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『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA』第12話 「まほろば ~新世界~」

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闇を知らないから光であり過ぎた存在は徐々に傲慢になり、ウルトラマンとなることで傲慢が増長する。
オリジンサーガ におけるガイと言う存在は、そういう部分からジャグラーなら、こうであるはずと思い込んで彼の中にある人としての闇に気付くことなく一つの物語を終えていく。
幾ら鍛えてもウルトラマンと言う絶大な光の力の前では届かない存在でもあるし、また、それを欲していたからこそ、今回、劣っていた存在が選ばれてしまったこと、光の戦士になってしまった存在は、そういう戦士の抱く嫉妬心に漬け込むようにプライドを抉る。
でも、その自覚はない。
常に己を助けてくれたジャグラーに対してガイは自分に戦友としての愛を向ける存在としか見ていないというのは、やはりガイと言う存在が、あの物語の中でどれほど光の戦士として絆も闇を知らぬまま成長したからこそ、同じ戦士であるジャグラーも己と同じと言う傲慢を抱いてしまった。
人間はある程度生きていれば己の中にある闇を見て対立する。所謂、歴代の人間ウルトラマンって、そういう存在でガイアとアグルが凄い解りやすい。
でも、ガイは闇が無いから傲慢な光になりつつある。果たして、なぜ、ガイは闇が無いのか。どういう存在なのか。回答が欲しい。
それがナターシャの事件を得るまで自分の中の闇に気付くことすら無かったんだろうか。と、思えばなかったんだろうなー。ミコットが死んだ時ですら、それすら己の力変える程の信念を持ってたし。ガイは下手すれば傲慢な光であり続けてしまっていたんだろうって思う。それも無自覚で。
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ウルトラマンは己の闇と対峙して戦士として一人前になる。オリジンサーガ では敢えて、それをせずにガイにウルトラマンとして無自覚な傲慢さを持たせることでルサールカでの出来事をより大きなショックを与える為なんだと思う。
そのウルトラマンとしての傲慢さが崩壊すると同時に試練が訪れる。
傲慢さの崩壊で自らのウルトラマンとしての重荷を感じ、オーブ本編でオリジンになるまで”ウルトラマン”と言う名前を自ら名乗らなかったんだと思う。そして同時に人との関係を持つことを恐れたり歴代の戦士に対して敬意を抱くようになったんだろうと。それがSSPと出会う前のガイ
ジャグラーは、ガイの、それでも人を救おうとする姿に傲慢さを感じつつ大切な人すら守れなかったこと、闇を知りつつも越えられず光の戦士として戦う姿に対する皮肉を込めて「ウルトラマンオーブ」とか、それでも正義執行をしようとする姿に「かっこいいなぁ」って言ってたのかもね。
本来は篭絡させやすい状態だったはずなのに黒き王の祝福を受け入れて更に己の心の闇を百年以上経って乗り越えて抱きしめ歴代の光の戦士に近づいていく、ずっとどの光の戦士よりも劣っている存在であるはずだったガイが、そうなることで今度はジャグラーの崩壊が始まったんだろうと。
「一度くらい、俺に勝たせろよ!!」は、あれでガイを如何なる手段を持っても超える予定でもあったんだろうね。でも己の中の闇に乗り越えられない存在が黒き王の祝福で闇の力に飲まれていく姿、そのものを見て、今度はかつての自分の苦しみを味合わせる予定が、さらに崩れていく。
闇を抱えて孤独のままでいるジャグラーと、ずっと闇を恐れて孤独を貫き通したけどSSPに対し居場所を見出してから孤独ではなく人として生きていくうえで己の闇の扱い方に慣れて初めて真っ当な人になれたと言っても良いガイ……
明確な二人の差が人との絆の差と言う皮肉と言うね。
初代ウルトラマンから始まる通り、ウルトラマンは人との出会いを通して互いに己を磨く戦士であるのは言うまでもない。
ガイが己の闇の問題から逃げたのはナターシャの事件から人の関りを繋ぐのを避けたから。人と関係を結んでしまえば何れ失う。その恐怖から来るもの。
だから本編ガイが風来坊のようなスタイルを気取るのは己の心の闇や弱さを見透かされる恐怖からくるポーズなんだろうと思うね。
そうして百年以上ルサールカの事件から己の闇から逃げつつ、己の光の戦士としての役割について考えていた結果が、本編までの彼の存在なんだろうと思う。
そういうことを考えてしまうから、逃げてきたからこそガイが己の闇の問題の解決まで時間をかかったのはガイの心の問題の脆弱さの象徴だと思うんですよね。
神秘の人であると中野さんはガイに対して、そう口にしていたけど、同時にガイは人間、生物であると言う証であると思うね。
己の心の闇の問題を乗り越えて真のヒーローになったガイ。ジャグラーの闇を知り受け止められるだけの存在になりナオミの激励のおかげで再び戦士になれたというね。
テレビ本編のオーブがEP6であるわけだ。って思うわな。二人が再び手を組んで真のオーブの物語が始まるんだと。
ジャグラーがガイに拘った理由って言うのはやっぱり理屈ではないんだよね。極めて人間的な感情なんだと思う。
Zガンダムでジェリドがカミーユを執拗に付け回した理由に非常に近いし、剣心と蒼紫のような関係にも近い。
元より互いの光と闇を司る関係、これを言葉にするなら宿命。
「オーブの祈り」と「Shine your ORB」がガイのジャグラーを思った歌と言うのは物凄いガイの傲慢さを押し込めたメッセージだな。って思うんだよね。人の死を体験しても自分は、それを強い絆を持って乗り越えられたのだからジャグラーだって!って押し付けに等しいね。
自分の闇を乗り越えるまでジャグラーに対しては、そういう傲慢な考えを持っていたんだと思うんですよね。
だから、己の心の問題をガイって他人の心を尊重してから人を救う部分が非常に多いんですよね。そしてジャグラーの最終決戦、マガタノオロチ戦での人と共に成長した今がある。
本編までのガイは理想と傲慢さが入り混じった感情でジャグラーを見ていたと思う。
それが例のジャグラーの笑顔であり、ガイの抱いていた思いそのものなんだろうなーって。
で、それを平然とガイは抱いている訳でしょ?藤宮の「闇が無い」の部分を一番如実に表した部分だよね。
闇が無いから他人の闇なんて理解できないし光で乗り越えられるという傲慢な心になる。今までウルトラマンとして選ばれた戸惑いから光の力で何でもできるという傲慢さに変質していったように思える。
アスカの「力を授かった意味」と言う部分をガイは間違った解釈をしたんだろうね。
もしアスカではなくメビウスの時のハヤタのようにズバっと「ウルトラマンは神ではない。」と言ってくれる人がいれば、もっとガイとジャグラーの関係の間も早く修復されたのではなかろうか?って解りそういうことを思うわけです。そうすればガイの傲慢さ解消できたのではないか?と。
美しい美辞麗句って時に人にとっては凶器でもあるという。光の戦士の理想がそうであるように。早い話がイデ隊員の「犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいけど。」って部分がもろに、オリジンサーガ におけるジャグラーと周りの関係そのものを描いていると個人的には思うわけですよ。
ジャグラーに対する現実的な正義と光の戦士の抱く理想の正義の差。
