
えてして、大雑把に見ても気になる部分もあって、主に牙狼闇が誕生するシーンとかね。
大雑把に見て、そこは、ちょっと気になるよねー。
後、中途半端に闇照要素を入れたのがねー。そこは、闇照~付き合っている人へのファンサービスだし、雨宮監督も、そういう部分を入れると同時に新しい要素を入れようとしたんだろうけど、やっぱ中途半端だから、むずがゆいんだよね。闇を照らす者の続編であると言う部分を蔑ろにしてはいけない。
GS翔はやっぱり中途半端に闇照の要素を出すなら、そこもちゃんと割り切って扱ってほしかった。
今回は弱さや過去との決別ではなく、それを受け入れて強くなる物語だからね。
やっぱ、そういう部分でもあれなんだろうけどやっぱり過去キャラのシーンを少し流すだけでも違うだろうなーって思うのです。
「あの出来事が、俺を強くしたんだ!」
的なことがあっても。
あえて、前作のキャラクターは使わないのは今作から入る人のために。って言ってたから、あれなんだろうけど、やっぱり弱さと言う部分を扱うなら、そういう過去の部分とか、ちゃんと描かんとね。
やっぱ今作から入る人のことを考えるのも大事だけど、それ以上の繋がりって大事だと思うんだよな。
こういう話をやるなら、なおさら忘れちゃダメだと思うの。
寧ろ過去キャラをそういう風に出して
「この人達は流牙にどういう影響を与えたのか?」て知りたくなる切っ掛けにもなると思うし
やっぱ、そういう部分と新しい人を迎える部分両方をやろうとしたのが難しかったのかな。って思ったりする。
GS翔は終盤の展開が……人は結構いるとは思うね。確かに、闇照を見ていれば察することは出来るけど、ただ、あれを見てると、こういうシーンがあれば、もっと良かった。って思う部分も結構あるのがGS翔の評価を難しくしてるんだわな。
全体的に見れば好きなんだけどね。ただ、やっぱ、そういう細かいところが気になるのも事実なんだわな。
GS翔は、今まで堅実に物語を作ってきた中で、突然、ちょっと勢い任せになってしまった部分はやっぱり感じられたから、そこはもうちょい練ることは出来なかったのかな?って思うよ。
まぁ、他に細かい部分と言えば。
ダイゴがハルナからリバートラの刻を使わなかったシーン。
ここに関しては、あそこまでの深手となるならリバートラの刻に関しては使ってもすぐに効果は出ないんじゃね?
なにしろ、ジンガの剣がダイゴの肉体を貫通するわ、それ以上に、傷めつけられまくるわ。まぁ、一応使ったんだろうけど安静にしないとヤバいレベル説を出しておく。そうしておかないと、あれ。
後、最後に莉杏が自爆して、炎に包まれるシーンで、なんで、あんなに地上に落下したら、凄い綺麗だったんだろう。とか、そういうことを思ってたりする。
一応、脳内だと金色の嵐が、それを直したのだ。と、私的には考えていますけどね。
とりあえず。
GS翔は終盤の展開が……人は結構いるとは思うね。確かに、闇照を見ていれば察することは出来るけど、ただ、あれを見てると、こういうシーンがあれば、もっと良かった。って思う部分も結構あるのがGS翔の評価を難しくしてるんだわな。
それは、こういう中途半端な闇照設定が必要だろ。って思えるシーンで使わなかったり、どうでもいい?シーンで使用したからかな。って思ったり。
後、戯牙が噛ませーって意見を良く見る感じよね。まぁ、分からんでも無い。
まぁ、流牙のパートナーは誰でも無い莉杏だからね。
この二人の活躍や物語を際立たせるために戯牙がジンガとの戦いで噛ませになっちゃうのは仕方ないのかなwでも、もうちょい、熟練の名前のある魔戒騎士として一矢報いる展開を入れても良かったんじゃないかな。って思うんだよね。セイジの仇であるジンガに一方的にボコられるのは、ちょっと、色々と思うところがあった。
