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機動戦士ガンダム 水星の魔女 最終回

スレミオ
思えばスレッタがエアリアル改修型にあまり乗らなかったのと、プラモのキット自体の初心者に厳しい仕様を考えると主役機の交代は約束されたことだったんだろうなーと。
しかし、サンライズリアルロボットのお約束は殆ど取り入れてたよなー。
水星の魔女は。
ラストに超大型ビーム兵器が出てくるのもファーストガンダムから連なるイデオンやガリアンとか、その手のロボットアニメの系譜だもんなー。
何気に、4号の回収、こういう風にやってくるのか。
ガンダムでウテナやってストーリーラインはパトレイバー的で、ここまでいろんな要素をごちゃまぜにしておきながらよく綺麗に纏めたような-と、水星の魔女は割と真面目に思う。
水星の魔女は1クール目の12話で無自覚とはいえ罪を犯したスレッタに対して対等にするために、2クール目はミオリネが罪を犯す立場になることで対等になる話運びにするつもりだったんだろうなーと。
まぁ、長かったけどね。
あの長期間の二人の引き離しについてはミオリネを動かすためには仕方がなかったんだろうとは思う。
ただ、やるなら御三家の三人の描写を均等にやれば良いものをグエルだけグダグダと長めに描きすぎた感はあるけどさ。
これ、グエルが人気だからーって言われてるけど、たぶん、水星の企画自体、ビルドダイバーズリライズより前には出てただろうから、もとより、あれは人気関係なく予定調和だったとは思うけどね。
所謂、親殺しをした人間だから、あの三人の中ではグエルが一番、ミオリネやスレッタを理解しやすい存在ではあるからね。
エラン5号は親殺し以前の問題だし、シャディクは、なんか、ねぇ。あんな感じだし。
ガンダムでウテナやるんだから、冬芽、莢一、薫幹ポジションの連中も活躍させな。っていうのがライターの思惑なんだろうね。グエルとラウダの関係なんてもう冬芽と七実だしな。
ガンダムでウテナをやるということで、ウテナのラストが結局、ああいう感じだったからどうなるんだろう?って思ったけど、今の時代らしいよね。
結婚式とか、そういうの描かずに明確に二人の関係の終着点を指輪のシーンで魅せるっていうのはやってくれたな。
曖昧に描かず言葉にせず画で帰結させる。
あの時代、ウテナで出来なかったことをやってくれたこと、あの年代から20年以上経過して百合的な描写が、どう変化していったのか。
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それが良く解るような感じでもあったね。
あの憑き物が落ちたようなラストも、やっぱり、ウテナでもあったから、最後までそういうオマージュだったんだろうと。なんやかんやで、∀ガンダム以降のガンダムを素直に楽しめなかったの自分としては、水星の魔女は純粋に素直に楽しめた。そこ行くと、これは「罪と罰、そして許し」なんだろうな。なんやかんやで、悪いことした奴らが全員、生きてるのが、そういうことなんだろうね。あの婆4人組とか、シャディクとか、ね。プロスペラのやったこととか、正直、死刑レベルの罪だけど、ある種、これから、彼女の未来は本来、閉ざされてエリーと一緒にられず、肉体が動かなくなっていくのが罰であり、スレッタとミオリネの言葉が許しなんだろうな。
スレッタとミオリネっていう二人が罪と罰を経験して、そこから許しを得て、前の話でも言ったけどそれで対等になった二人が結ばれて世界の未来と一緒に二人がともに進んでいく。っていうのは、これは大事なことよ。
ガンダムだと、それが当たり前だったから、っていうか、当たり前になりすぎていたからこそ、こういうスタイルで描くっていうのは大事なことだと改めて理解したよね。ミオリネとスレッタの二期における長い間の別離は必須だったのは解る。互いに罪を経験して罰を受けて許しを得て結ばれることに意味があったから。
それに対して長い期間の間を置くのは大事だし、二人で未来に向かうことに進んでF91のオマージュで二人一緒で絶対に離さない演出をするのは良いよなと。
ウテナでも神無月の巫女でもまどマギでも、なんかしら罪を犯して、罪を背負ったりして、それによって受けた罰やら代償が心から結ばれあった二人の少女の別離だったり犠牲だったりする中で二人が受けた罪を分け合い許し合い二人で未来に進むスレッタとミオリネは、やっぱり時代が進んだことへの証左よね。
だから、ぎりぎりまでスレッタが死ぬんじゃないか?
そう思わせる不安の中で、これまでの神無月の巫女やウテナ的なラストに繋がるんじゃないか?とハラハラさせておきながら二人が結婚したうえでの未来に進むラストっていうのは、それだけで有意義なことだよなーと。スレッタは死が罰であり、スレッタの死がミオリネの罰って展開にならずに、罪と罰を受けたスレッタとミオリネの二人が未来のために、ある意味ではもしかすれば贖罪に近い形で二人が手に取り、世界の未来と一緒に歩むというラスト、それは希望に溢れているというのは最高のハッピーエンドじゃなかろうか。
それが罪と罰を互いに共有し得た二人だけに許された誰も心の奥底まで介入できない二人だけの関係なんだよな。スレッタが死んでたらミオリネも死んでたな。って思わせるような二人の繋がりを感じた訳でさ。
互いの罪と罰を誰よりも理解して赦し合ったからこそスレッタとミオリネは二人で未来に進む互いに誰よりも同じ感情を理解し合うからこそ共有し合うからこそスレッタはミオリネを、ミオリネはスレッタを理解しているし、今までのカップルだと許しをもってしても別離を迎えてしまう中で、二人で一緒に世界の未来に進む手段を得ることができたのはキャリバーンを使った呪縛からの解放だよねーと。
「進めば二つ」の呪縛から「欲張りだから全部欲しい。」呪縛を断ち切る、そのスレッタの思いからキャリバーンが反応してエリーを動かし奇跡を起こして全てを掴み取った。それが今まで別離が多かった、この手の百合アニメの中で最高位の奇跡を起こしたのだから時代の変化と同時に、この我儘は許されるという感動を得た。