で、その部分がジャグラーも自分と同じ力を求めていたのだから、光の戦士の理想を抱くはずと言うガイの傲慢さが、あのジャグラーの笑顔でもあると思うと気持ち悪さがあるね。ここから本編のガイになるまできつい。
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その理想への危険性がサイキであると個人的には思うわけで。サイキはあり得たガイの可能性の一つでもあると思うわけです。所謂、そこでガイの抱く理想とサイキの抱く正義は非常によく似ているという、そういう危うさも伝わってくるわけですね。光に傾倒しすぎてる危険性と言うのが。
ウルトラマンであるからこそ他の戦士達に出会うことで自分を磨くことが出来たのだろうけど。サイキはウルトラマンに選ばれずに別の手段で理想を実現するもう一人のガイ
二人の抱く理想と精神の高潔さと言うのは似てる。んで高潔だからこそ傲慢さに汚染されやすい似た者同士の二人。
サイキはカウンターであると同時にガイの写し鏡のような存在だったんだろうなーって今にして思うよ。
手段は違えど理想の世界を作ろうとする二人。
最終回において、それは視聴者への役割は果たされたけどガイは、それを噛み締めようとしたか?って思うと、まぁ、無いわけだわ……
そして、そういう部分も二人がよく似た存在であるということを如実に語ってしまっているのは制作陣側のガイへのとんでもない爆弾級の大きい皮肉だろうか。
いつもの円谷プロのブラックジョークを、あの終わり方には含んでいると自分としては思うわけですねー。あくまでも自分の思考
いや、円谷プロって、時折、こういうきついブラックジョークを入れるわけですよ。
人の心に問いかける見るだけでスリリングな、このスタイルをね。
もし本気で入れたなら円谷プロの今まで築いてきたスタイルを良く壊すようなことをしたな。って思うよね。該当しないもん。
結局の処の人として未成熟なままのウルトラマンを出してしまうことに対する危うさって言うのも結構、感じてしまいますね。サイキと言う存在を入れたのはガイを表すのに良い逸材だったかも。
これから大きな失敗を繰り返して本編のガイからクレナイ・ガイさんになっていくわけで。
ガイの真のヒーローとしての物語はオーブオリジンとしての姿を取り戻してから始まるという途方もない物語。
しかも、その過程で友人の心を救えなかったり、生きていたとはいえ自分の過失で大切な人を救えなかったり、しかし、そうでもないとガイの傲慢は崩せないということなのか。
藤宮がもっとガイに対して強く言えばよかったんだろうとは思うんだけど、それでどうにかなっただろうか。もしかすればガイにとって一生に近いほど疑問にかかったままルサールカまで行かないと理解出来なかったとも思う。
自分で気づかないと意味の無いことであるとも思うんだよね。
結局のところ、ウルトラマンに選ばれたからこそ、無自覚な傲慢さは、あの程度で済んだ。って言う部分がガイにはあるのかもしれない。
もしウルトラマンに選ばれなかったらガイはサイキと同じ道を歩んでいたと思うわけなんですよ。
じゃぁ、戦士の頂でガイを選んだ理由は……
戦士の頂でガイを選んだ理由、それは、そういうガイの傲慢さを正す部分もあるのかもしれないと思う。歴代の戦士に出会うことで己と言う存在を律するという存在。実のところガイの心が光ではなく光ゆえの危うさに満たされる思考の持ち主だから力は救うために選んだと言えるかもね。
ジャグラーよりもガイのが重症と言える要素が多くあったんだろうなー。戦士として誰よりも優れたジャグラーよりも、理想に溺れて危険な道に走るガイを選ぶ。
なんか、この説、自分で言っておきながら物凄くあり得そうだなーって、そういうことを今にして思うわけですね。
円谷のヒーローならそうすると思う。人間とウルトラマンが一体化するときは何かを救ってきた訳で。ネクサスを見れば一番良く解ると思う。ネクサスのデュナミストになった人間が最終的に良い意味で変わっていったように。オーブの力がガイを選んだ理由もそれに近い気がしてきたなー。
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そして選ばれたからこそ幸か不幸かガイはあの程度で済んだ。サイキと同じ道に走らずに済んだと思うけど、それでもまだ足りなかったと思うと余程、ガイは理想に溺れやすい戦士だと見て取れる。その危うさもウルトラマンになったことで多少、救われた……でも、それが悲劇を招くと。
いやさー、かけ湯をしない怪獣に怒ったり、風呂のマナーを守らないSSPのメンバーに怒ったり、一番風呂は最高の幸せだとか、そういうことを思ったり、本当にガイさんは変わりましたね(=ω=)こういうことを思ってテレビ本編のコメディな部分を見ると謎の感動が肉体を包むよ。
人間としての光と闇を持つ戦士としても完成されたジャグラーよりも、人として闇の無い光だけを持った危険な人間をウルトラマンにすることで、まずは人として成長させるための修行をさせる。
そうして闇を抱いた時点で悲劇に包まれるほどのトラウマをガイに与えたという出来事。
思えば、そういう部分ってULTRA N PROJECTの初期案にあったYELLOW EYESが「力を手にした青年が戦いの中で正義に目覚めていく」っていう物語で、オリジンサーガ はコンセプトが逆だけど非常にガイの行く道は、これに似ているなって。小中監督は、此れも意識したんかね。
ジャグラーと完全に敵対するようになって孤独になったガイが初めて出会ったのがナターシャ。愛情を知る内にマガゼットンの襲撃にあって束の間に芽生えた”愛”を失いトラウマと自分の中にある闇と初めて対面し、失う怖さからSSPに会うまで人との接触を避けていたのだと思うね。
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光の戦士になったことで自分の写し鏡とも言えるサイキと対峙させる事で理想の為に過激なことをする危険さを学んだ。理想の為に生きれる無自覚な傲慢さを増長させ、それが無自覚のうちに信頼していた仲間から離反される。光の力がガイに与えた人間的に成長させる為の試練とも言える。
でも、こう考察するとガイの為にとばっちりを食らったジャグラーがとことん哀れだなー……ある意味、ガイによって人生が狂わされてしまった存在であり、そして、ナオミの叱咤激励があったとはいえガイに救われてしまったという皮肉的な人生。
満足しているようであっても辛い部分。
ガイは自分の過去の傲慢のツケは例のシーンで抱きしめることで己の光と闇とジャグラーの光と闇と一つに分かち合うことで過去の自分達への清算をしたと思う。
ジャグラーを救う。って考えてたけど互いの光と闇の清算なんだよね。ジャグラーもTV本編で目指してたのはそれかもね。
そして、そんな二人が過去を清算しあうのに百年以上の年月が必要だった。って言うのは、ご苦労なことだなーって思うね。
気づけば世界を回っているうちに二人の理解者は先輩戦士でもなければ互いしかいなくなってしまったことが余計に二人の関係を複雑にしたのかもねー。
そして二人とも強大な力に振り回されてしまった結果、戦うことでしかどうにも出来なくなってしまったんだろうなー。長い年月がジャグラーの執着心や嫉妬心が抱いていた大切なものを無くし修羅となって、そしてガイは傲慢さから解き放たれて真のヒーローへとなっていった結末かー。
正義の光と闇を描いた作品だと改めて思ったねー。正義を実現できる力を得たことによって傲慢が増長したり、手段を択ばずに行使しする正義から作る平和の歪さ、そして己の絶対的な正義に飲まれて行く人間の危険さ、人が正義を語るうえでの教科書になる。そういう作品だったと思う。
真の平和を築くには?
