
やっとこさ、劇場版ウルトラマンオーブ、視聴完了。
Xが怪獣映画なら、オーブはヒーロー映画って感じかね。
ウルトラマンオーブ の劇場版の構成、あれだよ。快傑ズバットに似てるんだよ。それをウルトラマンにスケールアップさせると同時にウルフェスのライブステージの要素も足した感じ。
なんだ、お祭り映画。
全力で楽しむ映画っていう、そういう感じがした。
ウルフェスってフェスティバルってあるように、お祭りじゃないですか。Xの劇場版のようにライブステージ要素を追加して、さらに、皆で応援できる環境まで作り上げる楽しい映画。そういう感じがしたね。
あたしね。
この映画の応援上映が凄い好評な理由が凄い分かった。キャラクターを応援する要素に溢れているんだよね。
全ての味方におけるキャラクターにね。それでいて、全てのキャラクターのらしさがある訳だし、ウルトラマンオーブのテーマである絆そのもののような展開じゃないですか。
トリニティになってもあっさり勝てないところに、また応援したい要素が溢れてるんだよね。
事実、映画館だと、そのあと、SSPの皆が「応援して!」って頼むシーンあるじゃん。あそこで映画館にいた子達がマジで応援してたし。応援の力、客も一体になっての絆の力で勝ち取る。
ようは絆の力、お借りします。っていうのはテレビの登場人物やゲストウルトラマンだけじゃなくて、今までテレビ版や、#オリジンサーガ を見て、#ウルトラマンオーブ を視聴してきた視聴者たちとの絆も含んでいるんだよね。
そして、あたしも、その場の雰囲気に飲まれて「頑張れ!!」と弟と叫ぶ。
この構成はウルフェスのライブステージなんだよな。って思った。
ウルフェスのライブステージを見たことある人は、絶対に楽しめる要素で溢れてる。去年の初代ウルトラマンとゼットの戦闘シーンで観客の声援と共に立ち上がり勝利を掴み取る初代様とかの演出とか、そういう感じ。
まさに劇場版ウルトラマンフェスティバルみたいな、そういう要素でも溢れているんだよね。
ついでに、あの、ちょっと話が逸れるけど、映画本編に田口清隆監督が出演して、あの後、がれきに潰されたようなシーンがあったけど、あれって、無事だったんですかね?(・ω・)
肩の力を抜いて本編を見て全力で応援したくなる快活な映画っていうのを久しぶりに見たような気がする。内容を単純に王道の形にすることによって観客と楽しむ要素を与える感じ。
ベリアル銀河帝国も見ている人も一体になって楽しめる要素で溢れた映画であった気がする。
あの瞬間に「#ウルトラマンオーブ!頑張れー!」って子供と一緒に心の中で応援とかしちゃったら、もう完全に、この映画を楽しんでいる証拠なんだよねw
そして、あたしと弟は子供達と交じって、「頑張れー!!」って叫んで完全に楽しみまくりでしたわ。
本当に応援上映、行きたかった。ってなる。
ついでに、映画が終わった後に玩具売り場で弟と好きな怪獣のソフビを買って帰ったんですが、そこで「あ、一緒に応援してたお姉ちゃんとお兄ちゃんだー」って見知らぬ子供に言われました(・ω・)
ついでに、弟はゼットンを買って帰りました。アタシはメフィラス星人。
強化フォームが出て、あっさり勝つより強化フォームが出てから観客が最高に楽しむイベント!って部分が、また良いよね。
ゼッパンドンと言うサービスもあり、人質に取られなかったら、ゼッパンドンとオーブトリニティでも良い勝負してたと思わせる部分も、また良い。
テレビのジャグラーだったら、かまわず攻撃してただろうけど、あそこで躊躇うところでジャグラーが正義を為す存在であるということが一番伝わってくるんだよね。
そうすることで、またジャグラーは弱い人間ではないということをフォローするのも個人的には愛だなぁーって思う。
やっぱ前回のウルトラマンXの映画もなんだけど観客も一緒に応援しようぜ!って部分がスタッフの狙いであるんだと思う。この前、劇場版ウルトラマンXを見直したときもライブステージ要素特有の応援したい!って思わせる部分で溢れていたし、そして今回も、そういう感じよね。
最初は単純に流れるようなジェットコースターのようなドタバタドラマを楽しみつつ、後半は登場人物たちと一緒に応援!ってライブステージを、そのまま映画化して見た感じは楽しめる人は最大限まで楽しめたし、最高に面白いと思う。
