








闇を知らないから光であり過ぎた存在は徐々に傲慢になり、ウルトラマンとなることで傲慢が増長する。
オリジンサーガ におけるガイと言う存在は、そういう部分からジャグラーなら、こうであるはずと思い込んで彼の中にある人としての闇に気付くことなく一つの物語を終えていく。
幾ら鍛えてもウルトラマンと言う絶大な光の力の前では届かない存在でもあるし、また、それを欲していたからこそ、今回、劣っていた存在が選ばれてしまったこと、光の戦士になってしまった存在は、そういう戦士の抱く嫉妬心に漬け込むようにプライドを抉る。
でも、その自覚はない。
常に己を助けてくれたジャグラーに対してガイは自分に戦友としての愛を向ける存在としか見ていないというのは、やはりガイと言う存在が、あの物語の中でどれほど光の戦士として絆も闇を知らぬまま成長したからこそ、同じ戦士であるジャグラーも己と同じと言う傲慢を抱いてしまった。
人間はある程度生きていれば己の中にある闇を見て対立する。所謂、歴代の人間ウルトラマンって、そういう存在でガイアとアグルが凄い解りやすい。
でも、ガイは闇が無いから傲慢な光になりつつある。果たして、なぜ、ガイは闇が無いのか。どういう存在なのか。回答が欲しい。
それがナターシャの事件を得るまで自分の中の闇に気付くことすら無かったんだろうか。と、思えばなかったんだろうなー。ミコットが死んだ時ですら、それすら己の力変える程の信念を持ってたし。ガイは下手すれば傲慢な光であり続けてしまっていたんだろうって思う。それも無自覚で。



ウルトラマンは己の闇と対峙して戦士として一人前になる。オリジンサーガ では敢えて、それをせずにガイにウルトラマンとして無自覚な傲慢さを持たせることでルサールカでの出来事をより大きなショックを与える為なんだと思う。
そのウルトラマンとしての傲慢さが崩壊すると同時に試練が訪れる。
傲慢さの崩壊で自らのウルトラマンとしての重荷を感じ、オーブ本編でオリジンになるまで”ウルトラマン”と言う名前を自ら名乗らなかったんだと思う。そして同時に人との関係を持つことを恐れたり歴代の戦士に対して敬意を抱くようになったんだろうと。それがSSPと出会う前のガイ
ジャグラーは、ガイの、それでも人を救おうとする姿に傲慢さを感じつつ大切な人すら守れなかったこと、闇を知りつつも越えられず光の戦士として戦う姿に対する皮肉を込めて「ウルトラマンオーブ」とか、それでも正義執行をしようとする姿に「かっこいいなぁ」って言ってたのかもね。
本来は篭絡させやすい状態だったはずなのに黒き王の祝福を受け入れて更に己の心の闇を百年以上経って乗り越えて抱きしめ歴代の光の戦士に近づいていく、ずっとどの光の戦士よりも劣っている存在であるはずだったガイが、そうなることで今度はジャグラーの崩壊が始まったんだろうと。
「一度くらい、俺に勝たせろよ!!」は、あれでガイを如何なる手段を持っても超える予定でもあったんだろうね。でも己の中の闇に乗り越えられない存在が黒き王の祝福で闇の力に飲まれていく姿、そのものを見て、今度はかつての自分の苦しみを味合わせる予定が、さらに崩れていく。
闇を抱えて孤独のままでいるジャグラーと、ずっと闇を恐れて孤独を貫き通したけどSSPに対し居場所を見出してから孤独ではなく人として生きていくうえで己の闇の扱い方に慣れて初めて真っ当な人になれたと言っても良いガイ……
明確な二人の差が人との絆の差と言う皮肉と言うね。
初代ウルトラマンから始まる通り、ウルトラマンは人との出会いを通して互いに己を磨く戦士であるのは言うまでもない。
ガイが己の闇の問題から逃げたのはナターシャの事件から人の関りを繋ぐのを避けたから。人と関係を結んでしまえば何れ失う。その恐怖から来るもの。
だから本編ガイが風来坊のようなスタイルを気取るのは己の心の闇や弱さを見透かされる恐怖からくるポーズなんだろうと思うね。
そうして百年以上ルサールカの事件から己の闇から逃げつつ、己の光の戦士としての役割について考えていた結果が、本編までの彼の存在なんだろうと思う。
そういうことを考えてしまうから、逃げてきたからこそガイが己の闇の問題の解決まで時間をかかったのはガイの心の問題の脆弱さの象徴だと思うんですよね。
神秘の人であると中野さんはガイに対して、そう口にしていたけど、同時にガイは人間、生物であると言う証であると思うね。
己の心の闇の問題を乗り越えて真のヒーローになったガイ。ジャグラーの闇を知り受け止められるだけの存在になりナオミの激励のおかげで再び戦士になれたというね。
テレビ本編のオーブがEP6であるわけだ。って思うわな。二人が再び手を組んで真のオーブの物語が始まるんだと。
ジャグラーがガイに拘った理由って言うのはやっぱり理屈ではないんだよね。極めて人間的な感情なんだと思う。