正義を行使するには?
誰も実現するための理想は間違ってはいないし一つの正義であると同時に一つの平和を実現する確かな手段でもある。でも過激すぎる思想、理想、正義は傲慢を生み単なる独裁やディストピアの建国になってしまうという知的生命体の未熟さ。
では、そうさせないためにはどうするべきか。
それこそクウガの「本当は綺麗事が良いんだもん」に繋がるけど人と言う個がある限り、そう上手くはいかない。それを描いたのが、オリジンサーガ と言う作品。
物語に多少の粗はありつつ、その部分は真摯に向き合って描いていたよね。私はそう感じた。
誰だって綺麗事が良いから、それを目指すべき世界の為に、オリジンサーガ では皆が頑張っていたんだよね。多くの人が平和のために頑張り正義のために戦う話だったんよね。
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でも現実と言う壁がそれを許さず人の関係を崩壊させて、いつもの巨悪が倒される終わりにしつつ、それが皮肉になったという。
結局、サイキを倒した終わり方と言うのは、そんな思考のママでは万人が平和でいられる世界など出来ないという円谷プロなりのブラックジョークの効いたメッセージであるという事を考えてしまうわね。
だからこそ、そうならないために頑張ってほしいというメッセージでもありそう。
一辺倒で傲慢な正義と平和への思想と言うのは人を殺すことにしか繋がらないという、所謂、現実の右系やリベラル系、人権派なんて自称する人間たちを見据えて、そうなる前に様々なことを思考せよ。そういうメッセージであり自分達が刻み込まなければならないことであるとも言えよう。
あ、オリジンザファーストからオーブオリジンになった理由と言うか黒が入ってしまったのは、単純に、もう、あの場面で考えてしまうとガイアとアグルの力か、それかジャグラーを思ったら自然と闇が入ってしまった。所謂、あれはジャグラーからのシグナルだったのではなかろうかとね。
そのジャグラーのシグナルに気付くことなくガイの中でのジャグラーは、あの笑顔だったと思うと、どれだけ、オリジンサーガ におけるガイが人として歪で傲慢な理想を抱いているのかとか、そう言うのを感じさせてしまうわけですね。
それかガイの気づかぬ無自覚な傲慢さが黒の部分となって表れたか。
まぁ、色々と考えようはあるよね。
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後、個人的にはウルトラマンの光の力がガイへの傲慢さの警告としてオーブオリジンのカラーに黒を入れた。って言うのを推します。
此れほどウルトラマンの中で人のうちにある当たり前の光と闇を描いた話も無かったなーって思いました。
光しかないからこそジャグラーの闇が解らない。そして自分と同じ光の戦士を目指したからこそ自分と同じになるであろうという傲慢さ。それがあの笑顔に繋がるという希望と理想。
恐らく求めていたジャグラーのような強さを超えた強さを得てしまったことによる無自覚な部分。
ジャグラーはガイにしてやれることも無く孤立してから虚無しか残らなかった悲劇。星屑の様に何もかも消える。
そうしていくうちに光に対して憎々しげに思えてきてしまうものなのかもしれないね。そうしていくうちに何もない暗黒と言う闇、埋まらない心の闇がジャグラーを汚染する…
それでいて捨てきれない戦士としての感情がジャグラーの中にあって、それと闇が生み出してしまった修羅としての感情と悪としての感情が混ざり合ってとうとう、ペルソナを被ることで己を誤魔化して縛られて行く。演じていた自分が本当にもう一人の自分になるように。
修羅か。
悪か。
戦士か。
あのオーブニカのメロディを聞くたびに、それらの三つの自分が葛藤してジャグラーを悩ませる。それが苦しいからこそ、その葛藤が片頭痛として現れる。まだ彼が完全に堕ちてない証…
ガイはメロディを聞かせることでとジャグラーを戻したかったのかも。
凶暴な光は時として人の視力を奪うように、オリジンサーガ の中のガイはジャグラーをそういう感じで傷つけすぎてしまった感じするね。
でもいなくなって初めて、その大切さを知ってしまう。ガイとジャグラーの関係って、そういう感じだけどさ。
……別れたら彼女の大切さに気付いた彼氏かよ!!!
この黒はやはり未来に起きる心の闇に関する事件に対する警告と同時に、あと二つの可能性を考える。同時にジャグラーがガイにとって、どれだけ大切か。それを理解したうえで、今後のジャグラーとの関係の暗示でもあると言ってもいいのかもね。光しかない状態での危険性の暗示も。
このジャグラーも戦士の頂が見せたガイへの警告なのかもね。ジャグラーが笑顔の後に消えるという描写は、これからのガイの行動によってはジャグラーはガイと敵対する運命にあるという暗示とも言えるかも。だからこそオーブオリジンに黒を与えることで警告したという可能性。
己の光がジャグラーの笑顔を消すという警告…強すぎる無自覚で無垢な傲慢な光は身近な人を傷つけ、それに気付くことなく敵対する運命になってしまう、そういう意味でもあると思う…。
戦士の頂が見せたガイの中のジャグラーの投影と未来の暗示と言う、そういう二つの要素ありそう。
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感動系と言うよりも思考を促すような作品だったよね。いつものウルトラ的な平和の考えでありつつも、ちょっと毒を含ませたような終わり方をして。戦いを終えても平和と正義に対する問答は、これからも続いていく。ガイのミッションは我々の歩く道、そのものでもあるんだと思う。
「オーブの祈り」や「Shine your ORB」がガイからジャグラーへの言葉なら、オリジンサーガ の「TRUE FIGHTER」は戦士の頂からガイに指示を送る未知なる存在がガイに対して望む思いそのものじゃね?