そんな感じで、最終回、ある種の、これはガンダム00と逆襲のシャアのアクシズショックの再現でもあり、ガンダムUCでもあると、歴代のガンダムのいいとこどりをやってうまく全部、オマージュして調理したなーっていう、そういう印象が物凄く強いわけでござーますけどね。
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そして、スレッタを迎えに行くのはなんやかんやで、ミオリネっていう構図はありがたい。所謂、キスとかにもっていったほうが良いんだろうけど、あえて、あれをチョイスしたのは強い。深夜じゃないから、本当ならセックスを描いた方が手っ取り早くはあるんだろうけどwキスとかもやらないし、宇宙でキスするわけにはいかないしな。ある種、ガンダムにおいて、あの宇宙でハグし合うっていうのは、そういうことでもあるんですよね。一種の、あれは個人的にセックスやキスのメタファー的な部分として見ているわけですからね。
まぁ、ガンダムで宇宙で愛を感じさせるなら、これが一番美しい構図ではあるよね。
宇宙のシーンを、あそこで締めたのは、F91っていう作品自体が「目覚めよ宇宙。" ガンダム "新時代-第一章」っていうキャッチコピーがあって、スレッタとミオリネの戦闘の後の邂逅の令和の一発目のガンダムの最後の宇宙のシーンでF91の、このシーンを持ってきたのは狙ったなーって思ったよ。実質、水星の魔女はガンダムの新時代第一章と言う言葉に相応しいし。ついでに、F91におけるセシリーの花って、あれ「百合の花」ですから。つまり、そういうことですよね。
まぁ、そういことを思いつつも結局、ガンドの未来とか、そういうのは描かないんだろうなと。やっぱり、そこはガンダム0083方式で行ったかと。
ただ、宇宙世紀のああいうのよりも良いのは、0083みたいに戦いが終わっても世界はどうのこうの……っていうラストになるとは思ったし、そういう感じだったけど違うのは水星の世界は良い方向に向かっているのが良いかもしれないわね。
ガンドの未来とか、所謂、戦いの後のごたごたとか、結局、そういうのはどうなったんやろうな?とか思ったりもしたけど、まぁ、ああなるのは仕方ないのかね。
あれで、またガンドの未来とか、株式会社ガンダムとか、ミオリネは結局、あれは何をしているのかとか、そういうのは妄想に任せた方が良いんだろうな。言葉にして描いたら蛇足になりそうだし、スレッタとミオリネの物語として見るなら、あれほど綺麗なラストはないしな。
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結婚指輪ね!!!!!!!!!