Zガンダムでジェリドがカミーユを執拗に付け回した理由に非常に近いし、剣心と蒼紫のような関係にも近い。
元より互いの光と闇を司る関係、これを言葉にするなら宿命。
「オーブの祈り」と「Shine your ORB」がガイのジャグラーを思った歌と言うのは物凄いガイの傲慢さを押し込めたメッセージだな。って思うんだよね。人の死を体験しても自分は、それを強い絆を持って乗り越えられたのだからジャグラーだって!って押し付けに等しいね。
自分の闇を乗り越えるまでジャグラーに対しては、そういう傲慢な考えを持っていたんだと思うんですよね。
だから、己の心の問題をガイって他人の心を尊重してから人を救う部分が非常に多いんですよね。そしてジャグラーの最終決戦、マガタノオロチ戦での人と共に成長した今がある。
本編までのガイは理想と傲慢さが入り混じった感情でジャグラーを見ていたと思う。
それが例のジャグラーの笑顔であり、ガイの抱いていた思いそのものなんだろうなーって。
で、それを平然とガイは抱いている訳でしょ?藤宮の「闇が無い」の部分を一番如実に表した部分だよね。
闇が無いから他人の闇なんて理解できないし光で乗り越えられるという傲慢な心になる。今までウルトラマンとして選ばれた戸惑いから光の力で何でもできるという傲慢さに変質していったように思える。
アスカの「力を授かった意味」と言う部分をガイは間違った解釈をしたんだろうね。
もしアスカではなくメビウスの時のハヤタのようにズバっと「ウルトラマンは神ではない。」と言ってくれる人がいれば、もっとガイとジャグラーの関係の間も早く修復されたのではなかろうか?って解りそういうことを思うわけです。そうすればガイの傲慢さ解消できたのではないか?と。
美しい美辞麗句って時に人にとっては凶器でもあるという。光の戦士の理想がそうであるように。早い話がイデ隊員の「犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいけど。」って部分がもろに、オリジンサーガ におけるジャグラーと周りの関係そのものを描いていると個人的には思うわけですよ。
ジャグラーに対する現実的な正義と光の戦士の抱く理想の正義の差。
で、その部分がジャグラーも自分と同じ力を求めていたのだから、光の戦士の理想を抱くはずと言うガイの傲慢さが、あのジャグラーの笑顔でもあると思うと気持ち悪さがあるね。ここから本編のガイになるまできつい。




その理想への危険性がサイキであると個人的には思うわけで。サイキはあり得たガイの可能性の一つでもあると思うわけです。所謂、そこでガイの抱く理想とサイキの抱く正義は非常によく似ているという、そういう危うさも伝わってくるわけですね。光に傾倒しすぎてる危険性と言うのが。
ウルトラマンであるからこそ他の戦士達に出会うことで自分を磨くことが出来たのだろうけど。サイキはウルトラマンに選ばれずに別の手段で理想を実現するもう一人のガイ
二人の抱く理想と精神の高潔さと言うのは似てる。んで高潔だからこそ傲慢さに汚染されやすい似た者同士の二人。
サイキはカウンターであると同時にガイの写し鏡のような存在だったんだろうなーって今にして思うよ。
手段は違えど理想の世界を作ろうとする二人。
最終回において、それは視聴者への役割は果たされたけどガイは、それを噛み締めようとしたか?って思うと、まぁ、無いわけだわ……
そして、そういう部分も二人がよく似た存在であるということを如実に語ってしまっているのは制作陣側のガイへのとんでもない爆弾級の大きい皮肉だろうか。
いつもの円谷プロのブラックジョークを、あの終わり方には含んでいると自分としては思うわけですねー。あくまでも自分の思考
いや、円谷プロって、時折、こういうきついブラックジョークを入れるわけですよ。
人の心に問いかける見るだけでスリリングな、このスタイルをね。
もし本気で入れたなら円谷プロの今まで築いてきたスタイルを良く壊すようなことをしたな。って思うよね。該当しないもん。
結局の処の人として未成熟なままのウルトラマンを出してしまうことに対する危うさって言うのも結構、感じてしまいますね。サイキと言う存在を入れたのはガイを表すのに良い逸材だったかも。
これから大きな失敗を繰り返して本編のガイからクレナイ・ガイさんになっていくわけで。
ガイの真のヒーローとしての物語はオーブオリジンとしての姿を取り戻してから始まるという途方もない物語。
しかも、その過程で友人の心を救えなかったり、生きていたとはいえ自分の過失で大切な人を救えなかったり、しかし、そうでもないとガイの傲慢は崩せないということなのか。
藤宮がもっとガイに対して強く言えばよかったんだろうとは思うんだけど、それでどうにかなっただろうか。もしかすればガイにとって一生に近いほど疑問にかかったままルサールカまで行かないと理解出来なかったとも思う。