映画だから気難しくする必要はないんだよね。
映画と言う多人数の人間が見れるという環境の中で最も楽しめるような形にしたのが、今回の劇場版 #ウルトラマンオーブ であると同時に、BDを買う人には肩の力を抜いて見ることの出来る気楽な映画としても完成しているのが良い処だと思う。小難しいことはテレビで、映画はお祭りってスタイルだわ。
そこがアメコミ映画と日本ヒーロー映画との決定的な差よね。アメコミは祭と言うよりも全てにおけるバックボーンを作中全てでやらなきゃいけないから色々と詰め込み過ぎてグダる。日本の場合は色々なことをテレビでバックボーンを描いたからお祭りとして一気に描くことが出来る。
オーブは全て直球でそれを突き抜けたような感じの作品ですわね。直球で最初から最後まで祭。
そして後半は鑑賞者も一緒に応援して盛り上がる。
これが、#ウルトラマンオーブ の映画と言うか田口清隆監督が目指したウルトラ映画の一つの完成形であるような気もしますね。
ただ、ムルナウのガイに対し恋愛感情を抱いていた描写とか、サデスとの第一回戦とか、個人的に見たかった気がする。そういうウルトラマンのラブストーリー的な作品ね。そういう敵のバックは気になる。
もうちょい尺があったら描かれていたんだろうなーっていうのも思うけどね。
椿さん演じるムルナウがガイと会話するシーンに何処か儚さと切なさを感じるように話すの好きね。
ガイと結ばれなかったからこそ、ムルナウは、あそこまで過激なことに走ってしまったという、これも風来坊特有の要素が生み出してしまった罪であるのが、また憎い処だねぇ。
ついでにジャグラーの「就職したんだぁー」ってねっとり風味に言うシーンは思わず笑っちゃったんだよねーw
いや、もう、そこはある程度の確執は乗り越えたん出し、全部、あれで行くのかよwって思ったら、#オリジンサーガ のときのようにパートナーのような口調になるからw
ウルフェスにおいて、物語を進めるのは信仰のお姉さん。SSPが、その役割で、ジャグラーが作中に出てくるダークヒーローの役割、ムルナウが敵、そしてウルトラマンがヒーローと言う役割を与えられた存在で、ちゃんとライブステージらしい構成が出来てるのが面白い。
ムルナウとガイさんの会話の中で「愛さえも消えてしまう……」って台詞を言うシーンが凄い好きなんだよ。
ガイを愛したけど、いなくなってしまったガイを思うあまり時の流れが愛を憎しみに変えてた事への恐怖がムルナウを狂気に走らせ、宝石にするという哀しい悪役的な部分ね。
ムルナウが抱いた恋心に対してガイは反発する。故にさ。ムルナウが「貴方は口を開けばつまらないことばかり…」ってちょっと失望が入ってるのも好きなんだよね。
最終的に「貴女は純粋な人だ」っていう訳じゃん。そこでムルナウがガイをつまらない人っていう理由が解る。
ガイは正義を為す人で、人の心の中にある悪を憎む。そしてそうではない人にはたくさんの希望の言葉を与える人。でもそれが万の人に与えられて自分一人だけではないと知ってしまえば、その優しさは時として人に愛を凶器に変えるし愛してしまったら非常につまらないことだと思う。
「こんなに私は愛しているのに貴方は、その言葉を私以外にも与えるのでしょう?」
ムルナウがガイと言う人間を知った時、ここから嫉妬や執着心を越えた憎しみに近いモノに変わっていったんだと思う。一時期とはいえガイは愛したと錯覚した。だからこそ宝石にしようとした。
無自覚に与える正義を為す者の言葉が人に希望を与えると同時にムルナウには苦痛に近かったんだと思う。無自覚で行うことが人を狂気に走らせる。
人一倍、人の中にある悪と言う感情を憎む存在であるからこそ作中のムルナウを否定して、その悪が浄化されたら、あの言葉じゃん。
与えた希望が愛憎になって凶器へと走らせる。
「貴女は純粋な人だ」って手向けのつもりで言った無自覚なガイの言葉、あれが人を愛には走らせる。自分以外の人間にも与えているのが許せない。故に自分の恋心の為にガイをウルトラマンではなくガイとして宝石にしようとしたんだ。