まぁ、そんな感じで、あれなんだろうな。
2クール目、最終回が「祝福」の歌詞だったんだけど、思えば、そこは牙狼と同じで実は歌詞がネタバレだったという、そういうスタイル、良いよね。所謂、2番の歌詞に「逃げる様に 隠れる様に乗り込んで来たコクピットには泣き虫な君はもう居ないいつの間にかこんなに強く これは君の人生 (誰のものでもない)」っていう歌詞があるんだけど、あぁ、二期の物語って、これだったな。っていうのを感じるわけですよ。
あぁ、そういうことか。っていうw
謎の納得感w
ガンダムでウテナをやるということで、ウテナのラストが結局、ああいう感じだったからどうなるんだろう?って思ったけど、今の時代らしいよね。所謂、それが美しいとすらされていた時代の中で、別離で終わらせず、ちゃんと二人で歩いていくラストが見れたのは良かったね。
結婚式とか、そういうの描かずに明確に二人の関係の終着点を指輪のシーンで魅せるっていうのはやってくれたな。
曖昧に描かず言葉にせず画で帰結させる。
あの時代、ウテナで出来なかったことをやってくれたこと、あの年代から20年以上経過して百合的な描写が、ガンダムで、それをやると、どこまでできるのかっていう、あの時間にウテナ悌なことをやると、どうなるのか、どこまでできるのか、どう変化していったのか。
それが良く解るような感じでもあったね。
あの憑き物が落ちたようなラストも、やっぱり、ウテナでもあったから、最後までそういうオマージュだったんだろうと。なんやかんやで、∀ガンダム以降のガンダムを素直に楽しめなかったの自分としては、水星の魔女は純粋に素直に楽しめた。
戦闘後の二人の邂逅をF91のオマージュにもっていったのは、直接的にキスなどの直接的な表現で見せないスタッフなりの、スレミオの愛の伝え方なんだろうとは思う。あのシーンは一種のセシリーとシーブックのキスやセックスのメタファー的な部分はあると思うんで、やっぱり、それをスレミオでやる。っていうのは、そういうことなんだろうなーと。直接的に描かず、観る側がそれを感じ取れる絶妙な演出加減が良いですよね。個人的には精神的な繋がりが強く感じられるのですごく好きです。
スレッタがミオリネを部屋から連れ出す時の手繋ぎも、これは…!って感じで大変良かったです。あの部屋からの演出から、セックスを描かなくても二人の精神的なつながりはあまりにも、キスをせずとも、その描写だけで分かる。っていう演出を、まさかF91のオマージュでやる。
F91を見てると、このシーンでどれだけ心をぐっと捕まれるか。っていうのがあるから、狙ってたとしてもいいチョイスだよなwっていうか、もう令和だからこそ、「ウテナからの卒業」または「ウテナからのブラッシュアップ、昇華」っていう部分もあって、ある種、これはウテナと言う呪縛からの解放でもある気がする。レガリアや神無月の巫女、まどマギとかで描かれてきたものが、プリキュアとか、そういうのを描かれてきた中で、今、水星の魔女でここまで昇華できた。っていうのは、時代の進化、百合と言うものがここまで出来た。っていうのを感じる。
今、それで、こういう見ていて気持ちの良いラストにしたんじゃなかろうか?っていうのも割と感じる。罪を犯した者は、皆、報いを受けたからこそ、ああいう感じになったんじゃなかろうかと。