全て見終わった後に「TRUE FIGHTER」を聞いた時、思った。
思えばさ。
本編でさ。
「救世主じゃない!」
って叫ぶシーン、ここで初めて闇を抱いて万能ではない光の戦士の力と理想を理解したんだと、そういうことを考えたりする。本当にガイさんはルーサルカでの事件が起きるまで、#オリジンサーガ までのガイそのものだったんだろうなーって思う。
本編の前日談としては繋がりがあまり感じられないという部分でアウトだけど一個のエピソードとしてみると、オリジンサーガ は個人的に凄い大好きな物語に入る。
ウルトラマンオーブの前日談としての物語からすれば、オリジンサーガ はアウトだよね。
ただ、一つの独立した話、それこそ田口監督の語ったエピソード1としてなら見事に、それは成功しているとは思う。
ついでに、そういや、アマテって良かれと思って出た行動が全て裏目に出たタイプだったねー……平和のために思ったことが全て。前に「ミスト」って洋画を見てから、アマテとミストの主人公が被っちゃって被っちゃって仕方がない。ウルトラマンがいたから最悪の事態は防げたというケースだわね。
結局、戦士の頂を作った存在とかガイとジャグラーにミッションを与えた存在は誰だったんですかね。
何か考えられる限り、ウルトラの歴史を辿れば、あれとかあれとか色々と考えてしまいそうだけど。こういう謎はセカンドシーズンがあれば作られるのかなー。作られるのであれば是非。
見たい。
そういや、ガイってウルトラマンの話で言う過去のウルトラマンにはよくあった第一話と第二話の前後編構成を12話かけてやったんだよねー。
そりゃー、まだガイは新米ルーキーだし、未熟なのも当たり前なんだろうなーって、今更ながら、そんなことを思った訳です。
寧ろ、ガイの戦士としての試練はウルトラマン的に言えばこれからが本格的に始まるーって言うのは先輩戦士たちの言った通りなんだろうね。
そこから、テレビ版におけるガイにたどり着くと同時に大切な人を失い闇を抱き、そしてもっとも身近だった存在に対して己の闇を見ていくのか。
結局、オリジンサーガの続きは普通に見たいなー。
結構、好評なようだし続きは……見れる気がするね。

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『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA』第11話 「かげろう 〜陽炎〜 」

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次でサイキが狂った歪な正義を抱いた理由がやっとわかる気がする。幼少時代の度が過ぎるほどに強いトラウマって大人になってまで引っかかることがある。虐めが原因で後の人間関係に支障をきたすように。
サイキの強烈な思想って言うのは、ここから生まれたのだろうと見て取れる。
和泉元彌の演技が光る。
正義の裏にある闇の部分を象徴したかのような人物。
これほどまでに世界を憎んでいると言っていいほどに人から自由意思を奪おうとする断固たる姿勢と言うのは正直、恐怖に近い。
そして次回の展開で、そこに行きつく根源を知ることが出来るから楽しみだ。
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そして自らの理想を具現化するために互いの肉体を再構成して生まれ変わった、サイクイーン……その姿は正義と言うよりも、むしろ悪魔と言う言葉が相応しい。
ただ、どこかヒロイックな部分を残しているのはサイキの持つ正義の心には闇しか存在していないという、そういう表現であるのかもしれない。
人の抱いた正義の持つ闇の醜さ。
それを象徴したのが、このサイキとクイーンの融合した姿から見て取れるメッセージだと私は思う。
十人十色の誰だって持ってしまう正義の裏にある醜さと言うのは、案外、こういう凶暴なもので構成されているのは現実で正義を謳う人を見れば解る。
そしてウルトラマンとは正義の光の部分の象徴であるともいえる。#オリジンサーガ って正義の光と正義の闇のぶつかり合いなんだよね。どちらも正しいし、何とも言えない部分もある。サイキの抱く犠牲だって彼からすれば確かに理想の世界を築く正義でもあるし、光の戦士が抱く正義はそれを許さない。
そしてガイもサイキも多くの人を救いたいと思っているし、理想の為に殉じる覚悟の出来る共通点を持っているわけで。
サイキはもしかしたら抱く正義の思想が違えばウルトラマンになれたかもしれない、そういう高潔な精神を持っている人であったということも考えることが出来る。
ただ、高潔すぎる精神と純粋さを持つ人間が何かのきっかけで崩れてしまう事なんてのは様々な創作作品である展開なんだよね。サイキは、その一人で、そういう意味では高潔すぎた精神を持った人間なのかもしれない。
ある意味、正義と言う毒に支配されたサイキは悲しき存在なのかも。
故に彼の友人と言える存在がパーテルと言う酷いことを言ってしまえば機械しかいないというのも、彼の抱く正義の理想の異常さと、そして理解されない理想を抱いてしまうことに対する孤独感の象徴。
そんな中、クイーンのような存在に出会ってしまえば心髄してしまうものなのかもね…
そしてパーテルしか理解者がいないのも当然なんだよね。だってサイキが作ったモノなんだし、何でもサイキの思考を肯定するに決まってる。パーテルと会話している時のサイキが一番孤独に見えてしまうのはサイキと言う人間を理解できる存在が誰一人いなかった象徴でもある。
サイキの抱く人間性って言うのは非常に単純だからこそ考察しがいのある存在でもあると思うのです。
そして誰もがサイキのような思考を抱く危険性のある正義の闇の部分を象徴している、ある意味、一番視聴者に近い存在だし、だからこそ和泉元彌の演技も相まって思わず惹かれう。
正義とは何かを考えると同時に、正義の光と闇を同時に描く #ウルトラマンオーブ #オリジンサーガ。特撮ドラマでも一般ドラマでも描かれず、敢えて口にせずに登場人物の台詞と行動だけで正義を描くって言うのは、最近こういうドラマが全くなかった中で良くここまでできたな。とか、んなことを思う。
正義の内面と言う部分における勧善懲悪のようなスタイルなんだよね。#オリジンサーガ は。
それは最近の特撮ヒーローが忘れてしまったモノであるとも、私は思うわけです。終盤、集まる同じ正義を持ちながら光の側面を持つ光の戦士と闇の側面を持つサイキとの最終決戦が幕を開ける!!!