自分で気づかないと意味の無いことであるとも思うんだよね。
結局のところ、ウルトラマンに選ばれたからこそ、無自覚な傲慢さは、あの程度で済んだ。って言う部分がガイにはあるのかもしれない。
もしウルトラマンに選ばれなかったらガイはサイキと同じ道を歩んでいたと思うわけなんですよ。
じゃぁ、戦士の頂でガイを選んだ理由は……
戦士の頂でガイを選んだ理由、それは、そういうガイの傲慢さを正す部分もあるのかもしれないと思う。歴代の戦士に出会うことで己と言う存在を律するという存在。実のところガイの心が光ではなく光ゆえの危うさに満たされる思考の持ち主だから力は救うために選んだと言えるかもね。
ジャグラーよりもガイのが重症と言える要素が多くあったんだろうなー。戦士として誰よりも優れたジャグラーよりも、理想に溺れて危険な道に走るガイを選ぶ。
なんか、この説、自分で言っておきながら物凄くあり得そうだなーって、そういうことを今にして思うわけですね。
円谷のヒーローならそうすると思う。人間とウルトラマンが一体化するときは何かを救ってきた訳で。ネクサスを見れば一番良く解ると思う。ネクサスのデュナミストになった人間が最終的に良い意味で変わっていったように。オーブの力がガイを選んだ理由もそれに近い気がしてきたなー。


そして選ばれたからこそ幸か不幸かガイはあの程度で済んだ。サイキと同じ道に走らずに済んだと思うけど、それでもまだ足りなかったと思うと余程、ガイは理想に溺れやすい戦士だと見て取れる。その危うさもウルトラマンになったことで多少、救われた……でも、それが悲劇を招くと。
いやさー、かけ湯をしない怪獣に怒ったり、風呂のマナーを守らないSSPのメンバーに怒ったり、一番風呂は最高の幸せだとか、そういうことを思ったり、本当にガイさんは変わりましたね(=ω=)こういうことを思ってテレビ本編のコメディな部分を見ると謎の感動が肉体を包むよ。
人間としての光と闇を持つ戦士としても完成されたジャグラーよりも、人として闇の無い光だけを持った危険な人間をウルトラマンにすることで、まずは人として成長させるための修行をさせる。
そうして闇を抱いた時点で悲劇に包まれるほどのトラウマをガイに与えたという出来事。
思えば、そういう部分ってULTRA N PROJECTの初期案にあったYELLOW EYESが「力を手にした青年が戦いの中で正義に目覚めていく」っていう物語で、オリジンサーガ はコンセプトが逆だけど非常にガイの行く道は、これに似ているなって。小中監督は、此れも意識したんかね。
ジャグラーと完全に敵対するようになって孤独になったガイが初めて出会ったのがナターシャ。愛情を知る内にマガゼットンの襲撃にあって束の間に芽生えた”愛”を失いトラウマと自分の中にある闇と初めて対面し、失う怖さからSSPに会うまで人との接触を避けていたのだと思うね。


光の戦士になったことで自分の写し鏡とも言えるサイキと対峙させる事で理想の為に過激なことをする危険さを学んだ。理想の為に生きれる無自覚な傲慢さを増長させ、それが無自覚のうちに信頼していた仲間から離反される。光の力がガイに与えた人間的に成長させる為の試練とも言える。
でも、こう考察するとガイの為にとばっちりを食らったジャグラーがとことん哀れだなー……ある意味、ガイによって人生が狂わされてしまった存在であり、そして、ナオミの叱咤激励があったとはいえガイに救われてしまったという皮肉的な人生。
満足しているようであっても辛い部分。
ガイは自分の過去の傲慢のツケは例のシーンで抱きしめることで己の光と闇とジャグラーの光と闇と一つに分かち合うことで過去の自分達への清算をしたと思う。
ジャグラーを救う。って考えてたけど互いの光と闇の清算なんだよね。ジャグラーもTV本編で目指してたのはそれかもね。
そして、そんな二人が過去を清算しあうのに百年以上の年月が必要だった。って言うのは、ご苦労なことだなーって思うね。
気づけば世界を回っているうちに二人の理解者は先輩戦士でもなければ互いしかいなくなってしまったことが余計に二人の関係を複雑にしたのかもねー。
そして二人とも強大な力に振り回されてしまった結果、戦うことでしかどうにも出来なくなってしまったんだろうなー。長い年月がジャグラーの執着心や嫉妬心が抱いていた大切なものを無くし修羅となって、そしてガイは傲慢さから解き放たれて真のヒーローへとなっていった結末かー。
正義の光と闇を描いた作品だと改めて思ったねー。正義を実現できる力を得たことによって傲慢が増長したり、手段を択ばずに行使しする正義から作る平和の歪さ、そして己の絶対的な正義に飲まれて行く人間の危険さ、人が正義を語るうえでの教科書になる。そういう作品だったと思う。
真の平和を築くには?