そんな感じで、何度も言いますが正直、∀ガンダム以降のガンダムって正直、心の底から素直に楽しめた作品ってないんですよ。自分の中で。SEEDも種死も、なんか、あのキラツエー感が嫌いで、なんか、もう宗教で嫌いだし、00も、やっぱりお話に穴があって、今、あれば、まぁ、こんなもんだろうっていうのは思うけど、やっぱり、なんか、なーって思うところがあって。AGEは問題外。UCもUCで好きではあるんだけど、やっぱり、何処か思うところは出ちゃうし、鉄血もそうだし、ビルドシリーズも正直、面白くないと感じていたところもある中で、水星の魔女は百合っていうのもあったんだろうけど、でも、それ以上に楽しかったね。うん。
なんか、年を食ったっていうのもあるんだろうけど、まっさらな気持ちで純粋に楽しめた。
まぁ、やっぱり、他のガンダムと同じように丸投げした部分はあったとはいえ、なんか、もうそこは好みなんだろうなwっていうの改めて感じましたよ。
まぁ、楽しかったです。
本当に。はい。
ある種、水星の魔女は、この手の少女同士の物語において出てくる「ウテナっぽさ」って呪縛に対する解放なんじゃなかろうかと。
この手のアニメになるとハッピーとは言い難いラストを迎える作品が多かった中でスレッタとミオリネが幸せに暮らすラストはウテナからの解放なんだろうな。
今まで、そういう作品があったとはいえやっぱり話題にならなかったから、改めて、そういう時代の百合作品の要所要所を取り合わせて、それをガンダムっていうデカい媒体で、そういう「ウテナっぽさ」からの解放をした。っていうのは非常に有意義なことではあると思うんだ。
それが、スレッタとミオリネの二人が意識革命を起こした二期の中盤でもあるし、母親に捨てられたことで、色んなものに触れたことで導き出したスレッタの答えである母からの言葉である「進めば二つ」の呪縛から解放されて「欲張りだから」って自分の意識を表に出すこと、それを実現させてミオリネと一緒に未来を進むラスト、これは、ある種、ウテナや神無月の巫女を通して、そういった作品から時代は進んだ、ある種、そこから続くルーツの最新作であると同時に正当な現代の時代では、これが正しいという形で実証した、正当な進化を辿った作品いうことは間違いないんだろうな。
スタァライトからの、こうして実際に殺し合う作品で、これをやる。っていうのは、やっぱり、凄いことではあるんだよなーと。
っていうのを改めておもったよ。
あの時代、ウテナが、少女向け作品に対して革命を起こしたように、水星の魔女は、さらに、ウテナ的な作品に対して革命を起こした。
そう言う作品でもあるんだよな。