って言うのが、全体的な感想かなー。
さて、今回の話はサイキだけでなく、ジャグラーとリッカが世界を助ける為に動き出すのが良かったね。
そしてジャグラーの「俺は光の戦士を超える!」って言うのはやはりジャグラーが、ある意味、力に関しては鍛えれば鍛えるほど光の戦士に近いモノを持ってしまったことに対する由縁
光の戦士に対する反骨心が等身大サイズにまでベゼルブを倒すほどにまでジャグラーを成長させたんだろうけど、でも正義なき力は暴力であると銀河伝説で語られていたように、その光の戦士に対する反骨心が増長して、テレビ本編のジャグラーに繋がっていくのでは?と思うと辛いよね。
全ては光の戦士の力でも守れなかった出来事から、いや、本来、多くの人を出来る限り助ける為に光の戦士の力を求めようとして選ばれなかった事から。ガイの期待も相まって自分にプレッシャーもあったのでは?と思う。
かつてのガイの思いが自分でなければと言う部分を強めたとかね。
でも光の戦士に選ばれずに自分の得た力は闇の力。それが光の戦士達との間に生まれたコンプレックスを埋めながら光の戦士を超越しようとジャグラーが頑張る姿と言うのは応援したくなる要素に溢れている。
それで必死にガイをクグツから助ける為に叱咤激励する姿とか締め付けられる。
決別しておきながらガイ達を放っておけないジャグラーとしての人間性がかっこいいんだよね。
人から見れば優柔不断とか、そういうのに見えるかもしれないけど、私は、そういうジャグラーの人としての情が残る部分はかっこよくて好きなんですよね。そして、これが最終回にも生きる。
そしてガイはジャグラーに心髄していた部分もあったと思うし、ガイからすればウルトラマンになったジャグラーをサポートするつもりであったんだろうね。ガイからすればジャグラーって理想の戦士だし。
それって、何だろう。って思ったらアイアンキングの二人の関係にも似てる。
思えば、#オリジンサーガ のガイが良く解らない。って声もあったけど、それってガイがウルトラマンの力を得たことに対して戸惑いを感じているのかも。そういう部分からアマテにも興味を持ったし、そしてアスカの言葉について考えたりする姿、ジャグラーに教えを請おうとぶつかりあおうとする。それは他人を頼りにし過ぎて自分なりの考えの中で、どう己の思う平和を実現しようか。って言う部分の見えなさ。それが、ジャグラの、なんていうかペルソナに縛られた二重人格者と言う部分も感じ取れるわね。
ついでに本編にも見られる皮肉を込めたようなガイへの叱咤激励とも取れる言葉は、戦士としての本性と修羅としてのペルソナの狭間に揺れるジャグラーと言う人物を良く表している感じがする。
だから、ガイって正直、この時点においては凄い無神経さや、他人の痛みと言う部分が鈍感なんだよね。それは、やっぱり、こう自分の大切な人を失っていないから。
その無神経的な部分がジャグラーとの確執を生んでしまったと思うし。
そして一度、模擬戦でジャグラーのプライドを傷つけてしまう出来事があったけど、あれは自分に対する戸惑いが、ああさせたんだと思う。予想以上に強くなっている戸惑い。ジャグラーが物凄く遠すぎる存在だったが故に。
故に精神的な未熟さが埋められずに、わざと負けた形になった。
そういやジャグラーが片頭痛持ちになった理由って、オリジンサーガ でも描かれなさそうですわね。個人的には修羅から悪に堕ちるジャグラーからすれば、ガイのメロディは己が気高い戦士であること思い出させるからかしら。
ある意味、キカイダーのギルのメロディの逆版だね。
修羅か。
悪か。
戦士か。
あのメロディを聞くたびに、それらの三つの自分が葛藤してジャグラーを悩ませる。それが苦しいからこそ、その葛藤が片頭痛として現れる。まだ彼が完全に堕ちてない証……
ってことなのかなーとか、そういうことを思ったりする。
それから、ガイは闇を知ってジャグラーの苦しみを理解し、ナオミの言葉で立ち上がるんだと思う。
ガイさんが先輩戦士に対して腰が低い理由って言うのはアスカ達と知って先輩たちの偉大さを知ったのもあるだろうし、ガイさんからすればまだ彼らの領域に達していない。って部分が大きいと思う。
そして藤宮の言った「闇が無い」の部分が生きてくるんよね。
歴代の戦士は己の心との戦いに勝利して現在まで昇華させた存在。
本編が始まる前で闇を持ったけど、それの乗り越え方、克服の仕方に対して百年以上も苦労したガイさんからすれば先輩ウルトラマンと言うのは敬っても敬い切れない偉大な存在なんだと思う。
アイアンキングは弱い巨大戦士が人間サイズの戦士に助けられる構図なんですよね。そういう構図が初期のガイとジャグラーに似ているという、そういうことを思う。惑星カノンでの二人の関係なんて、まさにそれなんだよね。そういう関係、正直、もっと見たかったなーって。
悪に徹しきれない悪って描き方で非常に不味く調理されちゃうんだけど、ジャグラーは、それが見事に調理されている、あるいは、その完成形と言えるかも。
悪と言うか修羅に徹しきれない修羅になっていく中途半端な存在。でも、それがジャグラス・ジャグラーと言う男の魅力でもある。
本編で容赦なく宇宙人を殺した理由って言うのは簡単に言ってしまえば彼らが悪だからなのかもしれない。
こういう部分と、#オリジンサーガ からジャグラス・ジャグラーを繋げていくとなんだろうね。やっぱり、そういう風に見ちゃうと修羅になりきれていない心を持った存在、そこからガイに対する執着
悪と言うより修羅と言う言葉が似合うのはガイへの執着って剣心と蒼紫の京都編までの関係に非常によく似ている。
恐らく次回でオーブオリジンになって、それを見て力を求めてジャグラーは強くなるガイを見て光の戦士を超えらえない現実を見て歯車が崩れるように修羅になっていく。
実際、クイーンを追い詰めたところで強烈な一撃を食らったわけだし、ジャグラーの強さは確かに強くなっていってるんだよね。確かにジャグラーが倒せた可能性もデカいわけで。
仮にここで完全にクイーンを倒していたらジャグラーとガイの関係はどう変わったのか?妄想が止まらない。
現実を見て修羅になっていく過程で正義を忘れてガイへの執着と言う負の感情と闇に飲みこまれて生きてしまう”力”が産んでしまった悲しい修羅になってしまうジャグラーが見れるのは、#オリジンサーガ 二期か、前日談的な1時間のスペシャルドラマをやるしかないと思うわけです。
何かそうなるきっかけが欲しい。ハッピーエンドに終わりそうな、#オリジンサーガ の話の最後のシーンにジャグラーが複雑な表情を浮かべる感じ。そういう終り方。
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前にオーブを見直していた時は自分の中では悪ではなく修羅だと理解したジャグラーだけど、今回の11話の段階で修羅の片鱗を見せてた。
修羅と戦士の狭間で揺れながら徐々に修羅寄りになっていくジャグラーと言う男に目が離せなくなっていくし、本当に、#オリジンサーガ ってジャグラーが主人公って思えるよね。
それがウルトラマンの力から生まれた確執っていうのも、また改めてウルトラの光の力は絶対ではないと言う証よ。
ただ心を開きかけた存在を護ろうして守れずに己を悔やみ修羅になる段階で力を求めて求めすぎて闇に飲まれて気高き理想を捨ててしまう。そして本来の強さの源でさえも捨ててしまう。
修羅になる段階で捨ててしまったもの。それが23話でガイが語った例の言葉として強く生きてくる。