正義を行使するには?
誰も実現するための理想は間違ってはいないし一つの正義であると同時に一つの平和を実現する確かな手段でもある。でも過激すぎる思想、理想、正義は傲慢を生み単なる独裁やディストピアの建国になってしまうという知的生命体の未熟さ。
では、そうさせないためにはどうするべきか。
それこそクウガの「本当は綺麗事が良いんだもん」に繋がるけど人と言う個がある限り、そう上手くはいかない。それを描いたのが、オリジンサーガ と言う作品。
物語に多少の粗はありつつ、その部分は真摯に向き合って描いていたよね。私はそう感じた。
誰だって綺麗事が良いから、それを目指すべき世界の為に、オリジンサーガ では皆が頑張っていたんだよね。多くの人が平和のために頑張り正義のために戦う話だったんよね。

でも現実と言う壁がそれを許さず人の関係を崩壊させて、いつもの巨悪が倒される終わりにしつつ、それが皮肉になったという。
結局、サイキを倒した終わり方と言うのは、そんな思考のママでは万人が平和でいられる世界など出来ないという円谷プロなりのブラックジョークの効いたメッセージであるという事を考えてしまうわね。
だからこそ、そうならないために頑張ってほしいというメッセージでもありそう。
一辺倒で傲慢な正義と平和への思想と言うのは人を殺すことにしか繋がらないという、所謂、現実の右系やリベラル系、人権派なんて自称する人間たちを見据えて、そうなる前に様々なことを思考せよ。そういうメッセージであり自分達が刻み込まなければならないことであるとも言えよう。
あ、オリジンザファーストからオーブオリジンになった理由と言うか黒が入ってしまったのは、単純に、もう、あの場面で考えてしまうとガイアとアグルの力か、それかジャグラーを思ったら自然と闇が入ってしまった。所謂、あれはジャグラーからのシグナルだったのではなかろうかとね。
そのジャグラーのシグナルに気付くことなくガイの中でのジャグラーは、あの笑顔だったと思うと、どれだけ、オリジンサーガ におけるガイが人として歪で傲慢な理想を抱いているのかとか、そう言うのを感じさせてしまうわけですね。
それかガイの気づかぬ無自覚な傲慢さが黒の部分となって表れたか。
まぁ、色々と考えようはあるよね。



後、個人的にはウルトラマンの光の力がガイへの傲慢さの警告としてオーブオリジンのカラーに黒を入れた。って言うのを推します。
此れほどウルトラマンの中で人のうちにある当たり前の光と闇を描いた話も無かったなーって思いました。
光しかないからこそジャグラーの闇が解らない。そして自分と同じ光の戦士を目指したからこそ自分と同じになるであろうという傲慢さ。それがあの笑顔に繋がるという希望と理想。
恐らく求めていたジャグラーのような強さを超えた強さを得てしまったことによる無自覚な部分。
ジャグラーはガイにしてやれることも無く孤立してから虚無しか残らなかった悲劇。星屑の様に何もかも消える。
そうしていくうちに光に対して憎々しげに思えてきてしまうものなのかもしれないね。そうしていくうちに何もない暗黒と言う闇、埋まらない心の闇がジャグラーを汚染する…
それでいて捨てきれない戦士としての感情がジャグラーの中にあって、それと闇が生み出してしまった修羅としての感情と悪としての感情が混ざり合ってとうとう、ペルソナを被ることで己を誤魔化して縛られて行く。演じていた自分が本当にもう一人の自分になるように。
修羅か。
悪か。
戦士か。
あのオーブニカのメロディを聞くたびに、それらの三つの自分が葛藤してジャグラーを悩ませる。それが苦しいからこそ、その葛藤が片頭痛として現れる。まだ彼が完全に堕ちてない証…
ガイはメロディを聞かせることでとジャグラーを戻したかったのかも。
凶暴な光は時として人の視力を奪うように、オリジンサーガ の中のガイはジャグラーをそういう感じで傷つけすぎてしまった感じするね。
でもいなくなって初めて、その大切さを知ってしまう。ガイとジャグラーの関係って、そういう感じだけどさ。
……別れたら彼女の大切さに気付いた彼氏かよ!!!