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機動戦士ガンダム 水星の魔女 #23



水星の魔女、思えば規模がデカいパトレイバーって見た方が正しいんだろうな。水星の魔女のストーリーライン、1クールはテレビ版パトレイバーで、2クール目は、そうか。
劇場版パトレイバーだわ。
MSがあるきな臭い平和な世界に起きるプロスペラって女が起こすテロと言うかね。
何気にラウダはファンネル、使えるていうか、この時代のMSってある程度、パーメットとか、そういうのとリンクしてデータストームとどうのこうのやってると使えるようになってるのな。
今更、おおもとの黒幕っぽいおっさんが出てきても、それに対する描写とかはする気はないんだろうなーと。
水星の魔女っていうのはスレッタとミオリネ、そしてプロスペラの物語だから、それに付随する人物は殆ど舞台装置に近いのよね。
一応、水星の魔女の世界って大きな戦争が終わって紛争がこじんまり続く世界だから言うなれば0083に近いのよね。
アルビオン隊が頑張って何とかしたけど世界は悪い方に行ったように、スレッタたちの戦いが終わっても、世界は変わらない。っていう、そういうスタイルで終わると思う。
だから、唐突に黒幕っぽいおっさんが出てきたんだろうけど。
オリジナルエランがご乱心して敵を銃を乱射して、あのばあちゃん達、死ぬ説。
ラストに黒幕っぽいおっちゃんが出てきたのって、0083の終盤にコリニー提督と後にティターンズの総帥になるジャミトフが出てきたパターンと似てるから、たぶん、あれじゃないかな。
スレッタの戦いは、あそこで終わったとしても世界はきな臭いまま歪に時を過ごす終わり方が一番しっくりくる。。
そこ行くと、あの世界の結末は伸びしろとか考えると色々と読みやすさはあるけど、じゃぁ、スレッタとミオリネはどうなるのか。
ってなると、やっぱり、もう今週の宣言通り「スレミオ仲良し家族エンド」が一番の理想よ。

コロニーレーザーを無効化するエアリアルの描写→ユニコーンを思い浮かべる人がいるだろうけど、でも実は、福井先生は昔、∀ガンダムの小説で∀ガンダムでコロニーレーザーを無力化する描写いれてるから、実は、これ二度目のオマージュっていうね。
ついでにユニコーンの方はセルフオマージュ。

ラウダとグエルは、何て言うか、そういう運命と言うかねー、なんだろうね。ラウダって頼りないように演出されてきたからこそ、なんか、こっちもそういう風に見えちゃうメンヘラ気質。いまいち、良いところが無い分、彼自身、それがコンプレックスになってるし、それが今回の暴走に繋がってるんだろうと。本当は、ただ、グエルに見てほしかったんだろうと。不甲斐なさと、兄に隠された秘密やら、そういうのが、ね。色々とあったんだろうね。兄は有能で弟は無能みたいな、そういうコンプレックスに触れることがあったんだろうな。ああいう髪を弄る癖って、ガルマが、そうだったから、あれもラウダと似てる部分があるからねー……ガルマの家族に対するコンプレックスって、あいう感じだしな。少なくともザビ家は穏やかだったからこそ、ガルマは、ある意味ではシャアに利用されつつもまっすぐな存在として描かれたからなー。ある種、第二話におけるグエルの「ラウダは所詮、親父サイドの人間」っていうのも結構、本来、グエル大好きだけど、そういう部分で頼りなく見られてしまうこと、兄貴に頼りなく見られることが恐怖だったんだろうなーって、そういうの思いますよ。
実際、良い兄だったんだろうね。ある意味、あれは恋心ですよ。そして、強いようで、どこまでも虚勢を這っていかないと生きていけなかったグエルっていうのも、あるんだけどね。結局、あいつ、変わったけど親父のことを隠してラウダに話すこともなかったのは、ある種の、あれも虚勢だからなーと。治っちゃいないのよ。簡単に人は成長したとしても根本は治らないという、そういう部分が垣間見えますね。
ある意味、それがじぇたーくの人間の上に立ったものとしての責務だと思うんだろうな。だから、自分よりも弱いと感じてしまったラウダに関して気を使ったことが今回の事件なんだろうと。
ってか、グエル、ダリルバルデ、もってくれば……いや、あそこまで行くと修理不可か。

