
って原作だとラスボスなんだけど、もう、それを気にしないほどにはあれだよね。
まぁ、正直、原作の鵺と言う存在自体に魅力は感じなかったし、これは、これで良改変なんだわなー。
永井豪の、どろろで百鬼丸が妖怪になったり、どろろ梵では、どろろの身体の中に鬼神が取りついて百鬼丸が殺される。って展開があったりするんだけど、この、どろろの結末はどうなるんだろ。
百鬼丸の表情の、どろろがいれば自分は鬼になっても構わないという表情が正直、切ないわな。
常に、彼女が傍にいればいいって言うね。
それでいて、ちゃんと見てもらいたいからこそ人間の身体を取り戻すスタイルは百鬼丸の全てであるというの淡い恋の物語のように見えつつも危うさが怖い。
そして、殺し合いにしかならない、百鬼丸と多宝丸の運命に嘆く母親、二人の息子が修羅になるのは、母親として、その心境、理解もできるからこそ己の無力さが怖いんだよね。
純粋に、どろろと一緒にいたいから身体を取り戻したいし自分の手足と目で、どろろを感じたい百鬼丸がなー。
とうとう、ここで百鬼丸が、なぜ、そこまで焦るのか理解した、どろろの感情がね。修羅になろうとする理由を知ってしまえば、そりゃ、どうしたいか、初めて語られる、どろろへの感情が、もう。
そして、多宝丸も多宝丸で、本来は良い子だからこそ修羅になりたい理由や、そのほかの部分もある。純粋に百鬼丸を撃つ理由、殺し合う理由は、もうどうしようもないものになる。
これこそが。
正義と正義の戦いと言えなくもない。
それにしても、みどろ号、原作以上に呆気ない死を迎えたな。おい。
原作には原作の良さがある。って言うのはわかりつつもあるし、どろろ関連の他者の作品は多く全部、読んだから言うけど、どろろは、このアニメ版が一番好き。
まさか、みどろ号に乗るの、百鬼丸か……?