でも、そういう終盤の勢いだけの部分を除けば、結構面白いんだけどね。
GS翔はダイゴの過去は無いにしても、主要キャラの掘り下げを各話で断片的に過去を描いてからの、あの流れは良かったとは思う。
故に流牙とジンガの対比や対決は非常に手に汗握るほど感情移入した。
ただ、やっぱ闇照の続編であると言うことを蔑ろにした部分はマイナス要因なんだよね。

後、下記より、私的に考察してみた流牙が弱さを克服した理由。
流牙が恐怖を抱けば抱くほど強くなる。
何故、この獣に流牙が恐怖を覚えるのか。
それが解った時、絶対に抗うべき存在であると言うことに気づくのだ。勝ちも負けもない。
ただ、ここで己の弱さに抵抗せずに受け入れるままではいけない。
心の光を覆い隠す人の弱さと忘れたい過去と言う名の闇。しかし、それを受け入れて乗り越えたとき、その弱さは人に大きな力を貸す。
これは自分と自分の戦い。
しかし、嫌なことから逃げたいと言う人の本能が闇を強くする。
心の光を覆い隠す人の弱さと忘れたい過去と言う名の闇。しかし、それを受け入れて乗り越えたとき、その弱さは人に大きな力を貸す。
これは自分と自分の戦い。
しかし、嫌なことから逃げたいと言う人の本能が闇を強くする。だが、流牙は、それを乗り越えたからこそ己の中にある闇を受け入れて新たな力を得た。
そういう意味なのだ。
『光に照らせぬ闇などない!!!』
ここまでの流れだけを見れば良いんだけど、でも、やっぱ唐突さがあるからね。ここの闇に覚醒するシーンは、正直、一話まるまる使ってほしかった感があるね。
まぁ、あの獣が流牙の弱さ、そのものーって言うのは、やっぱりさ。
よく見ると、色々と似てるんだよね。
牙狼剣が変化した獣に。
だからこそ、力を失った牙狼の鎧を身に纏い戦っていた時の未熟さの象徴。この獣は流牙の中にある拭いたい過去、そして、己の弱さの具現化なのだろう。そういうことを思う。
でも、もっとねっとりと深く描いて欲しかったねー。どうせなら、過去キャラをフルに使用して。こういう処に闇照要素を突っ込むべきだと思うんだよね。思い切りね。そうすれば、もっと良くなってたと思う。
それか、私的に、あの魔獣が真っ黒い流牙の影になって、そして内側から浸食していくけど、最終的に莉杏の言葉と己の意思で全てを振り払う展開のがもっとしっくりいったんよなー。
でも、それって、炎の刻印の18話と被るしで、こういうのってムズい。

んで、私的に莉杏の部分はっ結構好き。あくまでも考察と言う名の感想だけど。
過去の戦いを探ろうとしないジンガの行動は、それ以上に過去から秘めた莉杏の想いの方が効果的に利用できると考えたからではなかろうか。と、自分は思うんですがね。
闇照時代から内に秘められてた恋心を暴露されるのは、それはそれでね。
ましてや、強い信念を持っている流牙だからこそ、そういうことを軽々しく口にできなくなってった感もあるしね。
どういう感情があろうとも、それが汚かろうと、人の心の中には守るに値する光があると言うことを誰よりも知っているからこそ、ここの流牙の言葉が響くんだ。闇照時代から受け継がれてきたものが、ここにもあるんだよ。
流牙の信念が一番よく見える場所なんだよな。ここは。
でも、自分と同じ、そういう部分があると同時に莉杏がいたから強くなれた。互いに互いがいたからこそ強くなれたと。
そういう二人の関係性の昇華だよね。ここのシーンは。
だから、ここら辺の流れは結構好きだったりする。