さて、まぁ、ミオリネサイドは色々とあれよね。
まぁ、見入るね。
あれね。
エアリアル改修型、まさかラスボスになるなんてなーとか思いながら見ているんですが、あの最後のコロニーレーザーを防いだシーン、ユニコーンのオマージュって感じだよね。
ある種、親子でも簡単に分かり合えないけど、分かり合えないけど、それは絶対ではない。っていうことを描きたいんだろうねー。道を違えど、それが家族なら……っていうのもあるんだろうなーっていうのは見ていて思うんですけどね。プロスペラ、なんやかんやで、プロスペラは死んだけど、これからエルノラとして生きていくような、そういう感じがしないでもないですね。
そう言う意味でも、今回、最後の最後でミオリネがプロスペラを負かした。しかも、組織戦でと言うことで、ある種、ミオリネもプロスペラも同じような存在だからこそ、プロスペラはミオリネを操りやすかった。っていうのもあるんだろうな。
でも、それでも、スレッタや周りとの成長を通して人に触れることを知り、成長した、スレッタを通して結んだきずなの強さは、それこそ、もう、今までの経験を通して、彼女は正の方に成長したからこそ、スレッタに対する思い、スレッタの中にある死を覚悟してでも、母を止めるという覚悟を選んだからこそ。
彼女は、スレッタの嫁として、母を殺すのではなく止めるという思いを抱いて、あの「家族になるんだから」の下りっていうのがあるんだろうね。
スレッタの思いを貰ったミオリネだからこそ、彼女は殺すのではなく活かす手段を取った。そして、家族として掬う未来を選んだというのは、良い感じに、ここまでキャラクターの成長が見れていいよな。本当は殺したいほどに組んでると思うんだよ。自分を陥れて、あんな大虐殺を大罪を着せた女なんて。
でも、それでも救うという手段を取ったのはスレッタの嫁だからなんだよな。
本来、ミオリネってプロスペラに大罪を着せられた女だから赦せない感情もあるんだろうけど、自分の父親の罪もあるだろうし、それ以上にスレッタの嫁と言う立場もあるし先人の罪の二の轍を踏まないために選んだ手段が、過去の過ちを全て背負っての「家族なんだから」だと思うと成長したなーって。
これから、プロスペラは死んだけどエルノラとして生きるみたいな、そういう感じで、あれで、なんだ、悪い魔法使いは死にました。
って演出にしたんだろうね。
オリネの殺意を止めたのがスレッタと言うか、プロスペラの罪はエリーの完全な死と言う形で罰を負った。っていう形になるんだろうなーって。それが元に戻ることでもあるという。そこ行くと、デリングとかも色々とあれなんですけどね。デリングはプロスペラの憎悪を受け止めることが自分の罰とか思ってそう。

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機動戦士ガンダム 水星の魔女 #22

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この前にも話したお話なんですけど、エアリアルって元はシェイクスピアに出てくるテンペストって作品の妖精らしくて。
契約のせいで術氏プロスペラの僕と言う設定で出て来るんじゃがー、まぁ、最終的に契約を解除されて自由の身になるんだけどさ。
多分、エアリアル=エリミオと見るなら色々と見えてきそうよね。
多分、プロスペラは、その怨恨ゆえに、ある種、上位概念になったエリミオに見限られるのではなかろうか?と。そして、晴れて自由の身になったエアリアルとエリミオはどうなるのかって言うと、エアリアルと言う身体を放棄してエリミオはデータサーバのはるかかなたに旅立つのか、それとも、フェネクスの様にエアリアルと一緒にどこかの世界に行くのか。
しかし、ミオリネもいい加減、そろそろ、スレッタと再会すべきだとは思うんだけど、後、3話で出来るんですかね。オリジナルエランが勝ち逃げしそうな感じもあるしなー
しかし、最終的にフェンシングとか、ファーストガンダムのアムロとシャアの一応の決着の付け方ってこれだけど、そのオマージュですかね。あれをやるってことで、もう、簡易でありながらも決着は確実に付けた。ってことでも良いんだろうな。何気に、スレッタの最後のポーズ、あれラストシューティングのオマージュだしな。
っていうか、思った以上に、ミオリネとスレッタの再開、早かったな。
そんな感じで、ベストじゃない選択を取った代償との向き合いと、しかし、それは間違いではあったし、多くの悲劇を生んだけど確実にスレッタは成長を与えたんだよなーと。
そして、その間違った選択の中で、確かに間違いの中で多く傷ついて、その思いは傷つき成長する中でスレッタが成長してきたのも事実だし、そこには、ミオリネの影響があったのも隣にいたのもまた真実なのよな。だからこそ、今のスレッタと言う存在があるわけでさ。
そして、プロスペラの口車に乗ってしまったミオリネに対して手を差し伸べるのがスレッタっていうのが良い感じに若くていいよな。取り返しは付かないけど、お互い、ベストな選択をすることを放棄して、プロスペラの思い通りになってしまったミオリネが背負わされてしまった罰に対して真摯に向き合えるのって、やっぱり、スレッタだけなんですよ。ましてや、スレッタの場合は、あの母親の一応、子供でもあるわけですから。
そして、スレッタはミオリネのために間違った選択をして、ミオリネはスレッタのために間違った選択をしてしまったからこそ、二人は手を取り合い抱きしめ合い、愛し合う権利と言うのがあるのです。蹴りって言うと大げさですけど、それがミオリネとスレッタの二人の間だけに許された、ふ亜tりの間だけに生まれた百合の絆。
そんな、間違ってしまった道を行って、成長していくのも、また子供の特権でもあるからこそ、それに対して悪い大人の口車に乗って罪を犯した子供たちを守り、悪い大人の罪を清算するのは大人の仕事でもあるという部分がちゃんと描けているのが良いところでもあるわな。
しかし、キャリバーン、白いな。
永野護先生のZZガンダムも白かったけど、まぁ、そんな感じで、あれなんですけどね。思うところはあるんですけど、まさか、スレッタ、死なないよな?キャリバーンがちょっと死に装束に見えたこともあって、ついでに、小説版ファーストガンダムだとアムロが戦死するので、色々とね?
キャリバーンがウェディングドレスになるのか、それとも死に装束になるのか・……