修羅になる過程で誰よりも光の戦士になろうと思った存在が光の戦士に必要な大切な心も捨ててしまった。
これがやっぱりジャグラーの人間的魅力なのよね。戦士であり修羅である。そして執着した先のガイは光であった。ガイが光であったからこそジャグラーは闇に染まりきれなかった。
思っている以上に、この二人って絡み合ってて、ある意味、一心同体ともいえる関係であるんだわな。
ジャグラーにとってガイは己の光であり、ガイにとってジャグラーは己の闇でもある。
だから最終回でガイがジャグラーを抱きしめるシーンは互いの光と闇を清算した。と見て取れる。
改めて言うけど私はジャグラーはもうテレビ本編では悪だと思っていたのよ。でも、#オリジンサーガ を見てから悪ではなく修羅になろうとする者であると知ってしまった時、本当にジャグラーと言う存在が180度見方が変わってしまったわけです。
その修羅になる過程と言うが、また見ていて辛い。
自分が超えようとした存在が光であったお陰で自分は完全な修羅になることなく闇に堕ちずに済んだ。ってジャグラーの、この人生は酷く皮肉に満ち溢れているなと思う。
でも皮肉がジャグラーを救ったというのも、また事実。ジャグラーの人生って現実は小説よりも奇なりを地で行く。
#オリジンサーガ がそうであったように正義に光と闇があるように、その光と闇は表裏一体で、これからの #ウルトラマンオーブ におけるガイとジャグラーの関係も光と闇の表裏一体な関係。
此処から、どう変わるかは来週でちゃんと描かれないんだろうけど匂わせる描写で終わってほしい。
ガイとジャグラーの二人の心の描写が繊細かつ大胆だよね。互いにぶつかり合いながら、どこか、それで傷ついていくような部分とかね。それで育まれる友情と決別、光と闇の側面、思った以上に二人の関係から本編へとつなぐミッシングリンクとして素晴らしいと思いますよ。
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そして、これがガイのウルトラマンとしての最後の試練ではなく、彼の中の真の試練は、これから始まるのだろうという部分も考えるだけでガイは、寧ろ、これから本当の物語が始まる。そして大切な人を失いジャグラーの抱えていた闇の恐ろしさ、そして闇の向き合い方を知る……
後、クイーンに利用されていただけのことを知ってでも、それでもクイーンと共に行く姿勢はやはり信仰心と言う毒と言うものを感じずにはいられなかったけど、それはもしかすれば信仰心よりも弱っている同胞だった存在を放っておけないサイキと言う人間が持つ本来の優しさなのかも。
クイーンを助けるサイキの持つ人間的な感情は自分が一番、知的生命体から取っ払おうとしていた自由意思の尊重。人の感情的な行動には常に矛盾が生じるから、そういう部分も人らしさを感じて好きだけど。切っても切れない長年過ごした関係は理屈を超える。ガイとジャグラーのように。
ガイはジャグラーが選ばれると思っていたウルトラマンの力に自分が選ばれてしまったが故の惑いがジャグラーと決別するまでになったんだろうと思う。そその惑いがジャグラーのプライドを傷つけたりアスカ達と出会う事で光の戦士としての矜持を身に着け互いの正義の価値感に差が出る。
互いに違う正義の価値感を持ちながらも、#オリジンサーガ では共闘する二人って言う姿はかっこよく映る。未熟なウルトラ戦士であるガイと言う存在は、まだ闇が無い。闇を抱えてないが故に世界を照らすことの出来ないガイ。
その身に宿る相棒のジャグラーの哀しみを知ることなく一度、物語を終える。
一方では自分一人では抱えきれないほどの闇を持った修羅となり、一方ではぬぐえないトラウマから闇が生まれ光によって抱きしめる存在になる。
そんな二人に明確な差が生まれて勝利したのは、とてつもなく戦士と言う存在において忘れてはならないものだった。
己の中に闇が無いから他人の闇も解らないし力はあるのに光を照らす事ができない。これは初期における平成ウルトラマンからよく顕著に出てる部分。皆、戦士と言う存在として悩み成長して戦士として完成していく。今のガイは成長しつつも歴代の戦士の様にまだ深みには至ってない感じ。
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さて、最終回……どうなる?

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『ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE』 第9話 「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 怪獣墓場の決戦」

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ナースが一番好きなウルトラ怪獣である。
そんな感じでさー
またベリアル銀河帝国とかゼロの映画かよ。飽きたわ。なんて声を聴くけど、正直、アタシは数年に一回はやってくれる感覚は結構好きだなー金曜ロードショーで毎年、ハリーポッターとか、ああいうのやる感覚だから結構、個人的には飽きたとか、そういう感覚は無い。
ウルトラ銀河伝説は、好きな映画ではあるけど坂本監督の悪癖も出てるから正直、評価したいけど色々と難しい部分も多い。
ゼロの鮮烈デビューをさせたいがために有名ウルトラ戦士を蹂躙したベリアルをあっさり倒すシーンは今でも違和感が強い。
坂本監督の、時折、敵に対して敬意を払わない姿勢はダメ。敵に敬意を払わないから主役のヒーローであるゼロ、さらにはこの映画に出てくる全てのウルトラ戦士さえも敬意を払えてない状態になってる。
歴戦のウルトラ戦士を蹂躙したベリアルがあっさりゼロに負けるのは一番やっちゃダメ。
やっぱりヒーローが苦戦して何らかのドラマがあって逆転する。って展開が好きなんだよねー。やっぱ銀河伝説のゼロの素のベリアルをいきなり圧倒するのは「うーん…」って未だになる。いや好きな映画だけど。
でも鋼牙狼は?って言われると、ボスクラスに対してはちゃんと苦戦してる。
ゼロの初陣の場合は歴代のウルトラ戦士を倒した素のベリアルをあっさり倒しちゃうのが、色々と問題があるんですけどね。やっぱ、それによって坂本監督に、そのつもりは無くても歴戦の戦士やベリアルに敬意が無いと思っちゃう。
そこが常に圧倒が許されている冴島家の黄金騎士との違い。

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『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA』第10話 「はなあらし ~花嵐~」

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前にクイーンベゼルブとサイキの平和の思考の違いと、そういうのを説いたと思うんだけど、本当に、そういう感じだった。クイーンは操られているというよりも、サイキを利用して己の考える世界の平和を実現しようとしているのでは?と、思いました。
クイーンは完全な闇で戦神は光。
やっぱり引っ掛かりを覚えたのがベゼルブが一話で行った無抵抗な人間をクグツで突き刺して殺し合いをさせた処が、サイキの意図する部分とどうも相違があるからこそ気になる訳で。
クイーンの場合はクグツで操り自分たちの種族以外の崩壊を狙い平和を築く。サイキの場合は全ての生物をクグツで満たして一つにする。