でも、逆に莉杏が弱さを克服するシーンはあっさりと受け入れられたんだよなー。
ボルシティでの戦いを終えてから内に秘めたる想い、守りし者としての使命よりも流牙への思いが強いからこそ、そんなことを莉杏は誰よりも守りし者としての使命を重んじる流牙に言えなかったんだろうなー。もし、言ってしまえば自分のせいで流牙を狂わせるかもしれない。
それが怖いのかもね。
それが過去の出来事によって惹かれあった関係だからこそ、なおさら。また、流牙が黄金騎士だから。と、言う部分もあるのかもしれない。
でも、日に日に流牙と一緒にいたい。って気持ちは強くなっていったんだろうね。
だから膨れ上がる。
そして、気づけば、それが弱さになっていった。
もしかしたら、自分の思いで流牙が死んでしまうかもしれない。それを恐れてしまったのだろうと。色々と考察すると止まらないけど、自分は、ジンガが莉杏の心を利用したのは、そういうことだろうと。
恋心を利用されるのは何よりもキツイ汚辱なのだろうと、そういうことを言いたかったんじゃねーのかな。
だから、ジンガに燕邦の死や、そういう出来事よりも、こっちの方が利用できると思ったのだろうと。
だから流牙の弱さの克服よりも、こっちの方がすんなりと受け入れられる展開なんだよね。

ガルドと莉杏、流牙が友情を育むシーンとか、ちゃんと、そういうのもしっかりしてたしねー。やっぱ、終盤の流牙の強さの克服が色々とアレだなーって思ったりする。
自分だけではなく他人の命まで大切にするガルドは流牙に心を打たれて戦友になった。
そこまで流牙が人の命を大切にするのは、過去に培ったのは未熟だった頃の自分の経験、ボルシティで共に戦った仲間達との絆から生まれたのだ。と、思ったよ。

後、ジンガとアミリの過去の部分、好きなんだよな。
この事件、哀しいことではあるんだけど、でも、それ以上に哀しいのが、息子を殺されてしまった悲しみでさえ、ホラーになってしまった人間は、この思い出でさえ敵を油断させるための武器にすぎなくなってしまった。と言うことなんだよね。
そして人間だったのに、人間のことを何も分かっていない。って莉杏の台詞があるけど、俺は、そうじゃなくて、やっぱりホラーになってしまったことによって完全に、ホラーの本能が、そのことを奥底から湧き上がる感情の力を忘れさせてしまったのだと思うの。
ホラーになることによって、かつての息子のことなどジンガにとってはどうでも良くなってしまった。っていうのが、また、これ、悲しみだよね。最初は復讐だった筈が、後に人を殺す快楽に負けて純粋悪になる本人も気づかない悲しみが、そこにはある。
最後の殺陣シーン、二人が納得いくまで何回もやりなおした。って話を聞いて、どれだけ、この作品に命をかけているのか。情熱を注いでいるのか。それが良く解るほどに迫力があるんだよね。
一種の鏡って言うか、陽と陰のような関係だからこそ、ジンガとアミリは道を踏み外した流牙と莉杏、そのものだと俺は思うのです。だから、最後の殺陣シーンも納得行ったりする。
この作品の惜しいところは、牙狼らしく強い信念を持った登場人物達は頑張っていたし、堅実に物語は作っていたし”牙狼”らしさはあったんだけど、最後の最後で詰めを誤って勢いだけでやってしまったからこそ、GS翔は惜しいともいえる。
全体的に見れば好きなんだけどね。ただ、やっぱ、そういう細かいところが気になるのも事実なんだわな。
GS翔は、今まで堅実に物語を作ってきた中で、突然、ちょっと勢い任せになってしまった部分はやっぱり感じられたから、そこはもうちょい練ることは出来なかったのかな?って思うよ。
まぁ、こういう感じかな。
好きだけど残念!!って感じ。