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機動戦士ガンダム 水星の魔女 #21


なんか、スレッタ、明るいな。
こういう状況になって何処か変わったような、やはり、人の死っていうのはマイナス面に描かれがちですけど、この最近の情勢と言うのはね。でも、やっぱり、そういうのを描くことで自分を慕ってくれた人が重傷を負ったりすること、母の言うままにやっていたら、おそらく、自分が学園を破壊する側に回っていたかもしれないとか、だからこそ、そういうことを考えてしまう前に、そして、ある種、母が仕組んだことでもあるからこそ自分が動くべきことをする。
人の死をもって自分のなすべきことを思い出す。
っていうのは、やっぱり、単純だけど、一番いい手なんだろうね。ましてや、こういう日常の非日常の合間にある作品だからこそ、非日常が間近にある世界だからこそ、そういうものなのかもしれない。
今、自分ができる最大限のこと。
それが、学園の生き残った人たちを助けるってことなんだろうと。
それでいて自分が力を持っていることを考えれば、自分が何かをしないといけないというか、そういうのを見ていると思うんですけどね、やっぱり見て変わったのかなーとか思いますね。
人が変わるなら、安易だけど、もう、それくらいしか、あのスレッタが立ち直れる手段って結構、無いよな。ミオリネが突き放してるから二人が邂逅することはまだないだろうし。
同時に、何も出来なくてもね、何も手に入らなくても自分で出来ることをすればいい。
それが、ある意味では序盤のスレッタの口癖である、あのセリフを言わないのは、ある意味では本当の意味で魔女の自分の中の魔女の呪縛を断ち切ったんだろうね。
ある意味ではガンダムがな食ったからこそ、すべてを失ったことによって彼女の中にある呪いも断ち切られたということなんだろうね。。
全ては、何もかもが、あの魔女、プロスペラの口車に乗ってしまったことが原因でもあるという。
なんかねー
ついでに、なんか、ここにきて新ガンダムが来たけど、あれが予約した奴なんですかね。キャリバーンと言うことで。魔女を倒すには絶好の名前ですわな。
元より、エアリアルっていうのもシェイクスピアの『テンペスト』で魔女シコラクスの使い魔として使役されていたり、術師のプロスペローの僕として出るけど、最終的には契約から解放される事となり、晴れて自由の身になる話とか、そういうのもあるんですけど、そういう感じで行くんだろうね。
シェイクスピアからとったんだーとか、1期の中盤辺りから、ちょっと調べてて、こういうことなんだなーってなるんですが。まぁ、丁度、エアリアルが今、プロスペラの僕状態ですから、やっぱり、そういうことなんじゃろうと。全ては、あの女のせいなんですがね。しかし、なんか、それはそれで面白くないという部分もあってですね。
あんな女に、いちいち、ねぇ。
まぁ、だから、あの太った恰幅の良いおばちゃんは、それに気づいて色々と暗躍をしていたんでしょうけどねwあのおばちゃん、ちょっとキャラが好きだったから、あーって感じでw