「人は知恵の実によってー」って台詞があったけど、それを狡猾に利用しているのがクイーンである可能性も否定は出来ない。クイーンはサイキの平和への強い思いを自分の平和を作ろうとしてるかも。それが種族感が違う自分等には正常でも他者には歪な形に見える平和なのかもしれない。
しかし、どうしても、ここまで来るにはサイキの平和を掲げる理念の説得力が足りない。って人も多いと思う。
前にも言ったけどギャラクトロンに故郷をぶっ壊された。とかなら、物凄い説得力があるんだけど。後、2話で語ってほしいなー。#オリジンサーガ が最高の作品になるためには、どうしてもサイキの理念は必要なの。
クイーンの毒にやられている。何てことはないんだろうけどサイキにとってクイーンは戦友、道具とか、そういうものではなくどっちかっていうと信仰対象に近いものだと見ていて思う訳で。
あの能力によってクグツによる魅了されすぎたからこそ、そういう平和の念を抱いたとも思える。
時に信仰が人を破滅に導くなんてのは此れまでのカルト宗教や、そういう部分でよくあるケースだしね。サイキとクイーンの関係は相互関係に見えて、そういう部分が強いように思える。
現実だとアイドルが良い見本。絶対的な力を持つ存在に魅了されて狂っていく典型的なパターンかも。
でも人と他人が完全に分かり合えることが無いように、クイーンとサイキだって互いに似たような平和への念を抱いているからと言ってクイーンとサイキの目指す先にあるものが必ずしも同じではない。
それが、これまで見せたサイキが驚くほどの行動を見せたクイーンの行動にも繋がる。
ついでにクグツを受けた存在は、実はベゼルブになっていくのではなかろうか。とか、考えていたけど、後、2話でやるにはあまりにも時間が不足してるし、それはないだろうなーとか思う訳でー。ただ、クグツを宿した者同士が戦うと毒素が上がるって設定は、そういう伏線だと思ってた。
体全体に完全にクグツが回ったらベゼルブ化とか、なんか、そういうの。そういって、クイーンは子供を作ってきたのではなかろうかーとか思ったねど、そういうのはどうも無さそう。んじゃぁ、クイーンからベゼルブはどっから……とか、そんなことを思ったりしたんだけど。不明やね。
クグツ自体が毒であると同時にクイーンの場合は、それが卵子に近いものなんだろうなーって考えてた。それが生物の血液か何かと重なることでベゼルブが生まれて体内から食い破ってベゼルブが誕生とか思っていたんだけど、流石にグロいし……無いか( ・ω)
無いだろうなー
改めて思うクイーンとサイキは同じベクトルで動きつつもゴールが全く違う恐ろしさが、寧ろクイーンの怖さを表している訳で。
サイキは歪にしても純粋な平和だとしてクイーンの場合は自分の種族が栄えること、それに対して自分たち以外の種族を餌か道具とみている部分もあるしで。
話がずれた。果実が無ければクイーンの毒は絶対的な力なわけで。
そして、これでサイキの平和の念へと繋がっていくのも解るとして。
やっぱり絶対的な信仰に近い関係って言うのは人を狂わせる部分があるのかもね。カルト宗教のニュースの特集で出てくるよく似た信者に似てるし。
んで、やっぱり、そこで必要になるのはサイキのきっかけなんだよね。いや、今のままでも面白いけど、それでもサイキの過去は視聴者の想像に任せちゃダメな部分。
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藤宮のように平和を導くための計算をしていたら、似たようなことができてしまったのだろうか。とも考えるんだけど。
「野蛮な方法でしか解決できないなら知性はいらない。」って言うけど、これ、寧ろ、人が知性を持ってしまったからそうなった野蛮になった気も。知性にも光と闇があるしね。そこ行くと、サイキの目指すのは聖書の最初期のように無知なアダムとイヴのように人を後退させたいのかもね。
知性の闇が兵器を作ったりしたのはよくわかるだろうし。
ついでに行ってしまえば、これは、聖書をモチーフとした部分も #オリジンサーガ は結構あるわけで。サイキの遠回しな知性と自由意志の否定は、そういう部分のモチーフもある気がする。
「地球人は優しい。でも恐怖のほうが上回る。」#ウルトラマンX でテルがそう言ってたけど地球人は、そんな部分もあるし今回は生命の樹があったからこそベゼルブたちが来訪して戦火に巻き込まれたわけでもあるし地球では恐怖の象徴よね。焼き払うって判断は第三者から見れば解る。
自分の目的の為なら体よく自分を理解しようとするものを道具として利用する狡猾さって物凄く恐ろしいと訳です。その狡猾さは己の持つ他者を道具として利用する武器から見て取れる。まだクイーンの中にある真意が見えないとはいえ、クイーンには共存という言葉がないように見える。
ガイやアマテの純粋な心すらも利用してまで戦神を呼び出す口実を作ろうとするクイーン。
あそこまで見るとクイーンの行動、子供を殺したりとか、ああいうのは全てわざとなのではなかろうかと見えてくる。全ては戦神を支配下に収めて。さて、そこから何をするんだろ。
サイキが毛嫌いした「愛を利用して他者と取引する」行為そのものをクイーンが行っているんだよね。
さらに、今まで正義を行使するためのサイキの毛嫌いする暴力までふるっている。それをもってしてもサイキ自身が誤りや野蛮だと思わないのは過剰な理想主義と信仰心の強さだと思う。
ついでにサイキが言ってた「シンラを忠誠心と言う毒に侵されている」と言ったけどサイキは信仰心という毒に侵されている。で、己の理想を現実にできる存在がいるからこそ出来る理想という毒にも侵されている。
サイキって自分の思考と行動に矛盾があっても平然と出来る怖さを持つ。
「ヘイトスピーチを許さない。」って言いながら自分たちがヘイトスピーチをまき散らしていることに気付かない人とか、それは正義だから正しい。っていう人がいるけど、サイキは、こういう思考に近い理想主義者であると思う。正義であるからこそ盲目になってしまう典型的な例。
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他者を理解することから始めたいアマテ。弱みを見せたのは他人を利用するため。
他者を理解するにはどうなろうとも互いにもっと踏み込むのが一番ベストであるけどそれをクイーンは利用する。
人の平和の心を利用する存在が牙を向けたとき願い敗れた者の為に光の戦士が助けに来る。
現実的に見ると姿かたちが違うし言葉すら本来通じない存在と理解し合おうというのは非常に怖いことよね。それでも…っていくのは正しいのかもしれない。
でも現実は、そういう存在を利用して自分だけ上手い汁を啜る奴は山ほどいる。
そして話は悪い方向に進んでいく。
「あんたは正しいが間違っている」
根源的破滅招来体によって導き出された答えにより、そして人の現実を知って絶望した藤宮を立ち直らせたのも己が滅ぼそうとしていた人間という真実。彼も人間の光に助けられた存在。
一番説得力のある藤宮の言葉もサイキに空しく響いたのが……何て言うか、これは完全な価値観の違いともいえるんだろうなーって。
自分に賛同するならまだしも、既に野蛮な人間の言葉よりもクイーンベゼルブに対する信仰が上回っているんだよね。サイキは。だから、藤宮の言葉に対しても残念に思うだけで、彼は人の光を見ようとしない。それは光があろうとも全ては心の闇に食われてしまうのを知ってしまったから?
