし、今回はハルオたちは神になることは出来なかった。
ウルトラマンにもゴジラになることも。
ここまでお膳立てしておいて、まぁ、もういうことも解るでしょうが。
壮大な御膳立てですよ。
ゴジラと戦うためのキングギドラや、モスラの降臨が第三章では、いや、最終章ではあるのだろう!?とw
ゴジラに進化することを拒否した人間が、どうするか。もう怪獣同士の同士討ちしかないですよw
もうー、もう、あれですよ。
ここまでやったんだから、最終章はね。
ゴジラ、キングギドラ、そしてモスラの三つ巴が来ると……
思いますよ?
だって、もう人が機械との融合と言う進化を拒絶したなら、もうゴジラに勝利するためには、これしかないですからね。
最終章、はい。
楽しみです。