しかし、何もかもを失ったはずのスレッタに合った希望が、ミオリネとの絆の象徴であるトマトで、それが人を救うっていうのはエモさよな。

この時期の人間って自分は何でもできると思い込んでしまうほどのあれがあって、なおかつ、それほどの力を持ってしまうと、それ以上に頭のいい大人に利用されるっていのがね。まぁ、もう、辛いところだな。頭が変に良い分、そういうところを解ってしまうという感じでもある。

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機動戦士ガンダム 水星の魔女 #19


一番じゃないやり方っていうことで、一番ベストな方法は難しいからこそ、楽な手段や自分にとって目的のためなら手段を択ばないなんとやら、まさに、プロスペラの心情を取るっていう、それが今回の混沌に繋がってしまったというのは言うまでもなく。
まぁ、そんな感じで、スレッタ、大丈夫か?その前に、これ、ちゃんと終わるのかね?もう半分近くやぞ。シーズンⅡの後半に入って初るわけでごぜーますから。そういう意味でも、ちッと不安になっていく。やっぱり、代理戦争要素とか、そういうの入れてきたからなーと思います。
シュヴァルゼッテ、誰が乗るんですかね。
ここまで行くと、ちゃんとスレッタを描き切れるのかどうかも、まぁ、season1のスレミオの擦れ違いも一話で完結したし、ここまでくると、案外、スレッタの悩みとか、そういうのを解ってあげられるのも、この手の少年少女たちの強みと、この作品な感じがする。親たちに捨てられた子供とかさー
エリミオ、あれ、たぶん、スレッタに母殺しを望んでいるかもしれないとか、なんか、そういうことを考えたのは自分だけじゃろうか。ある種、狂気に陥りやすい女性の全てを喰らったかのような、量産型ルブリスが全部、食われて、もう、ルブリス系統の新型は出ないのかな。いや、新型っていうか改良型か。
さて、まぁ、エアリアルを使って兵器を操ってどうのこうのってのやったけど、ユニコーンの再コミュジャックを思い出すけど、彼女の場合はシステムジャックか。
全ては、やっぱりプロスペラの自分の目的を達成するためなら、誰がどうなっても、絵r未央以外はどうなってもk舞わないという精神性から、今度はミオリネが、そのあおりを喰らってしまうという地獄。
こうして、撃つべきは……
ある意味では、彼女も被害者ではあるけど、一番いい手段っていうのは全てにおいてベストな手段ではあるんだが、それを成すのは物凄く難しいけど、一番ではないけど確実に自分の目標を達成できる手段、それが如何にあれでも。ようは、シーズン1のスレッタなんて、ミオリネを助けるために必然的に一番ではないけど確実で楽な手段を取ったわけで。プロスペラは、常に、それで動いているからこそ、目的を達成できれば、それでよしとしてスレッタをも捨て駒にしてしまう。
そして、今回、マルタンの行動を見てスレッタは理解したわけだな。
自分のやったことのむごさ、そして母のやったことの意味。
その結果がミオリネの地位を墜とすことにもなるし、それが全てにおいて何かを悟ったかのように・……そして、そんな人間と手を組んだ時点で、ある意味では間違いだったのかもね。

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