我夢や藤宮と真逆なんだよね。人の残忍な部分を見ても二人は人の光によって救われて闇だけではないことを知ったからこそガイアとして戦った我夢と己の過ちを認めて成長した藤宮。
しかし、クイーンへの信仰心が邪魔をするように人の心の光を認めようとしないんだろうなと。
クイーンベゼルブはサイキの毛嫌いする知性の闇を狡猾に利用する存在だよね。同情を誘って他者を利用したりとか、こういう知恵の闇をフルに活用する奴の危険性は現実の人に照らし合わせればどれだけ醜いと思ってしまうのか。結局、やつも生物で自分本位であるという部分が見えてくる。
そういう部分からガイは何を思うのだろう。そこから正義として暴力を行使することに対する思考を張り巡らされていくのだとは思う。だから割り切れるジャグラーに憧れに近い考えを抱くのかも。
騙すよりも騙される方が良いとは言うが現実に当てはめてしまうと騙されてしまえば絶望。
少し話はずれるけど、ついでにサイキが最も毛嫌いするタイプの生物が自分の同志であると思い込んでいるというのは、正直、彼も悲しき敵ではあるんだよなーっていうのを思います。
近年の特撮ヒーローにおいて正義を語ることにおいてどこかタブー視され照ると思えるほど語られない中、オーブ本編では正義を抱く覚悟について語り、オリジンサーガ ではもっと深く正義のことについて物語で語り視聴者に訴えるスタイルは何度も言うけど非常に、あえて挑戦するスタイルは凄い好き。
単純な正義ではなく、正義の中にある表と裏、正義と闇について考える。
そこで暴力を振るわなければならない状況の中で苦悩しながら正義の中で暴力をふるい、そして、サイキの言葉に翻弄される。光の戦士と言う振るう側で無ければ説得力の無い状況に置くことで物語に深みを与える。
ウルトラマンになりたてのガイが最初に抱いた理想からかけ離れるように現実に翻弄されながら味方であろうと敵であろうと触れ合う人々から様々な正義の価値を与えられて翻弄されて行きながら、要所要所で視聴者に語り掛けるように考えるシーンが、この物語の一つの肝であるとも思う。
現実に翻弄される中で傷ついた存在を守ろうとするのがガイの正義なわけで。
害があろうが無かろうが正義であろうとも既に自分よりも強大な存在が君臨した時点で恐怖を抱く人々。
でも、その感情を手玉に取るかのように狡猾にガイの正義を利用するクイーンベゼルブと言う存在。
「たった一人でも誰かの平和が脅かされるなら俺は戦う」と言うのが本編におけるガイの抱く戦う信念であった訳。
それを抱くきっかけになったのが、オリジンサーガ における正義に翻弄されている今なではなかろうか。十人十色の正義、どれが正しいか正解は無いからこそ誰かの平和を脅かす奴と闘う。
「闇が無い」ガイは正義について実直なまでに光の戦士の理想を突き抜けようとするけど現実がそうさせないしジャグラーとの乖離が生まれる。
ジャグラーと袂を分かち互いに抱く正義が違うからこそギクシャク感が礼ではなく「お前には何度、助けられたのか。」って言葉だったのだろう。
人としてあまりに純粋だからこそ光の戦士の理想の言葉の美しさに傾倒していくんだと思うし「闇が無い」なんて藤宮に言われたり。でも、そのまっすぐさがジャグラーとの確執を生んでクイーンに利用されたりと、この戦いを通して、ガイは正義について考える切っ掛けを得たんだろうね。
代わってジャグラーは完全に惑星カノンの人間からは悪と言うか、それに等しい扱い。それを見て逃げように何も言わずに去るジャグラーの虚無感が見ていて辛い。
そして、ここから見える惑星カノンの人間が抱く「生命の樹」に対する信仰心。これも信仰心に近い毒と言えるのかもね。
アマテを傷つけたこと、生命の木を切り倒したこと、それは確かに信仰心を持つ存在からすれば悪ではあるんだけど、カノンにおける戦乱を止めたのは真実なわけで。それに対して何も言わないんだよね。戦乱の事より生命の樹における信仰心が勝っている。って言うのは正直異様だった。
でも惑星カノンにおいて悪に等しいことをやらかしたジャグラーと言う存在は問答無用で悪に等しいことなんだろうね。でもジャグラーの言うことも戦乱を収める確かな理由でもある。
サイキと同じ信仰心の、それも無自覚な毒なのかも。確かに奇跡を生み出す存在ではあるのだろうけど。
とはいえ人の住む場所には文化があって、それが何であれ人や生命を育んで来たのは確かではあるんだけど、ある種の依存に近いモノを感じるわけで。だからこそ文明を守りつつ、ただ破壊する輩から守るわけで。それだと、そこらにいる怪獣や宇宙人と変わりなくなってしまう。
「力があるからって何をしてもいいわけじゃない。」って言うアスカの言葉。光の戦士の場合はただ戦乱を止めれば良いわけじゃない。それだとただの戦争と同じ、人の愚行を繰り返すことになってしまうわけで。
ジャグラーはそれに気づいていないのだろうというのが7話で見て取れる。
恐らく、それは10話の今までになっても変わりない。それが簡単に解るのがいきなりサイキに斬りかかったところを見れば解るだろう。ジャグラーの抱く正義は極めて現実の、それも兵士と呼べる人間が抱く理想に近い。
でも、それも間違った正義ではないのも確かではある。
「誰に裏切られたのか。」「俺自身。」
それは、ずっと、この正義を貫き通してきたが確かな犠牲を生む現実からか。それが正しいと思っているからこそジャグラーは己を鍛えて、ストイックにもっと力を求めて戦士の頂きに上ったのかもしれない。
でも、力を選んだのはガイだったと。
また大切なものを護れないわ、自分の求めた力は理想を追い求め過ぎた存在であり脆弱さを知るしで、そして、それがストイックに己の正義にのめり込んだ理由なんだろうね。だからこそ光の力ではない己に訪れた力を受け入れて徐々に己の正しさの証明のために光の戦士を超えようとする。
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更に言ってしまえばジャグラーにとって光の戦士を超えることは、光の戦士の抱く甘い理想の間違い、光の戦士の自己犠牲にも近い甘さ、自分の正義こそ堅実で正しいと言う証明にも繋がる。
それが可能なら全てを助けるけど必要とあれば大を助け小を切り捨てる非情の正義の形である。
徐々に己の正義の行使の為ではなく、次回予告の台詞の聞くと俺の正義の正しさの証明にも聞こえてくる。徐々にジャグラーが力を振るう意味が変わってきている気がする。
ガイを助けたのも、光の戦士達に己の正義の正しさを証明するためなのか。光の戦士に抱く劣等感への意趣返し。
ウルトラマンは正義ではなく正義を考え、そして人に問いかける存在だと自分は常に思う。
人間の理不尽で殺される宇宙人や嫌われる怪獣、相手にするたびに自問自答を繰り返して正義を考え戦って存在こそが初代から続くウルトラマンと言う歴史の中で、オリジンサーガ は、その部分が、より深い。

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宇宙戦隊キュウレンジャー第1話「宇宙一のスーパースター」

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「とにかく強く、とにかくカッコよい戦隊」と、言う割にはネーミングセンスがかっこ悪い( ・ω)ここんとこのスーパー戦隊におけるネーミングセンスの低下はどうにかならんのか。
なんか、前作の一話が良すぎた部分が強すぎたのがどうも無ー
キュウレンジャー、見終わった。
なんていうか、可もなく不可もなく……いや、正直、凄いアレを見ちゃっている状況と前作の一話目が良かったからか思った以上に普通ーっていうか、なんていうかでさ。個人的ん物足りなさが目立つ(=ω=)
ついでにタマだのキューだのラッキーだの、煩い(・ω・#)
なんか、面白いつまらない以上に「あぁー、東映だなー」ってくらいの印象しか出なかった訳で。なんか、いつものーみたいな、そういう感じ。
なんか、早起きしてまで毎週、見たい。とか、そういうものに駆られるほどのものではなかったとか、そういうことを思う。堅実な一話目なんだけど、堅実すぎて、なんとやらでござーますわね。
内容は、もう、本当に可もなく不可もなく普通―と、しか言いようがないなーって。
なんか、本当に、それだけ。
いつもの戦隊って言うか東映の見せ方くらいにしか思えなかった……

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