この黒はやはり未来に起きる心の闇に関する事件に対する警告と同時に、あと二つの可能性を考える。同時にジャグラーがガイにとって、どれだけ大切か。それを理解したうえで、今後のジャグラーとの関係の暗示でもあると言ってもいいのかもね。光しかない状態での危険性の暗示も。
このジャグラーも戦士の頂が見せたガイへの警告なのかもね。ジャグラーが笑顔の後に消えるという描写は、これからのガイの行動によってはジャグラーはガイと敵対する運命にあるという暗示とも言えるかも。だからこそオーブオリジンに黒を与えることで警告したという可能性。
己の光がジャグラーの笑顔を消すという警告…強すぎる無自覚で無垢な傲慢な光は身近な人を傷つけ、それに気付くことなく敵対する運命になってしまう、そういう意味でもあると思う…。
戦士の頂が見せたガイの中のジャグラーの投影と未来の暗示と言う、そういう二つの要素ありそう。





感動系と言うよりも思考を促すような作品だったよね。いつものウルトラ的な平和の考えでありつつも、ちょっと毒を含ませたような終わり方をして。戦いを終えても平和と正義に対する問答は、これからも続いていく。ガイのミッションは我々の歩く道、そのものでもあるんだと思う。
「オーブの祈り」や「Shine your ORB」がガイからジャグラーへの言葉なら、オリジンサーガ の「TRUE FIGHTER」は戦士の頂からガイに指示を送る未知なる存在がガイに対して望む思いそのものじゃね?
全て見終わった後に「TRUE FIGHTER」を聞いた時、思った。
思えばさ。
本編でさ。
「救世主じゃない!」
って叫ぶシーン、ここで初めて闇を抱いて万能ではない光の戦士の力と理想を理解したんだと、そういうことを考えたりする。本当にガイさんはルーサルカでの事件が起きるまで、#オリジンサーガ までのガイそのものだったんだろうなーって思う。
本編の前日談としては繋がりがあまり感じられないという部分でアウトだけど一個のエピソードとしてみると、オリジンサーガ は個人的に凄い大好きな物語に入る。
ウルトラマンオーブの前日談としての物語からすれば、オリジンサーガ はアウトだよね。
ただ、一つの独立した話、それこそ田口監督の語ったエピソード1としてなら見事に、それは成功しているとは思う。
ついでに、そういや、アマテって良かれと思って出た行動が全て裏目に出たタイプだったねー……平和のために思ったことが全て。前に「ミスト」って洋画を見てから、アマテとミストの主人公が被っちゃって被っちゃって仕方がない。ウルトラマンがいたから最悪の事態は防げたというケースだわね。
結局、戦士の頂を作った存在とかガイとジャグラーにミッションを与えた存在は誰だったんですかね。
何か考えられる限り、ウルトラの歴史を辿れば、あれとかあれとか色々と考えてしまいそうだけど。こういう謎はセカンドシーズンがあれば作られるのかなー。作られるのであれば是非。
見たい。
そういや、ガイってウルトラマンの話で言う過去のウルトラマンにはよくあった第一話と第二話の前後編構成を12話かけてやったんだよねー。
そりゃー、まだガイは新米ルーキーだし、未熟なのも当たり前なんだろうなーって、今更ながら、そんなことを思った訳です。
寧ろ、ガイの戦士としての試練はウルトラマン的に言えばこれからが本格的に始まるーって言うのは先輩戦士たちの言った通りなんだろうね。
そこから、テレビ版におけるガイにたどり着くと同時に大切な人を失い闇を抱き、そしてもっとも身近だった存在に対して己の闇を見ていくのか。
結局、オリジンサーガの続きは普通に見たいなー。
結構、好評なようだし続きは……見れる気がするね。