たぶん、ムルナウにとって結局、そういって自分から離れていったんだろうから、あのムルナウの涙は嬉しさであると同時にガイが希望として与えた言葉は彼女にとって、それも万の中にいる一人と言う扱いの言葉と解ってしまうからこそ彼女にとって苦痛の涙でもあったんだと思うの。
相手に誤解させるような優しさを向けて追いかければ「なんで私以外の人間にも!?」ってなるし人一人を嫉妬させるには十分だよね。人から見れば身勝手だろうけど、それは我々がガイと言う人間を知ってるからであって、あの世界の住民だったらそうはならないと思うんですよ。
無自覚な正義を与える無自覚な優しさは罪であるんだよね。結局は無自覚で人の優しさを玩んでしまう。
その責任を感じてしまったからこそガイは、あそこで手向けのオーブニカを鳴らしたのだろうと思うけどムルナウには嬉しさと苦痛の狭間だったと思う。風来坊ゆえの罪だわね……
どれだけガイに愛の言葉を囁いても帰ってくるのは、いつもと同じ言葉のみ。そしていつもかける言葉を他の人にも囁いている。
傷ついてしまえば、それは凶器にも走るだろうな。って思うわね。
こういう愛ゆえに……って感じの哀しき悪役は大好きだなー。しかも原因が主人公w
昭和の風来坊が主役の映画とかを見ちゃうと、こういうやつが非常に多い。そういう背景も欲しかったけど、そういう背景が無いからこそ、こういう事も想像できてしまう。抱いていた愛情が憎悪に変わり、そして宝石にして永遠のモノにしたい。って、どういう感情なんだろ。
ムルナウにはガイに振り回されたからこそジャグラーのように感情移入しちゃうんだよね。
#オリジンサーガ でアスカが「信頼しているなら本気で打ち込めるはずだ。相棒を余計に傷つけるだけだぞ。」って、ベクトルは違うけどガイはムルナウに似たようなことをしたんだろうと。
このバックボーンを描かれない中で此処までのことを思わせてしまうムルナウを演じる椿さんの演技が実に素晴らしい。
そしてクレナイ・ガイと言う人間も完璧ではないという描写と言うか、そういう部分を改めて感じてしまいますね。
ガイに己を狂わされた人間ってホント魅力的。
ここまで、#ウルトラマンオーブ と言う話を愛しているからこそ、ああいう熱演が出来るのだろうと、そういうことを思いますわね。
王道ストーリーの中に変にギミックを組み込まないからこそ、そういう裏設定を持って演じる部分に深みと呼べる部分が出てくる気がします。
愛が人を狂わせる。
大人に対しては、こういう部分を思わせて、メインターゲットである子供には王道な話とお祭り的な部分で楽しませる。
この方法って実に万人を楽しませるための構図としては良く出来ていると、そういうことを個人的に思ったりしています。はい。
ガイがダンのあり得たもう一つの姿であるのなら、ムルナウは実はあり得たアンヌのもう一つの姿だったのかもしれない。
と、そういう事すら思えてしまうんですよね。
愛ゆえに狂気に走ってしまったが故の哀しきヒロインとして見ると、なんか、ムルナウがすっごい魅力的になる。
本当は殺したいほどガイを憎んでいたと思うんですよ。でも、殺してしまえばガイは自分のものにならないからこその、宝石に変えて永遠のモノにしたいという、歪な感情。それを与えてしまったのが、#ウルトラマンオーブ ことガイ。でも、これはガイだけではなく、他のウルトラマンにもあり得ること……
正義を為す人が振りまいてしまった災いの種。
これは、何気に本編で語られた別のベクトルでもある、正義には光と闇の部分があるという、もう一つの形であると個人的には思うんですよね。
ここにも、#ウルトラマンオーブ らしさっていうのが見えてくるのが良いんだよねー。って思いますわよ。
正義とは必ず人を助ける為の言葉でありつつも、必ずどこかで無自覚に人に憎しみを植え付けてしまう。
ある意味、今、#ゼロクロ でやってるウルトラマンサーガのタイガがウルトラマンに対して憎しみに近いトラウマを抱いてしまったことに近い。
でも、タイガは救われたけどね。ムルナウは……
ムルナウは救われたと言えるんだろうか。
ただ一人、愛した男の、いつも誰かにかける言葉で、彼女は最後に涙を流して、あの涙は本当に喜びだったのだろうか?本当は「結局は、いつもの貴方……」に対する失望の涙と、そういう部分を強く感じてしまったんですよね。切なさだけ?
結局、自分の中では、あくまでも自分の中ではガイの精いっぱいの優しさと言う手向けの言葉が結局は特別なものではないと解ってしまった、いつものガイであることに対する虚無感が生み出してしまった涙だと思うんですよね。
そして、また、貴方はそうして優しさで人を傷つける。
あの涙は死に際のムルナウがガイに伝えた呪詛に近い物。
「そうやって永遠に苦しめば良い。」
って感情があるようにも見えた。
でも、ガイは、そういうのを覚悟で正義をやっている人だと思うからこそ、その呪詛はガイの正義を為すための力に変えてしまうんだろうなーって。
決して二人はそういう意味でも結ばれることの無い人間関係になってしまったという、そういう話でもあると思うのよ。
最後の最後までガイは冷酷に「貴女純粋な人だ」と無自覚に苦しみを与えてしまったと思うわけですしね。
あれが、そういう部分を象徴していると思う。
さて、まぁ、ここまでムルナウについて語っておきながらサデスはー……
ってなるんですけどね。(・ω・)
こいつに対してはー……
特にない。(・ω・)
いや、あの映画はムルナウのが強いんですよ(つ=ω=)つ印象って奴が、ムルナウの方が強くてですね。いや、マジで。
見ようによっては、「劇場版 #ウルトラマンオーブ 絆の力、お借りします」ってガイとムルナウのラブストーリーであるとも思うんですよね。決して結ばれることの無い恋の物語。
これがムルナウを演じる椿さんの演技の中に全てが入っているんですよね。ガイへの台詞の一つ一つに情念を感じる。
自然と椿さんを演じるムルナウに感情移入してしまう女性の持つ愛の情念に対する演じ方と言うか、そこが凄い好きで惹きつけられる。
それが、見事にサデスの存在を食っちゃってるんですよねー。
食ってるほど印象が強い。
だから、あの作品で一番、感情移入しやすい感じ。
犯罪者でありながら極めて、そういう人間的すぎる部分に惹かれてしまう。
これは本当にジャグラーと同じなんだよね。
物凄い憎しみや、そういう部分を持っているけど実は、その根幹にある部分は極めて人間的すぎる部分に惹かれてしまうという、ジャグラーもムルナウも同類。
人間的だから惹かれてしまう。
それが極めて人の持つ負の感情に支配されているからこそ、そこが誰にでもあり得る事態であるからこそムルナウもジャグラーも惹かれてしまうんだよね。
だからこそ、またジャグラーのように救おうとしたんだろうけど、宝石に変わる彼女を見てさ。
虚無に包まれたような顔をして魂の安らぎとして、あの音色を奏でたんだと。
ガイは救いたかったんだろうとは思うんだけどさ。
でも、救われたところで愛から生まれた憎悪はどうにかなったのだろうか?とも、そういう部分は思うんですよね。
仮に救われたとしても、結局はね。
また、虚しいまま終わってしまうのでは?
とか、そういうことを帰りの電車の中で考えましたよ。
ある種、宝石のままに終わったほうが幸せだったのかもしれないなーとか、んなことを思いましたね。
そういや、彼女が怪物になる案とか、そういうのを聞いたけど、それは、さ。
個人的に無かった方が正解だったと思うんですよね。
そうなることが彼女の中の醜さの象徴になるとは思うんだけど、でも、それを出さない方がガイに対する愛情の崇高さと言う部分を表しているんですよ。
彼女の中にある愛情は憎悪に塗れつつも芯は美しくあるという感じ。
ういう感じで、まぁ、後は特撮も全てにおいて素晴らしかったし、そういう要素もありつつ楽しい映画でした。
やっぱり、円谷プロは流石だね。そういうことを思いましたよ。
実に凄い楽しい映画でした。
皆さんも近くで公開されたら、是非とも見に行くことをお勧めです。以上
あ、後、あのジャングルポケットの演じるガッツ星人、ヒッポリト星人、テンペラ星人の演技、個人的に凄い良かった。
個人的にああいう芸人が演じる吹替ってくだらないギャグを入れたりして興覚めするから、そんな好きじゃないんだけど、そういう部分が無かったのが凄い高評価。
また、あえて―って部分もあるんだろうから場面展開に対して色々と「?」って部分もあるんだけど、ウルフェスの要素を入れてるから、そんな細かい処なんて、どうでもいいんだよ!て思わせるお祭り雰囲気がまた楽しい処であると思う。そこは、ちゃんと話に筋があるからだと思う。